伊藤野枝の最初の夫が「辻 潤」で、後の夫が「大杉栄」。
野枝は「辻 潤」の最初の女で、「大杉栄」の最後の女となった。
野枝に愛された二人の男、「辻」と「大杉」には 共通するものが
あるという。(以下は「辻潤の餓死」というサイトより転写)
辻潤の出生は 明治17年10月4日であり、大杉栄はその3ヶ月後の
明治18年1月17日に生まれている。
大杉は 新発田(しばた)中学を2年で中退。辻潤も開成中学を2年で
中退している。
内村鑑三の影響を受けクリスチャンになり、そしてキリスト教を
棄ててから「平民新聞」の読者になる点も同じで、二人はまるで
双生児のようによく似たコースを歩んでいる。
以後の辻は ダダイストになり、大杉はアナーキストになって、
相反する方向に進んだように見える。しかし、ダダイストも
アナーキストも、「日本的順応主義に反旗を翻している」という
点では同じなのである。
大杉栄は、日本的順応主義の根っこには奴隷根性があるという。
辻潤も「凡そダダイストにとっては、この世に許され得ない言語
行動などというものは一つとして存在し得ないのである」と述べて、
世のモラルや秩序を公然と「無視」した。
だから辻潤にも危険思想の持ち主だとして警察の尾行がついた。
「不服従」のための表現法は異なるけれども、権力に屈服しなかった
点で両者は共通している。
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私の心の中にも「反社会的」「不服従」の「反骨精神」はある。
「虚無僧」もそんなパフォーマンスの一つ。「虚無僧」は
社会のアウトサイダーだったのだから。
大杉栄の言う「日本人の奴隷根性」には私も同感だ。明治維新
以来の欧米崇拝。そして戦後は 正にアメリカの属国。
日本人、大和民族は「平和主義」などと平和ボケしているが、
『魏志倭人伝』に書かれた「倭(わ)」の文字は「人に委ねる」。
「倭奴(いと)国」を、素直に読めば、「奴隷の国」なのだ。