おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん このページは私とおかあちゃんの絆だね

2012年01月02日 18時06分12秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、これからも私はおかあちゃんと話すためにブログを続けるよ。
おかあちゃん、私が立ち直っていく様を見ていてね。
もうこんな事じゃいけない。と思っている。
私の出来る、私らしい事探すよ。
それから仕事も見つけるよ。それから人の中にもどんどん入っていくよ。
新しいサークルなんかに参加しようと思うよ。
それと、人に役立つ活動もしようと思うよ。
安心してね。私は大丈夫です。
愛して愛して育ててくれたおかあちゃんに言う言葉はありがとうしかありません。
涙は、まだまだなくなる事ないと思うけど、大丈夫だよ。
安心してね。おかあちゃんのお陰で私は幸せでした。
思い出は、楽しい事ばかりです。この思い出があったら私は暮らしていけます。
今日、私は、はじめておかあちゃんに手を合わせられた気がしたよ。
いままでは、おかあちゃんがいない事が理解できなかった。
もう大丈夫。安心して。おかあちゃんが愛してくれたから、私はこんなに幸せだった。
頑張って生きていくよ。人の為になる事探すよ。大丈夫。大丈夫だからね。

おかあちゃんとの思い出

私は、幼稚園に行っていない。おかあちゃんが、6歳になったら学校に行く。
それまでの時間は少ないから、そばにおいておきたい。そう言う理由だった。
私は一人っ子で、それでなくとも、おっとりしてた。競いごと、争いごとには関係なく育った。
学校は、初めての団体で戸惑った。でも、学校がきらいって事はなかった。
なかなか用意出来ない私を、おかあちゃんは冬ならコートを着てランドセルを背負った私を
おんぶして、学校までは坂道だったのに、毎日のように走って連れてくれた。
私は、大きくなっても近所のおばさんから、よく言われたよ。
もう大変だったんだから。って。
小さな体で。本当にありがとう。

おかあちゃん、ありがとう。好き好き。愛しています。
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おかあちゃん 笑ってみるよ

2012年01月02日 00時18分14秒 | 母の事(肺がん) そして絆
毎朝外に出ると、おかあちゃんに話しかけているよ。
「おかあちゃん 今日はとてもいい天気だね。
空が高くてどこまでも青くて綺麗だな。」
おかあちゃんが、いない事以外はまったく世間は変わりがない。
私ね。泣かないって思っても泣いちゃう。
だから、泣いた後は、作り笑いでも微笑んでみる事にするよ。

今日は少しだけど、気持が前に進めたよ。
こんな私をきっとおかあちゃんは心配しているだろうね。
私ね。一段落したら、何かしようと思う。
何でもいいわ。外に出ていかないと。
死を迎えるまで、前に進まないとね。
何のために生きれるか。何年かかっても探してみるね。

おかあちゃんの思い出

おかあちゃんはお寿司作りが上手だった。
巻き寿司は、具が真ん中に入っていて綺麗だった。
でも、最初から上手だったわけじゃなかった。
今回、思い出を書いていて気付いた。
初めての遠足の時、お弁当に巻き寿司を作ろうとしてた。
それが上手くいかなくて、お寿司屋に頼んだ。
それから、しばらく遠足のお弁当はお寿司屋さんに注文する事になった。
でもね。私はおかあちゃんのおにぎりが好きだった。
少し甘い卵焼き等が好きだった。私はおかあちゃんに頼んだ。
おにぎりがいいって。おかあちゃんのお弁当は豪華だった。
卵焼き、お肉のしぐれ炊き、後なんだったかな。いっぱい。
ある時、お弁当は作ってもらったものの遠足は中止になった。
その時、教室でお弁当を食べる事になった。
私は手を洗いに行ってたのかな。教室に帰るとみんなが「○○子ちゃんのお弁当美味しそう」って。
勝手に開けての。って思ったら先生が見たらしかった。
先生がみんなのを見て回ったらしかった。今ならどうかな。
席に着いた私に、先生やみんなが口々に言った。
嬉しかった。はにかんで微笑んで下向いたりしてたかな。
でも自慢だった。

おかあちゃん、愛しています。
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