佐々木まゆみのよりあいnet

日々の暮らしの気になるあれこれ

ひとりじゃないと感じるとき

2014-09-20 17:15:27 | つぶやき
ある夜の集まりの帰り道、
わたしは、ワクワク感とうれしさで胸がいっぱいでした。
その集まりのメンバーは、年代も活動分野も違うけど
共通するのは、わたしが信頼する人たちだということです。
目的に向かって、どういうやり方で進めていくかを
みんなで話し合う作戦会議のようなものでした。

わたしには、やりたいことがあります。
それは、一人でできることではなく
多くの人たちの力を必要とすることです。
たとえ長年の知り合いであっても
「やりたいことがあるので力を貸してほしい」
と伝えるのには、とても勇気がいりました。

笑われるんじゃないか、
「そんなの無理だよ」と言われるんじゃないかと
不安な気持ちで伝えた相手から
「いいと思うよ」「応援するよ」という言葉が返ってきたときには、
ほっとするとともに、とても勇気づけられました。

一人ひとりの経験やできることが違っているからこそ
ひとつの場により合って、意見を出し合うことで
これまでにない新しいものが生まれてきそうな予感に
ワクワクしながら、夜の道を帰りました。

そして、ひとりじゃないと感じたことが
わたしに、とてもたくさんの力を与えてくれました。

寄り道できる場所

2014-09-13 10:59:50 | まちのこと
月11日付の京都新聞で
「他者と適度につながる場 サードプレイス(第三の場)」
という記事を読みました。

第一の場が「家庭」で、第二の場が「職場・学校」、
そのどちらでもない「公共のくつろぎの場」を
第三の場として 紹介していました。

その記事を読み、高校生たちと話していたとき
自分の住むまちにほしいものを聞くと
「学校でも家でもなくて、学校帰りに寄ることができる場所」
と口をそろえて答えたのを思い出しました。
別の機会に話した中学生たちも
「家と学校以外に過ごす場所がほしい」 と答えました。

宇治市生涯学習センターで空きスペースを開放する
「青少年のたまり場事業」は、
中学生から若者を対象とする事業のひとつですが
年6回しかないのと、1週間前までの予約が必要なので
気軽に立ち寄るというわけにはいかないようです。

中高生だけではなく、誰にとっても、第三の場所は必要だと思います。
わたしが長年働いていた「ゆめりあ うじ」には
小学生から高校生、大学生、子育て中の方、高齢の方など
さまざまな利用者が、思い思いに過ごせるスペースがあります。
金曜日以外は、夕方の5時に閉まってしまうので、
働く人が利用しづらいのが、とても残念です。

わたしにとって第三の場所である
ゆめハウスさんについて、またいつか書きますね。

見えない線を消していくこと

2014-09-06 12:04:43 | 政治
宇治市の6月定例会で「結婚歴のないひとり親家庭の父・母に対する、
保育費ほか公営住宅賃料の算定の取り扱いに対する請願」が
賛成7:反対1(自民)で採択されました。

母子及び寡婦福祉法は、
「児童が置かれている環境にかかわらず、
心身ともに健やかに生育されるために必要な諸条件と
その母等の健康で文化的な生活とが保障される」ことを
基本理念としていますが、
ひとり親を対象する「寡婦・夫(かふ)控除」の制度は
婚姻歴のない場合には適用されません。

どのような状況で生まれてきたかは、子どもには関係ありません。
不公平を解消しようという自治体が徐々に増えてきています。
市の施策として、少しでも早い実現を望みます。

議会傍聴はオモシロイ

2014-09-01 17:59:07 | 政治
わたしは市議会の一般質問を傍聴するのが好きで
足を運ぶことがよくあります。
なぜなら、今、自分が住んでいるまちの状況が
どうなっているのかを知ることができるし
市がその問題についてどう対応しようとしているのかが
質問のやり取りでわかるからです。

少し前になりますが、6月議会を傍聴した感想を書きます。
6月議会では、4日間で28人の市議会議員のうち17人が一般質問をしました。
一般質問は、年4回の定例会で行われ、
事前に通告した内容について議員が質問し、行政が答弁します。

◎災害対策と被害の復旧に関することは、多くの議員が取り上げました。
 昨年の水害で問題となった、避難指示の伝達方法や避難誘導に関する質問では
 特に障がいのある人に対する災害時の避難・伝達方法について
 対策の必要性があげられました。

◎子どもに関する問題を取り上げた議員は5人。
 子育て支援に関することから、学校や地域の環境に関すること、
 いじめ対策など、幅広いものでした。

◎高齢者支援を取り上げた議員は3人。
 これから一人暮らしの高齢者が増加することから、
 老後も地域で安心して暮らせる地域包括ケアシステムや
 一人暮らし高齢者の支援についての充実が求めました。
 
◎障害者支援について取り上げた議員は3人。
 障がい者施設による手作り品の物品調達の推進や就労支援について質問し
 障がい者の社会参加や自立をめざした取組の充実を求めました。

