色々と物議を醸した参院選も予想通り民主党の圧倒的な勝利で終了した。
この数ヶ月の自民党の凋落ぶりは、十数年前の細川政権誕生を思い起こさせるものであった。
年金と言う身近な問題は庶民の懐を直撃したし、赤城農水相などの度重なる不祥事と能天気な表情は、いくら政治に関心が薄いと言ってもノーと言うに十分な所作ではあった。
大衆的な反乱の象徴的なことは、岡山の出来事であろう(写真)
考えてみるとバブル景気から崩壊の時に、政治も経済も文化もあらゆる転換点があったと思う。
あの時に世界的には冷戦構造が崩れ、多極的な社会、グローバルな情報社会が始まり、アメリカがいち早くITフリーウエイを構築し、様々な技術革新を行った。
其の中であらゆる国々が、固有の政治経済体制とグローバリズムの調整に苦労したが取り分け文化的に異質なアジア社会、特に日本は対応に苦慮したように思う。
其の中で様々な調整を行ってきたのがこの十数年間であったように感じる。
そのような流れを熟知し、其の先端で活躍してきた黒川さんが政治に挑戦していることに、私は非常に興味があった。
都知事選に立候補した時は、よく理解出来なかったがこれほど執拗に取り組むには何か期する所があるのであろう。
昔なら私も必死で謎解きをしたと思う。
ただ二十余年も遠ざかっていると、人間が変わったのかとも思う。
私が知る黒川さんは狙ったものは必ず手に入れたものだが、最近テレビで見る其の表情や、意見は何となく昔日のものではない。
人間社会では表面に現れてくることと、深いところで流れている真相とが必ずしも一致するものではない。
ただそれは人間の体のように内部的な問題はいつかは表面化してくるものである。
十数年たってやっと様々な矛盾が露呈して、一般大衆がそれを肌で感じるようになったと言うことだろう。
多くの新しい人々の登場で政治の様々な状況が見え、其の中で生活に直結する問題が議論されていく事を期待したい。
やっと本当の意味での政治の季節が到来しつつあるのかもしれないと思う。