タイの生活と日本の生活

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北海道浦臼町の武市やすやの墓と坂本家の墓訪問 パート2

2016-08-25 06:47:42 | パタヤの生活は?
編浦臼町の武市やすやと坂本家の墓
1879年(明治12年)に高知県会議員に出馬して当選し、1881年(明治14年)には県会議長に選出され、板垣退助らの率いる自由党の議員として活躍した。1885年(明治18年)に高知教会で、坂本直寛、山田平左衛門、片岡健吉と共に受洗してプロテスタントになり、生涯にわたり熱心に信仰する。1887年(明治20年)12月、三大事件建白で、片岡健吉、坂本直寛と共に京橋警察署に保安条例違反で逮捕される。その後、警視庁に送られ、東京地方裁判所で軽禁固2年6か月の判決を受けて、石川島監獄に投獄される[1]。1889年(明治22年)に大日本帝国憲法の発布にあたり大赦により出獄し、故郷に帰る。




1892年(明治25年)第2回衆議院議員総選挙に自由党より出馬して当選する。その年の秋に、三大事件建白で投獄中の同志の慰問と、開拓用払い下げ問題の財務調査のために北海道に視察に行き、北海道開拓に興味を持つ。払い下げ用地のある石狩平野を視察して、北海道庁長官の北垣国道と会見し払い下げの話をまとめた後、浦臼内の札的、晩生内、黄臼内、於札内などの樺戸集治監用地を視察して、払い下げを申請する。高知県に戻ると高知殖民会規則を作成して、高知殖民会を設立、北海道移住者の募集を始める。板垣退助、土方久元、谷干城、福岡孝弟、片岡健吉らが協賛する、





1893年(明治26年)、衆議院議員を辞職し、キリスト教に基づく理想のまちづくりを夢見て北海道に渡る。樺戸郡浦臼の原野に、高知県からともに移住したキリスト教徒数十名と入植する。そして、教会(現日本キリスト教会聖園教会)、小学校の設立、聖園農場の設立・経営を行う。1894年(明治27年)12月、高知県に一度帰郷して北海道に戻る途中、青函連絡船の船中にて脳溢血で死去した。このとき、末娘の時代(ときよ)が同船していた。聖園農場の経営は安哉の没後、親族である坂本直寛に引き継がれた。聖園農場はその後分解するが、聖園を足場に北見北光社、遠軽などへのキリスト教的な開拓が展開する。聖園教会は日本基督教会に所属して、今日も存在している












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