寺伝によれば用明天皇在位(585年 - 587年)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、弘仁年間(810年 - 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し、堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい、その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという。
天暦年間(947年 - 957年)には村上天皇が藤原信家を勅使にして「種間」の勅額を下賜。土佐藩主からの信仰も得ていた。神仏分離令で廃寺となるが、明治13年(1880年)に再興される。
堂
薬師如来:毎年3月8日、本尊薬師如来が開帳される。
大黒天(さわり大黒) - ケヤキの寄木造、身丈100cm、全長150cmの大黒天像。現[いつ?]住職の「お遍路さんや参拝の方々に触って頂き、色艶が出る方がよい」との想いから、彩色を施さず素地仕上げとした。寺院の特徴を活かすため、「抱き稲に種」という独自の紋を本大黒天のために作成した。
天暦年間(947年 - 957年)には村上天皇が藤原信家を勅使にして「種間」の勅額を下賜。土佐藩主からの信仰も得ていた。神仏分離令で廃寺となるが、明治13年(1880年)に再興される。
堂
薬師如来:毎年3月8日、本尊薬師如来が開帳される。
大黒天(さわり大黒) - ケヤキの寄木造、身丈100cm、全長150cmの大黒天像。現[いつ?]住職の「お遍路さんや参拝の方々に触って頂き、色艶が出る方がよい」との想いから、彩色を施さず素地仕上げとした。寺院の特徴を活かすため、「抱き稲に種」という独自の紋を本大黒天のために作成した。
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