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おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん 空白の時間があったよ

2012年01月08日 19時34分59秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、空白の3時間がある。ジッと座っていたみたい。テレビだけがついていた。
見てはいなかった。私はどこへ行こうとしてるのかな。
何も考えてはいなかった。何をしてたか分からない。
ボーっとしてた事はあったけど、こんなに長くは初めてだ。
でも、いいね。その間は寂しくも悲しくもない。
私この時間がもっと長くてもいい気がする。
知らない間に1日過ぎてたりしたらいいかもしれない。
それでも、おかあちゃんを忘れる事はないよ。
私の心の中はおかあちゃんでいっぱいだよ。だから、意味なく涙が出てくる。
子供さんをなくされたおばあさんに会った。子供さんは高校生だった。
40年近くなるが、今も悲しい。忘れられない。そう言ってられた。
寂しさや悲しさは無くなる事はないんだね。
でもね。私は自分に負けたりしないよ。おかあちゃんの娘だよ。
「しっかりしいや。しっかりしいや。」と最後まで心配してくれたおかあちゃんに会わす顔がない。
そんな事はしないよ。時間かかっても私は立ち直るから。安心してね。
そして、おかあちゃんの事は守るよ。

ありがとう。好き好き。愛しています。


おかあちゃん 聞こえますか

2012年01月08日 01時56分48秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん おかあちゃん おかあちゃん おかあちゃん おかあちゃん
呼びたいな。『は~い。』 おかあちゃんの返事が聞きたいな。
おかあちゃん おかあちゃん おかあちゃん
私は、毎日呼んでるよ。聞こえますか。
私は、おかあちゃんを守るって言ったのに何もしてあげられなかった。
私は5年間辛かった。おかあちゃんが悪くならないか心配だった。
でも、今はとても短かったと思う。
どこにも連れてあげられなかったけど、春桜の頃は病院帰りに車の中からだったけど
木屋町の桜並木や哲学の道・植物園・御所なと行ったね。
去年は行こうかって言っても「ううん。」って言ったね。
しんどかったんやね。おかあちゃんの身になって世話しているつもりだった。
けど、出来ていたかな。ある日、おかあちゃんは「なんでこんなにしてくれるの。」って言った。
「親子だもん。当たり前やん。そんなにしてないよ。もっとわがまま言っていいんやで。」
って私は答えた。もっと他に言い方なかったかな。
おかあちゃんは、そんな私の言葉に何と思ったのかな。
ごめんね。もっといろんな方法が考えられなかったのかって今になって思う。
おかあちゃんは、気をつかってたんやな。おかあちゃんのお世話は楽しかった。
幸せだった。もっともっと一緒にいてほしかった。
親孝行出来なかった。心配ばかりさせてごめんね。
おかあちゃんの「しっかりしいや。しっかりしいや。」忘れないよ。
最後まで心配させてごめんね。
私最後の方に「私も連れて。一人で行かないで。私も行っていい。」って聞いた。
話せないおかあちゃんは首を駄目って絶対にあかんって強く横に振った。
強く生きなさい。って言ってた。ごめんね。
おかあちゃんを守るって言っておきながら。
決してそんな事はないよ。安心してね。
もう少し待ってて。明るい私に戻るから。おかあちゃんといつも笑ってた私に戻るよ。
ありがとう。ありがとう。大好き。愛しているよ。

おかあちゃんの事守るよ

2012年01月07日 11時54分21秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、昨日仏壇屋さんに行ったよ。
ほとんど決めてきた。お寺のおっさんの紹介の仏壇屋に11日行くの。
そしたら、もうどっちにするか決まる。
私は、今日行った仏壇屋が有名だしいいのではないかな。と思っている。
私のこだわりは国産だという事。お値段は張るけど一生もんだからね。
うちの中では1番高いものになるね。でも、おかあちゃんのお家だもんね。
私とおかあちゃんの語らいの場所だもんね。
ごめんね。さっさと決められなくて。
いつも、おかあちゃんが決められない私を押してくれたね。
今度は、私だけで決めるんだね。
頑張るよ。一緒に見てて。「それにして」なんて合図くれたらいのにね。
きっと「あんたが、決めてくれたお家が嬉しいよ。安住の地になるよ。」って言ってる気がする。

