舌がもつれることを「ろれつが廻らない」という。
「呂律」という漢字を当てる。辞書では「雅楽に
呂旋と律旋があり、呂も律も使いわけられないことから
呂律が廻らない」となったと書かれている。
「呂旋(りょせん)」は洋楽で言う 長音階。
「ドレミファソラシド」となる。
「律旋(りつせん)」は 短音階。
「ラシドレミファソラ」と並ぶ音階。
どうやら「雅楽」より、平安時代に唐から伝わった「声明」
(しょうみょう)に由来しているようだ。 「声明」にも
「律旋法」と「呂旋法」があり、両者の歌い分けができない
ことから「呂律が廻らない」と。
そういえば「慈覚大師円仁」は、声明の音程が取りにくいので
「尺八」を吹いて指導したとか。
さて、すべての辞書や解説に、「ロレツは呂律」と書かれて
いるが、その出典が見当たらないのだ。いつ頃から使われる
ようになったのかも明らかでない。
なんでも異議を唱えたくなる私。
まず「呂律」を「ろれつ」とは読めない。「呂旋」と「律旋」に
「廻らない」とはどういうことか。
「徒然草」の作者吉田兼好は、「唐土は呂の国なり。律の音なし。
和国は律の国にて、呂の音なし」と記している。ということは、
日本では「律」のみなのだから、使い分けは無かったことになる。
そこで、私の「珍説」登場。
尺八の音階は「ロツレチハ(り)」となっている。江戸時代半ばに
江戸の虚無僧たちによって使われていた。(関西は「フホウエヤイ」と
違う音名)。
手孔を全部閉めた筒音が「ロ」。下の手孔から順番に開けて「ツ、
レ、チ」となる。「ロツレ」と順番に開けるのは簡単だが、
「ロレツ」となると、初心者はまごつく。「ロレツ」と上手く
指が廻らないのだ。というわけで「ロレツが廻らない」とは、
尺八の稽古からきているのだ。まちがいない!
「呂律」という漢字を当てる。辞書では「雅楽に
呂旋と律旋があり、呂も律も使いわけられないことから
呂律が廻らない」となったと書かれている。
「呂旋(りょせん)」は洋楽で言う 長音階。
「ドレミファソラシド」となる。
「律旋(りつせん)」は 短音階。
「ラシドレミファソラ」と並ぶ音階。
どうやら「雅楽」より、平安時代に唐から伝わった「声明」
(しょうみょう)に由来しているようだ。 「声明」にも
「律旋法」と「呂旋法」があり、両者の歌い分けができない
ことから「呂律が廻らない」と。
そういえば「慈覚大師円仁」は、声明の音程が取りにくいので
「尺八」を吹いて指導したとか。
さて、すべての辞書や解説に、「ロレツは呂律」と書かれて
いるが、その出典が見当たらないのだ。いつ頃から使われる
ようになったのかも明らかでない。
なんでも異議を唱えたくなる私。
まず「呂律」を「ろれつ」とは読めない。「呂旋」と「律旋」に
「廻らない」とはどういうことか。
「徒然草」の作者吉田兼好は、「唐土は呂の国なり。律の音なし。
和国は律の国にて、呂の音なし」と記している。ということは、
日本では「律」のみなのだから、使い分けは無かったことになる。
そこで、私の「珍説」登場。
尺八の音階は「ロツレチハ(り)」となっている。江戸時代半ばに
江戸の虚無僧たちによって使われていた。(関西は「フホウエヤイ」と
違う音名)。
手孔を全部閉めた筒音が「ロ」。下の手孔から順番に開けて「ツ、
レ、チ」となる。「ロツレ」と順番に開けるのは簡単だが、
「ロレツ」となると、初心者はまごつく。「ロレツ」と上手く
指が廻らないのだ。というわけで「ロレツが廻らない」とは、
尺八の稽古からきているのだ。まちがいない!