現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

Moneyは 「もーねい」

2016-01-17 04:05:06 | 虚無僧日記

中日新聞、夕刊「この道」に、ノーベル賞受賞の益川敏英氏がただいま連載中。

氏の専門は素粒子理論。名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長・特別教授、

京都大学名誉教授京都産業大学益川塾教授・塾頭。愛知県名古屋市出身。

さて、お名前に「敏英」と「英」の字があるが、英語は全くダメ。ノーベル賞受賞

記念講演も日本語で押し通した。歌も全くダメとのこと。

英語がダメなのと音痴は関係ありそう。私も音痴で英語がダメ。

聞き取ってそれを真似して発音することができないのだ。

氏の英語嫌いの始まりは、中学一年の英語の授業で、「money」を

「もうねい」と読んで、クラス中の大爆笑が起きた事件。

money=「もうねい」とはおもしろい。使える。

take(テイク)」は「タケ(竹)」。 name(ネーム)は「なめぇ」。

「tone(トーン(音)」は「とおね(遠音)」。「same」は「サメ」か。

 

ところで、虚無僧本曲には「越後山谷、奥州三谷」など「山谷」

または「三谷」「産安」という曲名が多いが、これはサンスクリット語の

「SANYA(サーニャ)=ゼロ、無」を 「SAN-YA」(さんや)」と

読んで、「山谷、三谷」という漢字を充てたのではと私は考えている。

でも江戸時代の人にローマ字を読むことができたのだろうか?

偶然だろうか。 


「断捨離」断行中

2016-01-15 05:44:08 | 虚無僧日記

これは昨年の今日書いた記事です。

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「おくやまに、もみじ ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」

「おくのへや、もうふ 踏み分け 失くし物 見つからぬ時ぞ 吾は悲しき」。

そんな生活から 足を洗いたいと 「断捨離」を断行。

不要の書籍、楽譜、CD、カセットなどをダンボール8箱分も処分した。

そして4畳半の部屋を「生活用」とし、リビングルームには何も置かず、

突然の来訪があっても、招き入れるられるよう、「来客用」のスペースに。  

 ☆今日のことば  「整理整頓は心を清める」

心が磨かれ、清くなってくると、それはカタチとなって現れてくる。

整理整頓をキチンと行うようになる。朝起きたら、布団をきちんと

たたむ。食事の後は、すぐに食器を洗って片付ける。秩序と調和と

清潔さの中に、天と善とごご先祖の導きがあり、運勢も向上して

いくのです。まさにそのとおり。

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と、これは昨年の今日書いたもの。ところが一年経って、またまた

モノがあふれている。ストレスも溜まる。さらに断捨離断行。


究極の断捨離=ミニマリスト

2016-01-15 05:02:02 | 虚無僧日記

中日新聞 1/5 の記事 ミニマリスト

「ミニマリスト」とは、必要最小限「ミニマル」の物だけで暮らす人

とのことらしい。狭い部屋(ミニ間)でも、物が何も無ければ広い。

Aさんは5.5畳の1kに、テレビも家具も本棚も何もない。

家電製品は冷蔵庫と洗濯機と、電子レンジのみ。

以前は、42型のテレビ、本棚からあふれた本やCD、趣味の

カメラやギター、アンプ類が部屋を埋めていた。

欲しいものは何でも手に入れたが、しかし、なぜか心は

満たされず、生活も荒れていた。それが「ミニマリスト」という

生き方を知って、物を5%ほどまで減らした。物を手放すたびに

自由になった。掃除が簡単で、部屋の片付けなどに時間を

要することがなくなった。その分、人と会う時間が増えた。

いつでも、人を招くこともだきるようになったと。

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これだぁ! これこそ「虚無僧的」な生き方。私もそれを目指して、

