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タイの生活と日本の生活

タイの蝶の写真と、タイの風俗習慣生活等を紹介できれば、と思っています。日本ではタイの雑貨等を輸入販売しています

高知土佐市のハスの花その2!大賀はす、2000年前のハスの花です、

2015-07-08 08:53:10 | 蟻の巣?
高知土佐市のハスの花その2!
戦時中に東京都は燃料不足を補うため、花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていることに着目し、東京大学検見川厚生農場の一部を借り受け草炭を採掘していた。採掘は戦後も継続して行われていたが、1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出した。このことから慶應義塾大学による調査が始められ、その後東洋大学と日本考古学研究所が加わり1949年(昭和24年)にかけて共同で発掘調査が行われた。その調査により、もう2隻の丸木舟とハスの果托などが発掘され、「縄文時代の船だまり」であったと推測され落合遺跡と呼ばれた。
そして、植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎(当時・関東学院大学非常勤講師)が発掘品の中にハスの果托があることを知り、1951年(昭和26年)3月3日から地元の小・中学生や一般市民などのボランティアの協力を得てこの遺跡の発掘調査を行った。調査は困難をきわめめぼしい成果はなかなか挙げられなかったが、翌日で打ち切りという30日の夕刻になって花園中学校(3月31日迄は千葉市立第七中学校)の女子生徒により地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され、予定を延長し4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘された























竜馬館 近江屋再現(竜馬殺害現場)

2015-04-21 08:45:36 | 蟻の巣?
竜馬館 近江屋再現(竜馬殺害現場)
坂本龍馬はそれまで宿舎としていた薩摩藩の定宿であった寺田屋が江戸幕府に目をつけられ急襲(寺田屋事件)されたため、三条河原町近くの材木商鮓屋を京都での拠点にしていたが、慶応3年10月頃には近江屋(醤油屋)へ移った。このことについて薩摩の吉井幸輔は「四条ポント町位ニ居てハ、用心あしく」として土佐藩邸に入れないのであれば薩摩藩邸へ入るよう勧めた[1]が、薩摩藩邸に入る訳にはいかないとして龍馬は近江屋に留まった。
11月15日(12月10日)、夕刻に中岡が近江屋を訪れ、三条制札事件について話し合う。夜になり客が近江屋を訪れ、十津川郷士を名乗って龍馬に会いたいと願い出た。元力士の山田藤吉は客を龍馬に会わせようとするが後ろから斬られた(1日後に死亡)。大きな物音に対し、龍馬は「ほたえな!(土佐弁で「騒ぐな」の意)」と言い、刺客に自分たちの居場所を教えてしまう。刺客は音もなく階段を駆け上がり、ふすまを開けて部屋に侵入した。そして龍馬は額を斬られた(この他、浪士達が2人を斬る前に名刺を渡してから斬ったという説など諸説ある)。龍馬は意識がもうろうとする中、中岡の正体がばれないように中岡のことを「石川、太刀はないか」と変名で呼んだという。その後、龍馬は後頭部から背中、再度額を深く斬られたところで刺客のひとりが「もうよい」と叫んで全員立ち去った。龍馬は即死か、ほとんど即死。中岡はまだ生きており助けを求めるが、2日後に吐き気を催した後に死亡した。
凶行時、騒動に気付いた近江屋家人の井口新助が土佐藩邸へ知らせに駆け込んだ。下横目の嶋田庄作が近江屋の門口で刺客が出て来るのを抜刀して待ち構えていた所へ、龍馬の遣いで軍鶏を買いに出ていた鹿野峰吉が戻り、嶋田と共に部屋を確認したところ刺客は既に去った後で、陸援隊の詰所である白川屋敷へ峰吉が知らせに走った。土佐藩邸から河村盈進と同時に、曽和慎八郎が、続いて谷干城、毛利恭介、薩摩藩の吉井友実、陸援隊士の田中光顕、海援隊隊士の白峰駿馬らが現場に駆けつけた。 ウイッキペディアより。






高松道から高知に向かう。

2015-02-01 20:35:04 | 蟻の巣?
今日は香川県の三豊市に用事があり、インター出たところの夢タウンで、
休憩ということで、帰りの高知行きの車からの夕日です。
三豊市(みとよし)は、香川県の西讃地方にある市。瀬戸内海に突き出たような形の荘内半島を含む風光明媚な地域で、紫雲出山や浦島太郎伝説で知られている。

香川県では高松市、丸亀市に次いで、3番目に人口の多い都市である。

























鏡川上流(高知市)の散歩道 

2014-10-13 09:04:47 | 蟻の巣?
鏡川上流(高知市)の散歩道 
彼岸花がいっぱいでした。

高知市土佐山(旧土佐郡土佐山村)に源を発する。
上流部のいくつかの河川の水を集めたのち、唯一のダムである鏡ダム(鏡(旧土佐郡鏡村))に貯水される。そして山間部を抜け、高知平野に入る。この中流域では同じく高知平野を流れる江ノ口川への分流が行われている。その後、高知市街地を東西に横切り浦戸湾(土佐湾の支湾)に注ぐ。河口部分には小島(丸山台)が浮かんでいる。
高知市中心部を流れる川でありながら水質は比較的良好であり、夏場の中流域は川遊びや遊泳を楽しむ人の姿が見られる。
高知県の他の河川同様、河川の長さに比べ上流・下流の標高差が大きいため、頻繁に洪水・渇水が発生する。近年では、昭和51年(1976年)に大雨で堤防が決壊し、大きな被害を出している。渇水対策として、吉野川水系の早明浦ダム上流から、導水トンネルなどにより鏡ダム上流へ導水が行われている










高知県越知町の横倉山 安徳天皇潜幸伝説の地その4

2014-10-11 08:03:58 | 蟻の巣?
高知県越知町の横倉山 安徳天皇潜幸伝説の地その4

 横倉山県立自然公園の飛び地に指定されたこの滝、平成2年に「日本の滝100選」に選ばれました。落差は34mあり、大きな滝口からはごうごうと水がほとばしり落ち轟音が耳に心地よく響きます。
 越知町市街地から桐見川方面へ車で約5分の駐車場から徒歩約15分のところにあります。4月下旬から5月上旬はツツジが見頃です。11月中旬頃からは紅葉も楽しめます。






蟻の巣か??

2012-10-05 09:32:04 | 蟻の巣?
サコンの森にあちこち見かけます、聞いたところ蟻の巣だということですが、蜂の巣ではないかと思いますが、わかる方がいましたら、教えてください。確かに蟻の卵は高価でおいしいですが、
よくわかりません。
ところによっては、毎年この巣を取るるために高い木には、上れるように足をかける金具を取り付けてあります。