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メタボ人の独り言

長崎写景 長崎港の散歩

2008-12-21 | 
冬の日差しを浴びに長崎水辺の森公園にやってきた人々。
若い母親達とその子供達。
散歩する男女。

それぞれのスタイルでくつろいでいる。



(2008.12.14 長崎水辺の森公園にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 11

2008-12-21 | 歴史(近代)
坂本国際墓地。
北側の墓地の風景である。

僕のほかには誰もいない。
ひっそりとしているが、冬には珍しく暖かい日差しを浴びて墓地には安らぎがある。



大事な思い出の中に!




(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 10

2008-12-21 | 歴史(近代)
坂本国際墓地。
北側の墓地にあるグラバー家の墓である。
親子2代の墓である。

21歳で日本に来て以来、日本の夜明けと急ぎ足の近代化に大きな貢献をした人物だ。
日本で死に、日本の土、アジアの土となった。
立派な地球人である。

僕は、彼ら親子にビールを飲むたび、命ある限り感謝したい。

(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 9

2008-12-21 | 歴史(近代)
坂本国際墓地。
北側の墓地で、大きな墓石の横で白く美しい花が咲いていた。
バラに似ているが棘がない。椿のようにも思える。



(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 8

2008-12-21 | 歴史(近代)
坂本国際墓地。
北側の墓地のユダヤ人地区から望む。

かつては長崎港が見えたことだろうが、今では最近できた商業ビルの観覧車や稲佐山のテレビ塔が見えるだけである。



(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 7

2008-12-21 | 歴史(近代)
坂本国際墓地。
北側の墓地の入口である。

グラバーなどが眠っている。



(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 6

2008-12-21 | 歴史(近代)
坂本国際墓地。
南側の墓地。

新しい花がそっと手向けられていた。
百年を越えた墓が多い中で、まだ魂が引き継がれている。



(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 5

2008-12-21 | 歴史(近代)
坂本国際墓地。
南側の墓地。

ここに、ベトナム人が眠っている。
1900年に中国で起きた義和団事件で、戦死したベトナム人4名である。

(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 4

2008-12-21 | 歴史(近代)
坂本国際墓地には、道路を挟み、2つの区画がある。
これは先に作られた南側の墓地である。

青空を背景に撮った。



(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 3

2008-12-21 | 歴史(近代)
坂本国際墓地には、道路を挟み、2つの区画がある。
南側の墓地にあるユダヤ人達の墓である。

ユダヤ人墓地の入口。


落ち葉が降り積もる墓。


(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 2

2008-12-21 | 歴史(近代)
坂本国際墓地には、道路を挟み、2つの区画がある。
これは先に作られた南側の墓地の入口である。


(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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長崎写景 坂本国際墓地 1

2008-12-21 | 歴史(近代)
1570年(元亀元年)に長崎は開港し、鎖国時代も出島を通して、世界に開かれた国際都市だった。
長崎には、ここで活躍した外国人の墓地が2ヶ所残されている。
これを国際墓地と呼ぶ。

1つは、稲佐の悟真寺にある。
ここには、多くの中国人、出島オランダ商館員、ロシア人等が眠る。
そしてもう一つがこの坂本国際墓地である。
鎖国が解かれ、多くの外国人が長崎に来るようになり、1861(文久元年)に英国領事が先頭に立って大浦の外国人居留地に近いところに墓地を設けることを求め、現在の川上町に大浦国際墓地が設けられた。
1888年(明治21年)、大浦(川上町)の国際墓地の閉鎖にともない、この坂本の地に墓地が設けられている。
ここには、1892年(明治25年)にイスラエル商人M.ギンズバーグとN.メスによって設けられたイスラエル人セクションや、1900年(明治33年)の義和団の事件で戦死したフランス兵を葬るために設けられたフランス兵セクションなどがある。
坂本国際墓地には、江戸時代の末期から日本の産業、経済、教育などの発展に多大な貢献をしたトーマス・グラバー夫妻や、その他の外国人の墓がある。

坂本国際墓地(参考HPリンク)

(2008.12.14 坂本国際墓地にて 長崎市)
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