断捨離を断行中。 今まで、部屋片付する時間、探し物をする時間に

追われていた。そのストレスも大きい。部屋が片付いていれば、

いつ誰が来ても迎え入れられる。

寝具も食器も日用品は一人分あればいい。衣類は3セットずつ

あればいい。本棚もテレビも洗濯機も冷蔵庫もガスレンジも要らない。

とは云うものの、まだまだ捨て切れない。でも、やるぞ!やらねばならぬで

またストレスが溜まる。

 


「空海」もキリスト教を学んでいた

2016-01-13 11:49:37 | 虚無僧日記

キリスト教読み物サイト「比較宗教」 から転載

 

九世紀に「空海」は、中国(唐)へ渡って真言密教を学びましたが、

この「真言密教」は、釈迦仏教とは全くかけ離れたもので、当事、

唐の都で広まっていた道教、ゾロアスター教、景教(キリスト教)、

バラモン教などの混合宗教です。

空海は、景教徒の般若三蔵(はんにゃさんぞう)という人物と論争し、

景教の知識を吸収しました。般若三蔵は、「大秦寺(だいしんじ)という

景教の教会を営んでいた人物です。「大秦」とはローマ帝国のこと。

 

空海は 唐で「潅頂」を受け「遍照金剛」という潅頂名が与えられました。

これはキリスト教でいう「洗礼」で、「遍照」とは"広く照らす"の意味ですから、

聖書「マタイの福音書」五章一六節の、「あなたがたの光を人々の前で

輝かせ」の意味です。「潅頂」というのは原始仏教には無かったものです。

 
空海は、死の間際、弟子たちに次のように語りました。
「悲嘆するなかれ。われは弥勒菩薩(みろくぼさつ)のそばに侍するために、

入定(死ぬ)するが、五六億七〇〇〇万年ののち、弥勒と共にふたたび

地上にまみえん」と。

「将来復活する」というこの信仰は、まさに、"キリストが再来するときに

クリスチャンは復活する"というキリスト教信仰と同じものです。


さらに、10世紀になると「称名念仏」の信仰が広まり始め、12世紀には、

法然や親鸞が「南無阿弥陀仏」の念仏宗を広めました。


「南無」とは、「帰依する」という意味で、「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏を

信じます」、「阿弥陀仏に帰依します」という意味です。法然や親鸞は、この

念仏を唱えるだけで、誰でも浄土(キリスト教でいう天国)に生まれることができ、

救われると説いたのです。


これは、聖書「使徒の働き」二章二一節の「主の御名を呼び求める者は、

誰でも救われる」というキリスト教と同じです。

このように、浄土宗、浄土真宗とキリスト教は類似点が多く見られるのです。

 

 大乗仏教にはキリスト教の影響が強く

2016-01-13 11:49:01 | 虚無僧日記

キリスト教読み物サイト「比較宗教」 から転載


大乗仏教の「末法思想」。「弥勒」という救世主の信仰。

釈迦の死後 長く"末法の世"となり、、シャカの教えが

実行されず、世も乱れる。けれども「弥勒」がこの世に

現れて人々を救う、という。

これは、全くキリスト教でいう「メシア」と同一です。

ヘブル語の「メシア」が、インドでは「マイトレィア」、中国では

「ミレフ」、日本では「ミロク」となったのです。


「阿弥陀如来」はペルシャのゾロアスター教とキリスト教に

起因する。聖書には、「見えるものは一時的であり、見えないものは

永遠につづく」(コリント人への手紙第二、四・一八)とあり、

変化きわまりない世界の奥に、永遠なるものを見ています。

大乗仏教が「常住なるもの」を強調するようになった背景にも、

こうした聖書の思想の影響があったに違いありません。


椎名林檎の「神様、仏様」に虚無僧登場

2016-01-09 09:15:12 | 虚無僧日記

紅白など10数年見たことなかったのですが(家にテレビが無い)、                                              昨年暮れ、某所でたまたま見たのが、この椎名林檎の舞台。                                                  「和楽器バンド」の上を行くような構成に呆然。                                                          邦楽の新たな幕開けかと、大いに期待したおりやす。

http://hc.yinyuetai.com/uploads/videos/common/D2820151F81756BDC0C043F6B3CC83B0.flv?sc=7c9c45156cfc8577

