5月1日から東京に行き、本日 無事 帰着。
東京は節電で、駅も電車の車内も電気を半減し、
うす暗かったが、「これでいいのだぁ」と思う。
2日、母と妹と3人で 父の墓参り。千葉の
房総半島の真ん中の長南町。片道3時間。
「なんで こんな遠いところに買ったのか」との
思いも湧くが、行きは、アクアラインを通って
東京湾の真ん中の「海ほたる」で一服。東京方面も
千葉方面も霞んで見えず、東京湾は思っていた
以上に広かった。
幕末、会津藩は、千葉の富津と神奈川の三浦三崎、
そして品川の第二台場を 警備していた。ペリーの
来航時、手漕ぎの舟で取り囲み、行く手を阻止した
のは、会津藩だったが、この広い海で、よくぞ、
ペリーの 黒船に近づけたものと感心する。
墓参りを済ませて、山武郡山室町の「山室城跡」と、
芝山町の「飯櫃城跡」に廻ってみた。母方の先祖の
地とおぼしき城跡だ。山林と畑地になってはいるが、
城跡の遺構も残り、碑も立てられていた。
父の墓所からは 4、50キロ 北東だったが、父が
千葉に墓を求めたのも、先祖の因縁かと感じる。
東京は節電で、駅も電車の車内も電気を半減し、
うす暗かったが、「これでいいのだぁ」と思う。
2日、母と妹と3人で 父の墓参り。千葉の
房総半島の真ん中の長南町。片道3時間。
「なんで こんな遠いところに買ったのか」との
思いも湧くが、行きは、アクアラインを通って
東京湾の真ん中の「海ほたる」で一服。東京方面も
千葉方面も霞んで見えず、東京湾は思っていた
以上に広かった。
幕末、会津藩は、千葉の富津と神奈川の三浦三崎、
そして品川の第二台場を 警備していた。ペリーの
来航時、手漕ぎの舟で取り囲み、行く手を阻止した
のは、会津藩だったが、この広い海で、よくぞ、
ペリーの 黒船に近づけたものと感心する。
墓参りを済ませて、山武郡山室町の「山室城跡」と、
芝山町の「飯櫃城跡」に廻ってみた。母方の先祖の
地とおぼしき城跡だ。山林と畑地になってはいるが、
城跡の遺構も残り、碑も立てられていた。
父の墓所からは 4、50キロ 北東だったが、父が
千葉に墓を求めたのも、先祖の因縁かと感じる。