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現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「ロバート・キャパ」の真実

2013-04-26 18:18:19 | 地球人類の問題
「崩れ落ちる兵士」と題した一枚の写真が「ライフ」に
掲載され、「アメリカ人のロバート・キャパ」の名が
一躍世界に知れ渡った。

「ロバート・キャパ」の本名は、ユダヤ系ハンガリー人
「エンドレ・フリードマン」。

まだ20代の無名の青年と、その3才年上の恋人「ゲルタ・
ボホイル」は、自分達を売り込むために、「アメリカ人の
ロバート・キャパ」というカメラマンを作りだした。
「フリードマン」は「ロバート・キャパ」を名乗り、
恋人の「ゲルタ・ボホイル」も「ゲルダ・タロー」という
名に改めた。

女性で「タロー」とは面白い。なんと「岡本太郎」に惚れて
その名前をとったとか。

1936年7月、スペイン内戦が始まると、二人は被写体を求めて
戦場へと赴いた。「崩れ落ちる兵士」が撮影されたのは
1936年の9月。『ライフ』に掲載されて、一躍有名人となるが、
キャパはこの写真について公式に語ることはほとんどなかった。
注釈や解説文もつけることはなかった。そのことから、この
写真が「銃弾に倒れた兵士」ではないのではないかという疑惑は
当初からささやかれていたという。

同じ瞬間を捉えた写真がもう一枚あることから、「フリードマン」と
「ゲルタ」の二人が同じ被写体に向けて、同時にシャーターを
切ったのではないか。あの写真は「ゲルタ」が撮ったのでは
という疑惑も生じた。だが これはあくまで推測。

しかし事実がどうであれ「崩れ落ちる兵士」が彼を「偉大な
キャパ」に変えてしまった。「秘密」を分かち合う恋人の
「タロー」は、その一年後、戦車に轢かれて死んでしまう。
26歳だった。キャパは「十字架」を背負って生きていくことと
なった。

キャパはまるで“自殺志願者のように”、銃弾に身をさらして、
淡々とシャッターを切った。まるで銃を撃つ兵士のように。

だが、彼の著作『ちょっとピンボケ』という題が示すように、
人と接する時は、陽気で人なつっこく、誰ともすぐ打ち解けた
という。

1954年、彼は40歳でインドシナ戦線で亡くなる。乗っていた
ジープが地雷に触れて吹き飛ばされたのだった。その直前、
彼はなんと日本に来ていた。日本各地で大歓迎を受け、
あちこちで写真を撮っていたのだった。



プロボーラー「名和秋」

2013-04-26 14:32:21 | プロとアマ
「美人すぎるプロボーラー」、その名はアキ。
いぃえ「名和 秋」さん。1979年生れ。34歳。

父親はドリラー(ボウリングのボールに指穴を
あける職人)。母親は元プロボウラーという
環境で、高校から特訓を受ける。

2006年放送のBS日テレ「P★League」第2戦で優勝、
同年、「全日本女子選手権」でパーフェクト(300)。
箸や鉛筆は左利きだが、ボウリングは右投げ。

「ボウリングは誰でもなじみやすいゲーム、
かつてのブームをもう一度 巻き起こしたい」と。
わが尺八界とも同じ思いを熱く語る。


「ボウリング革命 P★League」は、BS日テレ
で放送されている、日本の女子プロ・女子アマチュア
ボウラーによるボウリングトーナメント番組。

番組名のPは
Pretty - プリティー/かわいい
Power - パワー/力強い
Passion - パッション/情熱
Performance - パフォーマンス/魅力的
Perfect - パーフェクト/300点GET

「名和 秋」写真

「キャパの十字架」沢木耕太郎

2013-04-26 04:02:00 | 地球人類の問題
4/25 今朝のNHKラジオ深夜便は、ノンフィクション作家の
「沢木耕太郎」さん。あの有名な戦争カメラマン「ロバート・キャパ」が
撮ったとされる「崩れ落ちるる兵士」の写真について、「兵士は
死んでなかった」「あの写真はキャパが撮ったものではなかった」と
明らかにした作家です。
今年はキャパ生誕100年。2月3日にNHKスペシャルで報道され、
た各地で「ロバートキャパ展」が開催され、今話題になっている
ようです。

第二次世界大戦前夜、1936年に起こったスペイン内戦。
ロバート・キャパが撮ったとされる写真「崩れ落ちる兵士」は、
共和国軍の兵士が(撃たれて?)倒れる瞬間を捉えた写真として、
『ライフ』に掲載され、報道写真史上、最も高名な「聖画」と
なった。

沢木耕太郎は、20代の時「キャパの伝記」の翻訳を依頼される。
それは彼にとっての初仕事だったそうな。それから20年、
キャパに関心を持ち続け、いろいろ調べていくうちに、「あの
写真の兵士は死んでいない、キャパが撮った写真ではない」という
疑惑がささやかれていることを知る。

同時期に撮られたとされる他の写真から、地形を特定し、伝えられる
場所とは別の場所であることが判った。その日、そこでは戦闘は
行われていなかった。

結論を言えば、あの写真は「演習中に足を滑らせた兵士の姿であり、
撮影者は、キャパの恋人、ゲルダ・タロー」だった。

あの有名な、世界を感動させた写真が、演習中に足を滑らせた
だけの話だったとは、しかもキャパが撮ったものではない」と
なると、“贋作騒ぎ”になる。ところが、沢木は、『キャパの
十字架』というタイトルで、次のように結論づけた。

ユダヤ系ハンガリー人のキャパは当時まだ20代の若者だった。
あの写真が「ライフ」に載ったことで、一躍「偉大な戦争写真家」となった。
その後、写真の撮影者である恋人が26歳で、戦車に轢かれ
亡くなった。その「負債」を負ったゆえに、キャパは、それ以後、
銃弾の飛び交う戦場に身をさらし、ノルマンディー上陸作戦では、
「波の中の兵士」を撮り、真の戦場カメラマンに上りつめていく。
そしてキャパは40歳でベトナム戦争で死んだ。

「沢木」は言う。「キャパは天国で『真相を暴いてくれるな』とは
言わないでしょう。むしろ『真意を明らかにしてくれ』と言う声が、
私には聞こえてきた」と。

「十字架を背負った者は、真の人間になる」ということか。