さて、中門の内部に入る。目に付くのは金堂。五重塔とともに世界最古の木造建築物だ。屋根が複数あるように見えるが、下のものは雨風から建物を守る裳階。
少し近づいてみる。高欄にまるでラーメンのどんぶりにあるような模様がある。これは卍崩しと呼ばれる飛鳥時代の建築様式。唐以前の中国建築の様式である、人の字型の「割束」も見ることが出来る。
角の部分、屋根を支える支柱には竜の彫刻が見つかった。
また、獅子の彫刻も。こうした彫刻は創建当時はなかったらしく、江戸時代に行われた大改修の際に付けられたもののようだ。
(週刊朝日百科 日本の国宝 より)
金堂内部に安置されているのは釈迦三尊像。中央の釈迦如来像は面長の顔付き。アーモンド形の目を持ち、口角をわずかに上げた、いわゆるアルカイックスマイルを見せている。
右手は怖がらなくていいよという印の施無印、左手は願いを叶えましょうという意味の与願印のポーズをとっている。飛鳥時代の作風をそのまま受け継いだ表現だ。
(週刊朝日百科 日本の国宝 より)
この如来像は病に倒れた聖徳太子の病児平癒を願って製作が開始された。しかし、完成したのは太子市死去の後だった。
製作したのは止利仏師。光背の裏には「尺寸王身」との銘文がある。つまり、この像の大きさは太子と同じ大きさで造られているという意味だ。ここに聖徳太子の姿を蘇らせたいという願いが込められているということだろう。像の高さは87.5cm。立ち姿を推計すると170.5cmになるという。
このように法隆寺は聖徳太子が「建てた寺」から、太子を「祀る寺」へと性格を変えていたことが推し量れる。
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