おかあちゃんの思い出

おかあちゃんと買い物に行った時、私が迷ってると「好きだと思えるものには中々会えないから
買った方がいいよ。」って言ってくれた。
情報の資格システムアドミニストレータの勉強をしてた時、「受かる率少ないんだ」って言ったら
「大丈夫。」って言って私の頭におまじないしてくれた。おかしいね。
受かった時はすごく喜んでくれた。私は、もう大人なのに。
喜んで送られてきた書状を見て良かった良かったってステップしてた。
おかあちゃん、ありがとう。おかあちゃんに、助けられてばかりだったね。

ありがとう。後は大丈夫だよ。私ね。おかあちゃんを守っていくよ。
安心してね。いつか一緒に旅行しようね。
大好きだよ。愛してるよ。頑張るよ。

おかあちゃん おかあちゃん おかあちゃん

2012年01月06日 00時42分05秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私はどうしてもおかあちゃんを死なせたのは私の所為だと思う。
あの時、病院から家に連れて帰らなかったらおかあちゃんはどうだったろう。
おかあちゃんの容態に変化があらわれた時、看護師を呼んだ。
すぐに来てくれていたらどうだったろう。
あの日、夜中からおかあちゃんは具合が悪かった。朝になるのを待って看護師を呼んだ。
そして、また具合が悪くなったので電話した。
看護師は、朝来た事を言ってもう少し様子を見て下さい。と言った。
おかあちゃんにもう少し様子をみようね。と言った時、どんなに不安だったろう。
ごめんね。ごめんね。もっともっと言えばよかった。

おかあちゃん、私はおかあちゃんを死なせたと思う事が頭から離れない。
おかあちゃん、私は楽になってくれて良かったんだ。と思ってもまたこうして思い出してしまう。
ごめんね。ごめんね。っと言っている。辛いんだ。あの瞬間まで私は出来る限りやったと思っていた。
色々考えてみると、私は自分の事ばかり考えていた気がする。
私の気がすむようにしてたんじゃないか。おかあちゃんはしんどいのに耐えてくれたんだね。
私はいい娘でも、いい看護をしたのでもない。ただ自己満足だけだったのではと思う。ごめんね。
おかあちゃん辛かったね。ごめんね。
遺影のおかあちゃんは優しい顔して微笑んでいる。

おかあちゃん。心配しないでね。私は大丈夫だから。
泣いたら笑うよ。大丈夫だからね。
おかあちゃんが好き好きです。世界一のおかあちゃんです。
愛しています。ありがとう。

おかあちゃん 雪が降ったよ

2012年01月05日 05時34分08秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、京都は昨日昼から雪が降ったよ。
すごく吹雪いていた。それまでは、冷たい風が吹いていたけど青空だった。

昨日は、昼から役所に出かけた。
人が亡くなるといろいろ手続きがあって忙しいもんだね。
死亡確認の出来る戸籍謄本をとるようにと言われて役所に行った。
戸籍の移動をしていないので、元の役所まで行くように言われた。
おかあちゃんの住民票と私の印鑑証明を取って元の役所に行く事にした。
おかあちゃんの住民票を取るだけなのに涙が出てきた。
頭をコツンってして、しっかりしろ。ってしたけど涙が止まらなかった。
次の役所では、待ち時間が長くてときどき出る涙をティシュペーパーで
拭いていた。外を見ると吹雪いていた。
ガレージに行くまで吹雪いていたのに、私が車を出すと雪は降っていなかった。
車の運転、怖いなって思っていたのに、不思議だった。
何もかも終わるのも寂しいし、でも、おかあちゃんとゆっくり出来るのかな。
それもやっぱり寂しいね。
おかちゃん、よく寝たよ。疲れていたのか9時くらいから寝ていた。
4時過ぎまでよく寝た。ただボーっと座ってた。
おかあちゃん、私は日々、悲しさなのか寂しさなのか増していくよ。
今は、この現状のまま悲しさ寂しさの中に浸かっていこうと思う。

おかあちゃん、私は大丈夫だよ。心配しないで。
私はいままで通りにやってるよ。
おかあちゃんの事は守っていくよ。私にまかしてといて。
ボッーと座っていた時、おかあちゃんに抱かれているような気がしたよ。
ありがとう。もう大丈夫だよ。

