現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「関」って 見所満載の 超スポット 

2014-11-27 20:13:51 | 虚無僧日記

ネットで「関宿」を調べてみたら、地蔵院の向かいに 会津屋という

旅籠がある由。昔は「山田屋」という大旅籠だったのが、今は「会津屋」と。

なぜ「会津屋」になったのか、今度行って聞いてみるべい。

 

その「会津屋」。「女の仇討ち」で有名とか。 知らんかった。

 【関の小万】

小万の父は、九州久留米有馬氏の家来で、剣道指南役「牧 藤左衛門」と言ったが、

同輩の小林軍太夫に殺された。牧 藤左衛門の妻は、身重の身体で 夫の仇を

討つため旅に出たが、鈴鹿峠を越え「関宿」についた頃には旅の疲れが重なって、

地蔵院前の旅籠{山田屋(現、会津屋)の前 まで来たときには 行き倒れ同様の

有様であった。

親切な山田屋の主人と女将に助けられ、手厚く看病され、女はそこで女児を産んだ。

それが小万である。女はまもなく、子供の将来を宿の主人に託して、死んだ。

小万は成長して 養父母から両親のことを聞かされ、女の身ながら亡き母の志を継いで

亡父の仇討ちをする決心をする。 山田屋の主人は、亀山藩家老 加毛寛斎に頼んで

武芸を習わせた。小万は、幾多の困難と苦労に耐え、武道に励んだ。

天明三年八月、運良く仇と巡り会うことができた小万は、馬子姿に変装して 亀山城

大手前の辻で仇のくるのを待ち受け、見事本懐を遂げることができた。

これにより、関の小万の名は一躍高まったが、その後も山田屋にとどまって、

養父母に仕え、享和三年36歳の若さで死んだ。 

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「仇討ち」と言えば「日本三代仇討ち」のひとつ、「荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘」。

あれは、鈴鹿のすぐお隣の 伊賀上野、鍵屋の (現三重県伊賀市小田町)」でした。

 

ところで 「せきのやま」 の語源が、この「関の山車」のこととか。

ネットで語源を調べると、「京都の八坂神社の祇園祭に出される 関の山車(だし)は 

超豪華でこれ以上立派なものはないという意味」と。 でも なんか変。

関から京都の祇園祭りに 山車なんか出ていません。移動できないでしょう。

それに、「せきのやま」とは 「一生懸命やってできる可能な限度。精いっぱい」

というニュアンスです。

いろいろ調べてわかりました。 関には 今 4台の山車が現存しています。

そんなに たいしたものではありません。つまり 「豪華で大きいものを

作りたいが、道幅を考えると、この大きさが限度一杯」という意味でした。 

 

 

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