えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

「平穏」

2006-11-26 | 日記
 この1年、特に水戸地裁土浦支部の『再審開始決定』がでてから、syoujiさんの精神状態が本当に落ち着いていたように思う。
syoujiさん自身、やっと自分の願い続けてきたことが裁判官に通じた、それが本当に「先の見えない」状態から、しっかりと「先を見通せるたたかい」に確信がもてたからだと思う。
全国を回って訴えるのに、「とても話しやすくなった」とも言っていた。
忙しい1年だったけれど、これまでの38年間とは全く違う1年だったように思う。
 ところが、なぜかkeikoさんは1年を振り返ってみて、逆に不安が増して来てしまった。
syoujiさんが、以前のようにピリピリしないで活動に専念できたことは嬉しいことなのだけれど、順調に1年が流れてきた中で、ゆっくり、じっくり話し合う時間てほとんどなかった。それだけ、平穏だった、と言う訳なのだけれど、離れて暮らしていて、必要なときは一緒に行動も共にしてきたけれど、でも、でも、どこか違う・・・。
 これまでは、互いに意に副わない言動や行動があって、その度にぶつかり合って時には傷つけあいながらも、話し合って、お互いの考えていることを確かめ合ってきた。そうすることで、離れて暮らしていることですれ違ってしまう不安を補ってきたように思うのだ。

平穏・・・
離れていて、一緒じゃなくても平穏・・・
おかしいよ・・・
「ひとりでいることの方が普通で、そのことに不自然さを感じなくなって来ている・・・」

 keikoさんの話を黙って聞いていたsyoujiさん
「そうか、そんなこと考えていたのか・・・」
「俺は、まったくそんな不安感じていなかった・・・」
ショックを受けたようにsyoujiさんがつぶやいた・・・。

そうだと思う。
だって、syoujiさん、自分の闘いのことで精一杯なんだから。
それは、仕方のないことだと思う。

 でも、keikoさんの我儘なのだろうか・・・
結婚して7年半・・・
先日、長く支援してくださっている方と久しぶりにお会いし、
「だめだよ、あんた達、一緒に暮らさなきゃ。そんなに長い間離れたまんまでは」って言われ、誰にも口にしてなかった事を、直球で投げ込まれ、つい嬉しくってほろっと涙を流してしまったんだ。

 また、ある方に、こんなふうにも言われた。
「利根町には、なかなか来てあげられないの?」と。
ほとんどkeikoさんが行ってない状態である事、行ってもとんぼ返りで帰ってきてしまっていることを知って、逆にひとりで忙しい生活をしているsyoujiさんを知っていてくださるための言葉だったのだろう。
分かるけど、でも・・・

keikoさん、なぜか悔しくって悲しくって、ぐっと唇を噛締めてだまっていた。

だって・・・。
自分の思いと、現実と・・・。
そして、何より、自分の中の「楽をもとめる」気持ちに気付いていたから
そういうことをsyoujiさんがどう思っていたのか・・・

「俺だって・・・」と言ったsyoujiさん。

 
 でも、12月、いよいよ東京高裁の抗告審が動き始める。
また、新しい流れの中でふたりは歩き続けていく。
何かを変えなければ・・・
keikoさんの頭の中は、いま、そのことでいっぱい・・・。