木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

日本橋界隈

2007-04-18 23:30:02 | Weblog
昨日日本橋大伝馬町に出来たマンションの調査を行った。デューデリゼンスの仕事を始めてから、この周辺の浜町、人形町、蛎殻町、茅場町あたりへ来ることが多くなり、改めて密度の高い街並みに感心している。
以前はどうしても山手方面に仕事が集中しがちで下町は縁が薄かった。

改めて都市計画図を見てみると中央区のほとんどは商業地域で容積率は500%以上である。投資効率が良いわけだから、整ったビルが出来て当然だろう。加えて江戸時代からの商業活動の中心地だから様々な施設が立地している。大伝馬町の町を歩いていると、すぐ向こうに新しく出来たホテル・マンダリンオリエンタルが入る三井タワーが見える。こんなに近いのだとびっくりしながら、街の成り立ちについて思いを馳せた。
小伝馬町、大伝馬町と言うのは読んで字のごとく幕府の伝馬役がいたところで結果的に、旅の宿が集中していた場所である。隣の馬喰町も同じように宿場町として発展して来た。もう一つ伝馬町は吉田松陰が投獄された牢獄があったことで有名であるがこれは明治の初期に移転されている。その後繊維関係の問屋が集中して商業活動によって発展した。
私の親戚が子供服を扱うメーカーをしていたが、その人が本社を造るのに浜町界隈にこだわったことが今となっては良くわかる。何も知らない当時の私は、原宿を勧めたものであった。
隣接する人形町も味のある街である。明治座で有名であるが元々人形作りの職人が多く住んだ由来がある。良く知られた甘酒横丁に創業年間を誇らしげに書いた名店が並んでいるがここは以前路地の研究をしたときにモデルにした地域でもある。
私が子供の頃プロレスの力道山がイベントを行っていたリキ・スポーツパレスも人形町にあったと聞いた。

そういえば小伝馬町には、私が本社ビルを設計した佐倉市の常磐植物化学研究所の東京営業所があった。今は発展して東京支社となり、三井タワーの斜め向かい側のビルに入居されている。立崎社長にこの辺りの珍しい飲食店でご馳走になったことも懐かしい。

その他小網町、小舟町、本町、室町などこのあたりの地名はみな其の前に日本橋が付く事に改めて感じ入っている。まさにお江戸・日本橋である。日本橋地区を貫通する中央通りは、江戸時代からこの方、それこそ日本の目抜き通りであったのだろう。
そしてこの通りに店を出すことが、当時の商人の大きな夢であったのだろう。
新宿、池袋、渋谷などのターミナル商業地にのみ目を奪われやすいが、長い歴史に培われ成熟した街がこのあたりに厳として存在することを忘れてはならないと思う。