私小説『虚無僧おどり』です。①~⑥は「カテゴリー」を
「小説『虚無僧おどり』で検索して、見てください。
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七、夏美の卒論
夏美は大学四年になっていた。卒論のテーマを何にするか
悩んでいた。就職も考えなければならない。父が亡くなった時は、
マスコミにも追いかけられ散々だった。「どまんなかまつり」で
「虚無僧おどり」を踊ったことと、父が虚無僧として死んだことの
関連が、面白おかしく 週刊誌に書きたてられた。それをいちいち
読んではいないが、祖母も母も「世間体が悪い」と、針の筵に
座らされたように、片身の狭い思いをし、ますます父を恨んでいた。
だが、父の放蕩の血を受け継いだ夏美は、これをチャンスとして
生かす方法はないものかと、あれこれ思いをめぐらしていた。
せっかく「虚無僧」を世間に知らしめたのだ。良いPRになった
のは確かだ。「虚無僧」に関連して「和」の文化を、現代にもっと
広められないか。
そうだ、父母は「呉服屋」を経営していたのだった。父が店の
金を持って家出したため、祖父はその穴埋めで四苦八苦し、心労で
倒れた。入院が長引き、医療費はかさみ、店の借金は膨れあがり、
祖父が亡くなると、店を締めざるを得なかった。
すべては“父のせい”だが、その借金も今はすべて返済し終わって
いた。父が遺してみれた保険金の6千万円で何ができるだろう。
「もう一度呉服店を再建してみよう」かと、夏美は考えた。
『虚無僧おどり』で多くの仲間ができた。着物を着る習慣は減った
とは言っても、成人式で毎年1万人の若い女性が着物を着る。
卒業式では、袴をはく女性も多くなっている。
名古屋では花火大会などで浴衣を着る若い女の子も増えてきている。
さらに、名古屋城、白鳥庭園、徳川園などでは、和服姿だと
入場券を割り引くなどして、着物を着ることを奨励している。
能楽堂にみえる客層も和服姿が目立つ。「どまんなか まつり」では、
1万人もの参加者が和風のオリジナル衣装をつける。
「江戸文化・歴女ブーム」なども追い風になっている。茶道や
お箏、三味線などと複合的に“和”の文化を広げることは
できないだろうか。
さらに、イベントを考えてみると、「名古屋おもてなし隊」
「戦国武将隊」や「戦国姫隊」などが観光PRに一役かっているし、
「名古屋祭り」「春姫道中」「大須おいらん道中」「大須大道
町人祭り」「コスプレ大会」「広小路まつり」そして「どまんなか
祭り」と祭りも多い。「徳川宗春」によってもたらされた「芸
どころ名古屋」だ。一通り出そろっている。新たなイベントは
立ち上げられるのだろうか。
名古屋での呉服事情についても調べてみた。呉服店は500店。
貸衣装店は60店舗。そこへ新規参入するのではなく、加盟店が
共同して企画し、利益を公平に得る、“共存協栄”の企画を
考えることだ。そんなことを毎日考え、ボーッとしていることも
多くなった夏美だった。
「夏美、このごろ変よ」。昼休みの食堂で、ゼミ仲間の朋美が
声をかけてきた。
「卒論のテーマを考えているの」
「卒論、何にするの?」
「呉服屋の経営」
「呉服って着物の?」
「ムリムリ、今時、着物なんて古いワ」
「着物買たって、自分じゃ着れないじゃん」
そうか、着物を売っても「着付け」が必要なのだ。自分で着物を
着れるように、呉服屋で「着付け教室」を開いていたり、
「○○学院」のように、「着付け」専門の学校もある。美容院でも
着付けをやっている。美容院も関連業者
他にも、関連するものを考えてみた。足袋や草履、ハンド
バックなどの持ち物も揃えなくてはならない。
いっそ、それらすべてを一箇所でまかなえるネット上の総合商社を
立ち上げたらどうだろう。「着物を着て、どこかに出かけたい」と
いう人に「イベントやお店」を紹介する。「お祭り」などのイベント
情報も公開し、「着物が一人では着れない」という人には「着付け師」を
派遣する。
さらに、「お箏を習いたい」人には「近くで お箏を教えたいと
いう人を」、「尺八を教えたい」という人には、「尺八に興味あり
そうな人を」紹介する。虚無僧の用具も どこで買ったらいいか、
相談を受ければすぐ取り寄せる。着物と履物と小物のコーディネート
も、パソコン画面でする。
小中学校で「茶道」や「華道」「箏・三絃・尺八」など「和」に
触れさせる課外授業を提案し、講師を派遣する。他には何が
あるだろう?。いろんなニーズに応えるために、アンケートを