 

日本のポップスなのに、言葉・衣装・振付・演出すべて和物。

こちらは、昨年8月に出たプロモーションビデオ。「神様、仏様」に虚無僧が登場します。

紅白でも虚無僧出てほしかったな。

https://www.youtube.com/watch?v=42W8bxW14sU&feature=player_detailpage

 

310万件ものアクセスがありました。「いいね」


昔は虚無僧がよく来た

2016-01-08 05:46:37 | 虚無僧日記

「虚無僧」で検索して見つけました「村井慎一」さんのブログから

要約

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昭和30年頃、わが家に虚無僧がよく来た。お爺さんの趣味が尺八

だったので、虚無僧が来ると必ず話しかけ、尺八にあれこれ注文を

つけたりして、100円札を渡していた。それで、毎週のように

入れ替わり立ち代り虚無僧が来る。 当時は月収が1万円ほど。

虚無僧に毎週 100円は 痛い出費。婆さんは不平不満。

虚無僧という商売は ちゃんとした お坊様ではない場合が多く 

きちんと念仏すら唱えられない人も 大勢いました。

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☆ はい、虚無僧は念仏は唱えません。ただ尺八を吹くのみ。

しいて言えば、「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」という普化禅師の

偈(げ)を唱えればよしです。つづけます。

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家の前に立って 勝手に尺八を吹き出して お金を貰うまで吹き続ける

のですから ちょっとした恐喝みたいなものです。 虚無僧の狙いは、

「こんだけ一所懸命吹いているのに この家は一銭も出さないぞ!

ケチな家だ!」といっているみたいなもので ゆすりたかりみたいなものです。

それなのに うちの爺さんは 虚無僧が来るのを心待ちにしているようなもので

うちの近所は 虚無僧のルートになってしまうのです。 

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☆そうでしょう。どうも「門付け(かどづけ)」は ねだりがましいので

私は やめました。「小銭やるから、早くあっちへ行ってくれ」と 出される

方もいます。さて、その村井さんも「60歳を過ぎて、祖父の心に」と。

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本来の虚無僧の心になれば、鎌倉時代の禅僧が 修行の一環として 

諸行無常を知り、ひたすら心を虚しくして 尺八を 吹き続けるのですから 

現代の欲に まみれた生き方を 見直すきっかけになるかもしれません。

 

昔の隠密剣士というTV番組では “志を 持って旅する姿は 必ず

虚無僧姿だった” 事も 思い出します。 大きな志を持ちながら 

自らの欲には 虚心坦懐であるという生き方は 現代にも必要な生き方ですね!

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☆そうか、大きな志、私にもあります。虚無僧の文化をもっと現代に甦らせたい

という志。そのために、己の欲は虚しくしてます。

 


虚無僧っているの?

2016-01-07 21:19:24 | 虚無僧日記

虚無僧で検索して、大橋鯛山氏のブログに私のことが紹介されていました。

彼は、尺八関係の情報収集力、記憶力は抜群で、40年も前に私と

会った時に交わした話の内容まで全部記憶しているから驚きです。

さて、彼のブログから

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ところで 専業 虚無僧っているのでしょうか? 平成に入ってからでも。

はい、います。

西村虚空の弟子、野入虚彗と白土虚晧。この二人は昭和50年代から

虚無僧で生きてきました。あと有名な牧原一路さん、この方は 50歳くらいからの

虚無僧で、実は実力的には十分にプロ尺八家が務まる人です。

それで稼ぎの方ですが、。

野入の場合、昭和51年頃で一日に2千円くらいになったと言います。

ところが、その後の社会変化で虚無僧収入は激減。一番こたえたのは

店がどこも自動ドアになってしまい、尺八を吹いても店から人が出て

こなくなったことだと言います。

 

 (そうそう、私もそう思います。門付けができなくなりました)

 

牧原さんは 名古屋駅で吹いていますが、だいたい時給にすると100円

(1000円じゃないですよ)だと言います。

それで生活できるんかい?  エ~オイ!  

