フランスの思想家、人類学者のレビィ・ストロースが10月末日に100才で亡くなったと言う。
”悲しき熱帯”や”野性の思考”を発表し、未開社会のフィールドワークを続ける中で、プリミティヴな社会のシステムは、文明社会に劣らない構造を持っているとして脱西洋中心主義の思想の先鞭を告げた。
私達が学生時代、あるいは研究生活をしていた時代は、この構造主義が幅を利かせていて、集落の構造を解明するとか、構造とは要素間の関係の関係だとか何やら難しい議論をした記憶がある。
レビィ・ストロースが最初に構造主義を唱えたのは1950年代であるが、様々な分野で、当時構造と言う言葉が使われ始めた。
建築の分野では、丹下健三氏が建築の持つ構造に注目し、柱や梁の構造を表に出した日本的な雰囲気を持つ多くの建物を設計、また国立屋内競技場では鉄骨の吊り構造で、魅力的な空間を造って見せた。
又、東京の都市構造を改革するとして、東京湾上に伸びていく線状の都市軸をデザインしたのも、当時の思想的情況と大いに関係があったと思う。
政治の分野では、イタリア共産党のトリアッチが最初に構造改革を訴えると、それに呼応して当時の社会党書記長の江田三郎氏が党のテーゼとしての構造改革論を唱えたのはよく知られた事であり、構造改革と言う言葉は共産主義、マルクス主義の言葉であった。
最近では、ポピュリズムといわれた小泉元首相が、聖域なき構造改革を唱えてナタを振るったが、こうなってくると構造とは何か良くわからない言葉となってくる。
レビィ・ストロースの構造とは、人間が無意識の中に持っている関係性を言う。
例えば支離滅裂な神話の背後に、代数学の構造が隠れている事を発見したり、社会の様々な領域にそんな隠れた構造があり、それを通して人間の本質を解明していく方法である。
そして、人間の社会や文化と言うものは、優劣で論じるものではなく飽くまで等価値のものだとして、人類学、社会学の世界にも新しい地平を開いたものであった。
若い時、黒川紀章さんの事務所で、夜遅く氏の構造論を聞かされながらスケッチをした思い出 もあるが、丹下さんの強い構造に対して、それを溶かしていくようなデザインが必要な事をよく言っていた。
氏の大作”共生の思想”は即ちこのレビィ・ストロースからポスト構造主義へと流れていく思想の潮流と軌を同じくするものであったと思う。
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