とってみることにした。
(つづく)
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七、夏美の卒論
夏美は大学四年になっていた。卒論のテーマを何にするか
悩んでいた。就職も考えなければならない。父が亡くなった時は、
マスコミにも追いかけられ散々だった。「どまんなかまつり」で
「虚無僧おどり」を踊ったことと、父が虚無僧として死んだことの
関連が、面白おかしく 週刊誌に書きたてられた。それをいちいち
読んではいないが、祖母も母も「世間体が悪い」と、針の筵に
座らされたように、片身の狭い思いをし、ますます父を恨んでいた。
だが、父の放蕩の血を受け継いだ夏美は、これをチャンスとして
生かす方法はないものかと、あれこれ思いをめぐらしていた。
せっかく「虚無僧」を世間に知らしめたのだ。良いPRになった
のは確かだ。「虚無僧」に関連して「和」の文化を、現代にもっと
広められないか。
そうだ、父母は「呉服屋」を経営していたのだった。父が店の
金を持って家出したため、祖父はその穴埋めで四苦八苦し、心労で
倒れた。入院が長引き、医療費はかさみ、店の借金は膨れあがり、
祖父が亡くなると、店を締めざるを得なかった。
すべては“父のせい”だが、その借金も今はすべて返済し終わって
いた。父が遺してみれた保険金の6千万円で何ができるだろう。
「もう一度呉服店を再建してみよう」かと、夏美は考えた。
『虚無僧おどり』で多くの仲間ができた。着物を着る習慣は減った
とは言っても、成人式で毎年1万人の若い女性が着物を着る。
卒業式では、袴をはく女性も多くなっている。
名古屋では花火大会などで浴衣を着る若い女の子も増えてきている。
さらに、名古屋城、白鳥庭園、徳川園などでは、和服姿だと
入場券を割り引くなどして、着物を着ることを奨励している。
能楽堂にみえる客層も和服姿が目立つ。「どまんなか まつり」では、
1万人もの参加者が和風のオリジナル衣装をつける。
「江戸文化・歴女ブーム」なども追い風になっている。茶道や
お箏、三味線などと複合的に“和”の文化を広げることは
できないだろうか。
さらに、イベントを考えてみると、「名古屋おもてなし隊」
「戦国武将隊」や「戦国姫隊」などが観光PRに一役かっているし、
「名古屋祭り」「春姫道中」「大須おいらん道中」「大須大道
町人祭り」「コスプレ大会」「広小路まつり」そして「どまんなか
祭り」と祭りも多い。「徳川宗春」によってもたらされた「芸
どころ名古屋」だ。一通り出そろっている。新たなイベントは
立ち上げられるのだろうか。
名古屋での呉服事情についても調べてみた。呉服店は500店。
貸衣装店は60店舗。そこへ新規参入するのではなく、加盟店が
共同して企画し、利益を公平に得る、“共存協栄”の企画を
考えることだ。そんなことを毎日考え、ボーッとしていることも
多くなった夏美だった。
「夏美、このごろ変よ」。昼休みの食堂で、ゼミ仲間の朋美が
声をかけてきた。
「卒論のテーマを考えているの」
「卒論、何にするの?」
「呉服屋の経営」
「呉服って着物の?」
「ムリムリ、今時、着物なんて古いワ」
「着物買たって、自分じゃ着れないじゃん」
そうか、着物を売っても「着付け」が必要なのだ。自分で着物を
着れるように、呉服屋で「着付け教室」を開いていたり、
「○○学院」のように、「着付け」専門の学校もある。美容院でも
着付けをやっている。美容院も関連業者
他にも、関連するものを考えてみた。足袋や草履、ハンド
バックなどの持ち物も揃えなくてはならない。
いっそ、それらすべてを一箇所でまかなえるネット上の総合商社を
立ち上げたらどうだろう。「着物を着て、どこかに出かけたい」と
いう人に「イベントやお店」を紹介する。「お祭り」などのイベント
情報も公開し、「着物が一人では着れない」という人には「着付け師」を
派遣する。
さらに、「お箏を習いたい」人には「近くで お箏を教えたいと
いう人を」、「尺八を教えたい」という人には、「尺八に興味あり
そうな人を」紹介する。虚無僧の用具も どこで買ったらいいか、
相談を受ければすぐ取り寄せる。着物と履物と小物のコーディネート
も、パソコン画面でする。
小中学校で「茶道」や「華道」「箏・三絃・尺八」など「和」に
触れさせる課外授業を提案し、講師を派遣する。他には何が
あるだろう?。いろんなニーズに応えるために、アンケートを
とってみることにした。
(つづく)