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現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

お知らせ

2011-05-22 21:29:51 | 虚無僧日記
私のホームページは、「一珍君」に、制作と管理を
お願いしています。

尺八と一休語りの虚無僧一路」。

そのH.P.の「メールフォーム」からのメールが届かない
ようです。改善を「一珍君」に頼んでおりますが、只今、
「一珍君」のパソコンが壊れて開けません。買い換える
まで、お待ちください。

私への直接のメールアドレスは下記ですので、こちらに
お願いします。

   goo3360_february@mail.goo.ne.jp





女流尺八家 次つぎと

2011-05-22 20:19:19 | 虚無僧日記
You-Tubeで、女性尺八奏者二人による「祈り」を見つけた。

櫻井咲山高須理恵 の二人。櫻井咲山は都山流。
高須理恵は琴古流。そして二人とも東京芸大卒とのこと。

女流尺八家としては、「Rin」というバンドで活躍していた
「長須与佳」。(Rinは解散したとか)。

そして「金子 朋沐枝」。
この二人も東京芸大出。

この他にも、私が知っているだけで、若手女性尺八家は
数人いる。いずれも上手い。

ひと昔前までは、「尺八は男のモノ、女性は肺活量が
無いから吹けない」なんて言われていた。ついでに、
「外人は不器用だから、尺八のような繊細な技法は無理」
とも。それが今や、尺八は「外国人と女性」のモノとなって
しまった。

私も含めて、わが弟子たちよ、何十年も吹いていて、
「尺八は難しい、吹けなくて当たり前」で 修練を怠って
きた。情けない、恥ずかしいとは思わんのか! カァーツ。






大河内淳矢君も活躍

2011-05-22 19:23:46 | 虚無僧日記
大河内淳矢君からCDが送られてきた。ヴァイオリンの
山内達哉氏の曲に尺八で加わっている。

彼は、20歳前に私の所に尺八を習いに来、半年後には
大舞台で『春の海』を吹いた。もう教えることも無くなり、
桐朋音大に入って、坂田梁山氏や水野利彦氏に世話になり、
さらにNHK育成会(最後の期)にすべりこんだ。

愛知県出身では、野村邦山師の御子息「野村幹人」君や、
「岩田卓也」君が大活躍している。ライバルに もまれ
ながら、彼も苦労しているのだろう。ようやく芽が出た
かと、うれしい喜びでいっぱいだ。

山内達哉氏も桐朋音大卒。彼とともに アイルランドに
演奏旅行に行ってきたとの報告。

さっそくCDを聞いた。すばらしい。今までの尺八とは
全然違う。私もこういう音楽を求めていた。「山内達哉」
検索したら、You-Tube で結構出てくる。彼の最初のCD
では、坂田梁山師と岩田卓也君が尺八を吹いている。
力強く、そして美しい。もう、今までの尺八とは全く違う
奏法だ。

今、私は、詩吟CD製作に 尺八伴奏を頼まれている。
こうした新しい感覚の伴奏をしたいと思っていたところ。

尺八の世界は、どんどん吹き方が改良されている。
終わりの無い修練だ。今日も一日、CDと You-Tube を
聞いて 勉強した。弟子から学ばせてもらっている。

会津と長州・薩摩は犬猿の仲?

2011-05-22 18:09:54 | 会津藩のこと

今回の「大震災・津波・原発事故」では、山沿いの会津は
直接被害は少なかったものの、山口県から「謙信が武田に
塩を送った」故事に因み、救援物資を送り届けたとのこと。

「会津側が山口県の好意に感激して泣いた」などという
ニュースは無かったようだ。
そうした、いつまでも過去にこだわる偏狭さが、会津が
発展しない素因になっていると、私は、最近、ようやく
思えるようになってきた。

戊辰戦争で、会津藩士は壊滅的打撃を受けた。着の身
着のままで、下北に追われた。不毛の地だ。食べ物も無い。

だが、それを救ったのは 長州・薩摩藩だったのだ。
新政府は、会津藩士の窮状を見かねて、生活費や米などの
救援物資を送っている。それが無ければ、厳寒の地で
全員餓死していたはずだ。

そして、長州の奥平謙輔は、有為の少年たちを引きとって
養育したり、前原一誠らは 1,000円もの救援金を出している。

明治の「名外交官」となった 林権助もそうだ。権助は、
鳥羽伏見で大砲隊長だった父と祖父を失い、孤児となる。
その時8歳。

薩摩藩の児玉実文が、「禁門の変」の時、林権助の父と
共に御所の警固に当たっていた縁で、権助を引き取り、
養育した。そのおかげで 林権助は、東京帝学を出て、
外務省に入り、韓国併合の功によって男爵、枢密顧問官に
なったのだ。

薩摩の大山巌は、会津藩家老 山川大蔵の妹「捨松」を
妻にした。

そういう話は、あまり表に出さず、ひたすら「被害者」
意識を誇張してきたのは、小説家の「罪」だという声も
最近出始めてきた。私もそう思うようになってきた。

いつまでも「怨恨」を抱いているようでは、進歩発展はない。