牧原さんは、今は 年金と弟子の月謝。一休の研究家として名高い人で、

時に講演の依頼が有ります。毎日4時間の名古屋駅立ちは、練習の時間、

修行と捉えている。

大由鬼山さんによると、盛り場で酔っ払い相手に尺八を吹くと1日1万以上に

なるそうです。ですが、彼ら(牧原、白土、野入)が けっして実行しないのは、

本当に修行だと思っているからでしょう。

 

 つづく

 

 


流しの虚無僧

2016-01-07 21:19:06 | 虚無僧日記

50年ほど前までは、大阪などに、盛り場をうろつく、流しの虚無僧が

いました。私が大阪で見たのは、虚無僧といっても、ボロボロの三角笠

なんかをかぶって、安物の竹を吹いていました。音程もめちゃくちゃ。

 

東京のスナックで 遭遇した虚無僧は、少しはまともでした。

カラオケなんか無い時代です。どのくらいの腕か 聞いてあげようと、

ママさんの勧めに 私が応諾して、民謡や歌謡曲などを吹いてもらいました。

すると店を出るとき、飲み代に 9,000円も上乗せされていて、驚きました。

当事の初任給が5万円でしたから、法外な請求におどろいたものです。

どうやら、お店とつるんでいたようです。

 

それで、彼らは “ゴロツキ虚無僧” と呼ばれ、嫌われ者となりました。

たまに そのことを知っている方がいて、虚無僧の私を見ると、嫌悪の

まなざしを向けます。

 

名古屋で 知人に頼まれて、その方の行き着けのスナックに 虚無僧の

格好で入っていきましたら、事情を知らないママさんが、カウンターの中から

飛び出してきて、私の手に 1,000円札を握らせて、「これで 帰ってください!」と

言われたこともありんした。

 

でも、いいこともありました。 昼間、居酒屋の前を通ったとき、昼から

飲んでいる “おやじさん”たちに 呼び止められて、中で 数曲吹き、

2,000円くらい いただいたことがあります。 虚無僧を懐かしんで、

呼んでもらえると うれしいものです。

   


選べない同乗者

2016-01-06 09:25:15 | 虚無僧日記

FB友達、大久保直樹さんの今日の投稿です。いつも、私も日ごろ思っていることを

漫画にしてくれるので、笑えます。共感すること多々。

閉所恐怖症の私はEVが苦手です。

「映画の見過ぎ」とありますが、映画では、天井の一画が開くようになって、肩車を

して脱出するなんてシーンがありました。EVに乗ると、まず天井を確認するのですが、

最近のEVは全面照明だったりして、脱出口が無いようです。

そして「閉じ込められたら、トイレに困るだろう」という恐怖も起こります。ですから

トイレを我慢して乗ることはしません。そういう時は、まずトイレに行ってから乗る。

 

以前、ある研修会で、Aさんが来ない。ケータイも無い時代でしたから、無断欠席かと

誰もが思ってました。ところが彼は、ビルの一階まで来ていたのに、乗ったEVが

運悪く途中で止まり、数時間も閉じ込められていたのでした。

そこのビルのEVは、外の壁面に運行状況を示すパネルがない。EVがくれば

△▽のランプが付くだけ。待っている人は何台かあるEVのうち、来たEVに乗るので、

一台が止まっていても誰も気が付かない。Aさんは、中の非常電話で管理人を

呼んでも応答なく。ようやく気づいたビル管理人がEVの保守管理会社に連絡して、

担当者が来て、機械室にはいって不具合を点検してと、数時間を要したとのこと。

そんな記憶があるので、EVは恐怖です。要はEVに乗らず、階段を上ればいい

ということですな。

 

※中国のエレベーター事故

https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=_SeD5VbDLNY