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ピガール広場を過ぎると、クリシー大通りからロシュシュアール大通りに変わる。その角には「ブラッスリー・ド・レッシュショフェン」というカフェがあった。
ここはマネのお気に入りの店だった。角地にあるため人々の往来もよく見え、晴れた日には陽光が店内にまで降り注ぐ。パリの街をよく歩き、スケッチをしていたマネは、ここで語り合う人たちの姿も活写した。
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マネの書いた「カフェにて」と「カフェコンセールの一隅」の2枚は、元々このカフェの風景を描いた1枚の絵だったが、マネ自身が2枚に分けたものだという。
シルクハットの紳士は、マネのモデルだったエヴァ・ゴンザレスの夫、帽子の女性は女優のエレン・アンドレだ。
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今は別の名前のカフェになっているが、当時と変わらず多くの人たちがここでパリの朝のひと時を過ごしていた。
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地下鉄アンベール駅に着くと、サクレクール聖堂が見えてくる。
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ここから急な上り坂をケーブルカー乗り場に向けて歩く。ちょうど登校時間なのか、小学生たちが続々と学校に吸い込まれて行く。
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その学校横に標識があるのを見つけた。「シュザンヌ・バラドン広場」。
そう、モンマルトルに住んだ女流画家。10代でモデルを始め、ロートレックから絵の才能を認められ、ルノワールに愛され、エリック・サティと交際した恋多き女性。
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そして、モンマルトルの哀愁に満ちた風景画を描いたユトリロの母でもあった。
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ルノワールの代表作の1つでもある「ブージバルのダンス」のモデルは、彼女シュザンヌだ。
このように芸術家の名前を冠した地名はよく見かけるが、そうした場所で育った子供たちの胸には、有形無形の何かが育まれていくのだろうという気持ちを抱いた。
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ケーブルカーに乗れば、あっという間にサクレクール聖堂に到着する。聖堂は、間近で見るとさすがに大きい。ドームの高さは83mだが、元々パリ市内で最も高い地点に建っているので、エッフェル塔と並んでどこからでも見つけることができるランドマークだ。
この高台にかつては貧しく、だが野望を抱えた青年たちがこぞってやってきた。ピカソがスペインから、モディリアニがイタリアから、ゴッホがオランダから・・・。
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聖堂の完成は1919年。第一次世界大戦の終わった後のことだ。従ってゴッホもマネも、ロートレックも、実はこの壮麗な聖堂を見ることなく生涯を終えていたことになる。