ありがとう。愛しています。おかあちゃん。大好き。大大大好き。大大大大大好き。
大がいっぱいいっぱい好きだよ。


おかあちゃんへ手紙を書いたよ。

2012年01月03日 22時22分24秒 | 母の事(肺がん) そして絆
今日は、おかあちゃんへ手紙を書いたよ。
毎日、おかあちゃんに向かってお話しているけれど、悲しさは日々薄れていくと聞くけど
私は日々増していく。だから、おかあちゃんに手紙を書いてみた。
初めてだね。おかあちゃんに手紙を書くなんて。
恥ずかしい気もするけど、出すね。

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おかあちゃんへ

おかあちゃん、私は毎日泣きます。
日々、悲しさは増してきます。
おかあちゃん、長い間私のために頑張ってくれたね。
ありがとう。おかあちゃんに伝える言葉はありがとうしかありません。
毎日毎日、おかあちゃんに伝えたね。
ありがとう。
大事にしてくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。
私はおかあちゃんが好き好きです。おかあちゃんに私の事が好き好き。と聞くとうんうんって頷いてくれたね。
会えてよかったね。いいコンビだったね。
私をおかあちゃんの子供にしてくれてありがとう。
おかあちゃんは、「子供になってくれてありがとう。」って言ってくれたね。
これらを、毎日伝えられた事、幸せだった。
最後の「ありがとう。」は忘れないよ。
話せなくなったのに一生懸命言ってくれたね。
幸せだった。私の方こそありがとう。
幸せだったから私は生きていけそうです。
頑張ります。でも、泣く事はまだまだ続きそうです。
でもね。泣いた後は、作り笑いでも笑ってみるよ。
こんなに悲しい事は経験した事なかった分、優しくなれるよ。
人に役立つ事しようと思う。サークルなんかにも参加して人の中に入っていくよ。
おかあちゃん、楽に楽になったんだね。良かったんだね。
おかあちゃん、ありがとう。おかあちゃんのお陰で私は幸せでした。
だから、おかあちゃん心配しないで。もう、私の事は心配ないよ。
私は、頑張るよ。


平成二十四年一月三日
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おかあちゃん、本当に本当にお疲れ様でした。
生きてと願う私に辛いと言わずに付き合ってくれた。
命をかけて付き合ってくれた。そばにいてくれるだけで私は幸せだった。
今、思うとどんなにしんどかったか。
良かったんだね。楽に楽になってくれた。
もうしんどくないよ。良かったね。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
きっと、きっと恥ずかしくない生き方するよ。
心配しないでね。もうゆっくり、ゆっくりしいや。

おかあちゃん このページは私とおかあちゃんの絆だね

2012年01月02日 18時06分12秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、これからも私はおかあちゃんと話すためにブログを続けるよ。
おかあちゃん、私が立ち直っていく様を見ていてね。
もうこんな事じゃいけない。と思っている。
私の出来る、私らしい事探すよ。
それから仕事も見つけるよ。それから人の中にもどんどん入っていくよ。
新しいサークルなんかに参加しようと思うよ。
それと、人に役立つ活動もしようと思うよ。
安心してね。私は大丈夫です。
愛して愛して育ててくれたおかあちゃんに言う言葉はありがとうしかありません。
涙は、まだまだなくなる事ないと思うけど、大丈夫だよ。
安心してね。おかあちゃんのお陰で私は幸せでした。
思い出は、楽しい事ばかりです。この思い出があったら私は暮らしていけます。
今日、私は、はじめておかあちゃんに手を合わせられた気がしたよ。
いままでは、おかあちゃんがいない事が理解できなかった。
もう大丈夫。安心して。おかあちゃんが愛してくれたから、私はこんなに幸せだった。
頑張って生きていくよ。人の為になる事探すよ。大丈夫。大丈夫だからね。

おかあちゃんとの思い出

私は、幼稚園に行っていない。おかあちゃんが、6歳になったら学校に行く。
それまでの時間は少ないから、そばにおいておきたい。そう言う理由だった。
私は一人っ子で、それでなくとも、おっとりしてた。競いごと、争いごとには関係なく育った。
学校は、初めての団体で戸惑った。でも、学校がきらいって事はなかった。
なかなか用意出来ない私を、おかあちゃんは冬ならコートを着てランドセルを背負った私を
おんぶして、学校までは坂道だったのに、毎日のように走って連れてくれた。
私は、大きくなっても近所のおばさんから、よく言われたよ。
もう大変だったんだから。って。
小さな体で。本当にありがとう。

