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ミーハー小父さんの落書き帳

記事 「近聞遠見:『平成の首相』、粘りがない=岩見隆夫

2008年09月06日 | ニュース
 宮沢喜一元首相は93年夏の衆院選のあと辞任、38年間の自民党単独政権にも幕を下ろしたが、しばらくして宮沢に尋ねたことがある。

 「あの選挙は負けたわけではないから、辞める必要がなかったのではないですか」

 「わたしもそう思ってるんだよ」

 「では、なぜ……」

 「それがわからんのだ。とにかく梶さん(梶山静六・当時幹事長)が『辞めろ、辞めろ』とせっつくもんだから」

 酒席の放談だったが、それだけ本心を語っているように思えた。

 退陣を求めた理由は推測の域を出ないが、政略好きでない宮沢にはわずらわしかったのかもしれない。それにしても、続投を決意して粘ってもおかしくない場面だった。

 宮沢政権を副総理として支えた後藤田正晴が、退陣後、

 「宮沢さんは何でもわかっている人なのに、やろうとしない。歯がゆい思いをした」

 と漏らしたことがあった。断行型の後藤田には、万事控えめの宮沢が理解しにくかったに違いない。

 福田康夫首相も宮沢と似ている。押しが足りない。ふてぶてしさに欠ける。2人ともそうした属性を嫌っているフシがあるが、権力者には必要である。

 福田も熟慮の末の辞任だろうが、熟慮の中身が問題で、

 「私の先を見通す目の中には、決して順調ではない可能性がある」(辞任会見)

 という発言には驚かされた。福田でなくても、だれの目にもそう映っていた。だからこそ、首相の政治手腕が求められていたのではないか。後日、自民党の両院議員総会で、福田が、

 「国民がわくわくするような自民党を……」

 と注文したのには、二度驚かされた。わくわく、とまったく逆の辞任劇を演じておきながら、だ。

 福田の辞任は自民党の選挙に救命ブイを投げることになるのかもしれない。かりにそうだとしても、首相というポストの信頼性、権威を著しく軽くした責任は大きい。

 福田は首相に向いていなかった。宮沢もそうだが、一人ひそかに自負を感じるタイプは、人物として魅力があっても、国民はついていけない。

 平成に入って首相に就任したのは宇野宗佑から福田まで12人だ。小泉純一郎の5年半在任を別にすれば、あとの11人の平均はなんと1年3カ月、これでは政治にならない。共通性があった。全員、粘りに欠ける。

 辞め方にそれが顕著だ。完投したのは小泉1人だが、小泉も人気が落ちればさっさと辞めそうな感じだった。

 あとはすべて投げ出しである。小渕恵三、安倍晋三は健康上の理由だから同情はするが、健康管理も粘りのうちだ。

 宮沢、細川護熙、村山富市、福田の4人は、なぜ辞めたのかわからない。粘れば延命の余地があった。

 宇野、海部俊樹、羽田孜、橋本龍太郎、森喜朗の5人は追い詰められての投げ出しで、粘りが足りないから追い込まれるのを避けることができなかった。とにかく、平成の20年間、あっけない幕切ればかり見てきたような気がする。

 なぜもっとしぶとくなれないのか。時代のせいか。12人中8人が世襲政治家で占められていることも無縁ではなさそうだ。純粋の初代は海部と村山だけ。

 それにひきかえ、昭和後期の岸信介から竹下登まで10人の首相は全員初代、平成組より粘りがあった。

 「政権に恋々とする」

 などと言う。それが潔くないとみられがちだが、思い切り恋々としてもらわないと、政治は空回りの繰り返しだ。(敬称略)=毎週土曜日掲載

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 岩見隆夫ホームページhttp://mainichi.jp/select/seiji/iwami/

毎日新聞 2008年9月6日 東京朝刊

 総理大臣ポストがどいうものかやってみたことがないので分らないが、在任が1年じゃ、まともにやっても何もできないだろう。ただ右につく予定の予算が左側に変わったくらいの変化はあるのかな?

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