堀井小二朗は福沢諭吉の次男捨次郎の妾腹の子ですが、孫たちの中で、一番「福澤諭吉」にそっくりです。額、鼻、口が似ていると思いませんか?
福澤諭吉は奥さんを愛し、倫理、道徳観念の強い人でしたが、その子供たちは、渋沢栄一同様、けっこう遊び人でした。福沢諭吉の次男「捨次郎」と京都の芸妓との間に生まれたのが堀井小二朗です。父の世話で東京池上に屋敷を与えられ、慶應に入っています。昭和4年慶應法学部卒。
「捨次郎」の子なので「小次郎」が本名ですが、「小次郎」の名を嫌って「小二朗」という芸名で、戦後一貫して尺八家として活躍しました。
当時の尺八家は、一般にお琴の師匠から見れば旦那衆(パトロン)で、お琴の会などでは、尺八家の方が「御祝儀」を出すのが通例でした。それを堀井小二朗氏は「私は音楽家、演奏で食べていますから、ギャラをいただきます」と明言して、当時の邦楽界から総すかんくらったのでした。堀井氏がそう主張してくれたことで、その後、私なども箏の会で出演料をいただけるようになったのです。
昭和39年NHK/FM「現代の日本音楽」で、NHKの委嘱で「竹の韻」が放送されました。山川直春と共作で、演奏時間30分に及ぶ大作。尺八演奏は、青木静夫(後鈴慕)、宮田耕八郎、横山勝也、村岡実。当時まだ20代の新進気鋭の面々。指揮は杵屋正邦。その第二部、三部は、虚無僧本曲の「滝落ちの曲」「神保山谷」をアレンジしたもので、これを機に現代音楽にイッキに火が付きます。
堀井小二朗師は昭和30年代に「尺八は尺八家によって滅びる。音程も悪い、リズムも悪い、こんな尺八吹きばかりでは、尺八はもう家族からも厭われて、子や孫に継承されない。音程もリズムも正確なコンピュータ尺八が出てこなければ尺八は滅びる」と明言。そして尺八のメリ音をはっきり出すために「9孔尺八」を使用し、映画「二十四の瞳」や「宮本武蔵」などでバックに尺八を吹きこんでいます。
私、牧原一路は、堀井小二朗氏に師事し、9孔尺八の唯一の後継者です。