おかあちゃん、ありがとう。好き好き。愛しています。

おかあちゃん 笑ってみるよ

2012年01月02日 00時18分14秒 | 母の事(肺がん) そして絆
毎朝外に出ると、おかあちゃんに話しかけているよ。
「おかあちゃん 今日はとてもいい天気だね。
空が高くてどこまでも青くて綺麗だな。」
おかあちゃんが、いない事以外はまったく世間は変わりがない。
私ね。泣かないって思っても泣いちゃう。
だから、泣いた後は、作り笑いでも微笑んでみる事にするよ。

今日は少しだけど、気持が前に進めたよ。
こんな私をきっとおかあちゃんは心配しているだろうね。
私ね。一段落したら、何かしようと思う。
何でもいいわ。外に出ていかないと。
死を迎えるまで、前に進まないとね。
何のために生きれるか。何年かかっても探してみるね。

おかあちゃんの思い出

おかあちゃんはお寿司作りが上手だった。
巻き寿司は、具が真ん中に入っていて綺麗だった。
でも、最初から上手だったわけじゃなかった。
今回、思い出を書いていて気付いた。
初めての遠足の時、お弁当に巻き寿司を作ろうとしてた。
それが上手くいかなくて、お寿司屋に頼んだ。
それから、しばらく遠足のお弁当はお寿司屋さんに注文する事になった。
でもね。私はおかあちゃんのおにぎりが好きだった。
少し甘い卵焼き等が好きだった。私はおかあちゃんに頼んだ。
おにぎりがいいって。おかあちゃんのお弁当は豪華だった。
卵焼き、お肉のしぐれ炊き、後なんだったかな。いっぱい。
ある時、お弁当は作ってもらったものの遠足は中止になった。
その時、教室でお弁当を食べる事になった。
私は手を洗いに行ってたのかな。教室に帰るとみんなが「○○子ちゃんのお弁当美味しそう」って。
勝手に開けての。って思ったら先生が見たらしかった。
先生がみんなのを見て回ったらしかった。今ならどうかな。
席に着いた私に、先生やみんなが口々に言った。
嬉しかった。はにかんで微笑んで下向いたりしてたかな。
でも自慢だった。

おかあちゃん、愛しています。

おかあちゃん 今日は大晦日だよ

2012年01月01日 03時31分26秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん 私は幸せだった。
これまでが幸せだったから、これからが辛いんだ。
寂しいんだ。おかあちゃん、これからもズーと一緒だね。
よろしくね。

今日は、すごく寂しいんだ。きっと大晦日だからなんだろうか。
私、凛としていたおかあちゃんのように頑張る。
そう思っても、大きな声で「おかあちゃん」って呼んでた。
「いやや。いやや。寂しいよ。」って言ってた。

おかあちゃん、心配ないからね。
私は、立ち直るからね。
今日は、早いうちにお花とおかあちゃんに綺麗なお菓子を買ってきたよ。
にぎやかな中に入るのは辛いから。
いいよね。今日は泣かせて。会いたいよ。

おかあちゃんとの思い出

今日は本当に小さかった頃、2.3歳だったのかな。
私の記憶では、私は、水たまりでうどんを落してそのうどんをすくってた
私はおかあちゃんに「何であんな事してるのかな。ときどき思い出す。」と言いました。

おかあちゃんの話では、私は、うどんを買うお使いをした。
すぐ近くのお店だった。私はお隣が飼っているにわとりが怖かった。
いつも小屋に入っているのにその日は外に出てたんだね。
ちょうど、にわとりと私の身長が同じ位。
うどんを持った私をにわとりが追いかけた。私は、家の前の水たまりにうどんを落とした。
そのうどんを手ですくっていた。私の記憶は水たまりでうどんをすくってた事だけ。
おかあちゃんは、すごく驚いて「なんでそんな事を覚えているの。可哀想に。可哀想に。」と抱きしめた。
おかあちゃんは、きっと私がにわとりを怖がっていた事を覚えていたんだね。
でもね。おかあちゃん。私は覚えてはいるけど怖かったことも覚えてはいないんだ。追いかけられた。って事も。
だのに、おかあちゃんは「かわいそうに。かわいそうに。買いに行かせなければ良かった」って言ってたね。

愛しています。おかあちゃん。私の声が聞こえますか。
「おかあちゃん、好き好きやで。おかあちゃんも私の事が好き好き?」
答えて下さい。「おかあちゃんも好き好きやで」っていつものように言って。