その他、都市整備など宇治市全体に関わる問題から
生活踏切や総合病院の移転にともなう地域医療の問題など、
52の案件について質問が繰り広げられました。

これまで傍聴に行った際には、多くの場合、
2~3人程しか傍聴者がいないガランとした状態が多かったのですが、
障がい者支援についての質問の際には、当事者の方と手話通訳者や介助の方などで、
傍聴席がら溢れそうなほど多くの人が来られていました。

他の議員の質問中に居眠りしている議員の姿も、
しっかりチェックしてきました。

今月行われる9月定例会では、決算についての議案が提出され、
25年度の会計と実施された事業について閉会中に審査されます。
25年度の当初予算は一般会計で529億5千万円という過去3番目の予算規模でした。
その後、何度かの補正予算の後、606億8千万円ほどになっています。
使われた税金がわたしたち市民にとっての利益になったのか、
ムダな支出はなかったのか、しっかりと審査してもらいたいものです。

一般質問は25日、26日、29日と30日を予備日に予定されています。
一般質問の内容は、「市議会だより」に、ほんの一部は掲載されますし、
市議会ホームページからインターネットの録画中継を見ることや
会議録を読むことはできますが、かなり後になってからです。

議場に足を運び、生で聞くやり取りは面白く
そこで示されるデータや現状から
わたしたちが暮らしているまちの抱える課題が見えてきます。
これからも時間をつくり、傍聴に行こうと思います。

9月になって思うこと

2014-09-01 16:31:21 | まちのこと
今日は雨です。

この夏の雨は、各地で大きな被害をもたらしました。
わたしが住む宇治でも、2年前から続けて水害が起こっています。

今年も台風11号の影響で宇治川の水位が上がり
夏の風物詩である鵜飼が長期休業になり
宇治川花火大会も中止になりました。

昨年の9月に、わたしが住んでいる地域も含め
約6万人に「避難指示」が出ました。
広報車は繰り返し避難場所へ行くよう繰り返していましたが
はじめて発令された「避難指示」がどういうものかよくわかりませんでした。

結局、避難所である小学校に向かったのは、
同居人5人のうちのわたし一人だけ。
それも、緊急事態だとの認識ではなく、
避難所がどんなふうに開設されているのか確かめてみたかったからです。

避難場所に指定されている小学校への山道を
「こんな上り坂を高齢者の方は避難できるのだろうか」と思いつつ
避難所にたどり着いてみると、あまりの人の少なさに唖然。

「避難指示」が避難の情報としてはいちばん高いレベルだと知ったのも
対象となった6万人の住民のうち避難したのは600人しかいなかったことを知ったのも
後になってのこと。

一つ間違えれば、大きな被害が起こったかもしれない状況で
適切な情報が住民に伝わらなかったのはとても大きな問題だと思います。
防災のための「自助、共助」がたびたび言われますが
やはり「公助」でしかできない部分をしっかりやっていってほしいものです。

暮らしの中で気づくこと

2014-09-01 15:21:55 | ジェンダー
ブログはじめました。

日々、暮らすなかで楽しいこと・うれしいことも数多くありますが
気になること、腹が立つこと、「もっとこうだったらいいのに」と思うこと、
いろんな思いを書いていこうと思います。

これまで多くの「何で?」を感じながらも
「だって、そういうものだからどうしようもない」とか
「自分が選んだことだから、しかたがない」という
あきらめの気持ちでため息とともにやり過ごすし、
自分を責めるしかできないことが多くありました。

子どもの時に感じたどうしようもないさびしさ
「おんな」であるということから受ける理不尽な扱い
子育てや介護の中で感じた罪悪感や孤立感
働く中で感じた不当な扱いと無力感

今になって振り返ってみると
このすべてを全部自分のせいにして
生きづらさを感じていました。

自分の経験を誰かに話すのはとても勇気がいるけれど
話して初めて返ってくる
 「そうそう、わたしもそうだったよ。つらかった」
 「ホント!腹立つよね」という言葉から
少しずつ力を取り戻してこれたような気がします。
同じような思いをしているのはわたしだけではなく
問題は違うにしろ、共通の思いを持つ人は多くいることを知りました。

わたしが感じてきた「何で?」は
わたしひとりの個人的な問題ではなくて
社会のしくみや政治の在り方と密接な関係があると知り、
わたしが最初に感じたのは、怒りでした。
しんどいのは、全部自分のせいだと思い込まされてきたことへの
腹立たしい思いでした。

それは
 「子どもだからしかたがない」
 「おんなだからしかたがない」
 「子どもがいるからしかたがない」
 「介護があるからしかたがない」
 「高齢だからしかたがない」
 「障がいがあるからしかたがない」
 「制度だからしかたがない」
という多くの「しかたがない」を理由に
どうすることもできないことだと思わされ
置き去りにされることに対するどうしようもない怒りでした。

「しかたがない」を「それはおかしい!」に変えていくには
多くのエネルギーが要ります。

身近な暮らしの中で感じる「おかしさ」を一人ひとりが出し合って
どうすればいいかを考えることで
もっと暮らしやすい社会に変えることができるんじゃないか
そんな思いではじめるブログです。

この場所で、多くの人とつながれるとうれしいです。