現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ビルは高くなったが

2018-06-08 21:14:29 | 心の問題

ビルは空高くなったが 
人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 
得る物は少なく
たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり
より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく
知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている
薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない
長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている

忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円たりともかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し 
話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ

ジョージ・カーリン


寅さんが虚無僧に

2018-06-04 14:32:44 | 虚無僧日記

ご存知「フーテンの寅さん」の『男はつらいよ』シリーズ
ネットで検索すると、

1980年公開の第26作目。冒頭で、寅さんが夢を見るシーン。

 江戸川のほとりにやってきた旅の虚無僧(寅さん)が、
 村人が集まって泣いている場面に遭遇する。村人が
 言うには、秋の長雨で堤が切れて稲は全滅、代官に
 お願いに行くと「筑波山の天狗のたたりだ」と。そして、
 「村で一番器量がいい娘を人身御供に差し出せ」と命令
 された。そこで、おさく(倍賞千恵子)が人身御供に
 なるというので、虚無僧(渥美清)が代わりとなって
 つづらの中に入った。すると、天狗の面をしてやって
 きたのは代官一味で、虚無僧姿の寅さんがつづらの中
 から飛び出し、バッタバッタと悪人どもをやっつけて
 しまう。という夢。

虚無僧はここでは『善玉』。虚無僧はフウテンの普化を祖師と仰ぐ。
フーテンの寅さんの元祖なのだ!。

「男はつらいよ」シリーズの第22作 (1978=S48)「噂の寅次郎」
(マドンナ役は大原麗子)。これにも 虚無僧が登場します。

旅で出会った虚無僧が、寅さんに「女難の相がある」と告げる。
虚無僧も山伏のような、加持祈祷師として扱われているのです。
私も虚無僧で歩いていて「占ってください」と言われたことがありました。

「男はつらいよ」は、高度成長期のサラリーマンにとって、一番
人気の娯楽番組だった。仕事にも家庭にもしばられない寅さんの
ような生き方に憧れ、息抜きとして観たのでしょう。

「うらやましいな。わしも成りたや虚無僧に」という
つぶやきが聞こえます。


水戸黄門が虚無僧に!

2018-06-04 14:20:50 | 虚無僧日記

「虚無僧を見たことありますか?」と聞くと、
「水戸黄門で見た」と、よく言われます。

ネットで調べると、1978年(昭和53年)の
10月9日に放映された『風雲久保田城』でした。

黄門様は東野栄治郎。格さんが里見浩太郎。
ついでに、ネットで見て判りました。「秋田佐竹家」は
江戸時代まで「久保田藩、久保田城」が一般的呼び名で、
「秋田藩」に改称されたのは、なんと明治になってからとのこと。

ドラマのストーリーは、世継ぎ争いですが、もとよりフィクション。
水戸黄門と助さん格さんが、虚無僧姿で久保田藩領を通過して、
事件に巻き込まれる。お決まりの“悪代官”と“悪家老”一味を
成敗して、「わしはあくまで忍びじゃから、見なかったことに」と
殿様はお咎め無しとなる。

つまり「虚無僧は幕府の隠密。忍びの姿」として思われていたようです。
昭和53年当時の視聴率は 40% と驚異的でしたから、                                     「水戸黄門で見た」という人も多いのでしょう。

「見て肛門」なんてギャグもありました。



世阿弥配流の謎

2018-06-03 17:15:05 | 虚無僧日記

佐渡では能が盛んだ。能舞台があちこちに在る。
それは能の大成者、世阿弥が流されてきた地だからだ。

ところが、なぜ世阿弥が佐渡に流されたのか、理由は全く
判っていない。その後世阿弥が許されて京都に戻ったのか、
佐渡で失意のうちに亡くなったのかもはっきりしない。

世阿弥の父観阿弥は世阿弥が22歳の時、駿河(現静岡市)で
演能の後、客死している。また世阿弥70歳の時、息子元雅も
津で変死する。その2年後、世阿弥は72歳の高齢で佐渡に
流されるのである。

井沢元彦氏は、破天荒な推理をしている。
観阿弥、世阿弥は楠木正成と縁戚関係にあった。世阿弥は
12歳の時、足利三代将軍義満に見出されて寵愛を受けていた
が、父観阿弥は、なんらかのトラブルで、足利一族の今川氏に
よって殺害された。世阿弥は、父を殺された恨みを忘れず、
つまり“初心忘れず”、義満暗殺の機会を狙っていた。
そしてついに46歳の時、義満に毒をもって、本懐を遂げた。

義満暗殺の首謀者は、長男で4代将軍となっていた義持。
義満は次男義嗣を天皇にしようと企んでいたため、義持は
それをやっかみ、世阿弥に義満を殺させた。だから義持は
父義満が変死を遂げたにもかかわらず、下手人の詮索もせず、
さっさと葬儀をおこなって、父義満の建てた相国寺は金閣寺
のみ残して全部取り壊し、弟義嗣の立太子も反故にし、
あげくのはて、10年後、義嗣を殺している。

義持には子が無く、義持の死後5代将軍となったのは、腹違
いの弟義教。義教は、義持が寵愛した世阿弥を疎んじ、世阿弥
の弟の子(つまり甥)の音阿弥を贔屓にした。それで、世阿弥の
子元雅を殺害して、世阿弥の直系を絶やし、義満殺害の直接の
下手人として世阿弥を佐渡に流した。

実は、一休の生涯はこれと深く関わっているのである。
一休こそは、100代後小松天皇の子であり、101代天皇に
なるべき人だった。それが、義満のわが子義嗣を皇位に
つけるという企みで、一休は6歳で安国寺に預けられ
たのだ。