5月17日に高浜原発が
再稼働されました。
原発を稼働しなくても
充分電気は足りているのに
安全性の保障もないまま
強行といえるような再稼働。
翌日18日の夕方に
「原発なくそう宇治の会」による
JR宇治駅前でのリレートークで
マイクを握りました。
ひとり5分で12人。
順番が早かったので
せっかく来てくれたのに
「聞けなかったよー」という
知り合いが何人かいたので
内容をアップします。
――――――――――――――――
――――――――――――――――
「わたし」からはじめるまちづくりの会の佐々木まゆみです。
居ても立っても居られない気持ちでマイクを握っています。
昨日午後5時、高浜原発4号機が再稼働され、
今、日本で動いている原発は4基となりました。
そして高浜原発3号機も再稼働の準備が進められています。
わたしが生まれて初めて参加したデモは、
震災から1か月後の2011年4月10日に
東京の高円寺であった反原発デモでした。
「原発はいらないんだ」という思いだけで
全国から15000人が集まりました。
行動するなら今だ! 声を出すなら今だ!
これだけひどい事故が起こったのだから
日本の原子力政策はきっと変わるだろうという思いでした。
それから6年という月日が流れた今も
状況は何ら変わっていません。
福島原発からは大量の放射性物質が漏れ続けており
収束の目途が全く立っていません。
それどころか、原発内部の状況を
まともに確認することすらできていません。
今もなお「原子力緊急事態宣言」が
発令中であるにもかかわらず
「復興」の名のもとに避難指示区域が次々と解除され
帰還が促進されている中で
避難者向けの住宅無償提供の打ち切りが
3月に行われてました。
そして、安全性の確認ができないばかりか
放射性廃棄物の処理・管理方法も確立できていないまま
原発を次々に再稼働しようとしています。
昨日再稼働された高浜原発から
京都府舞鶴市は5キロ圏内であり
もし原子力災害が起こったときには
宇治市内の37の避難所で
約13000人を受け入れることとなっています。
そして近畿の水瓶である琵琶湖が汚染されると
近畿一円で1450万人に影響します。
今回の再稼働は、宇治で暮らすわたしたちにも
決して無関係なことではありません。
福島事故から、わたしたちは
原発は決して安全ではない、
事故が起きればそれまでの暮らし、住んでいた場所、仕事などを
すべてなくしてしまうほど危険なものであり
将来的にも子どもたちの健康に
多大な被害を与えるんだということを知りました。
第2、第3の福島となる危険があると知りながら
原発を動かすということは
人の命、人の暮らしより経済を優先させるということです。
わたしたちはこれまで
「人の命ほど尊いものはない」と言って育てられました。
人の命とおカネを天秤にかけるのをやめてくれ!
そして、「お願いだから、誰か、命は大切だと言ってくれ!」
という思いでいっぱいです。
日本は歴史上唯一、核爆弾を投下された国です。
宇治市の人口より多い20万を越える人の命が失われ
生き残った方々も多くが被爆の症状に苦しみました。
それは、2世・3世までも続いています。
放射能がどれほど大きな被害を及ぼすかを
知っていたはずでした。
なのに気がつけば、地震が多く発生し
狭い領土しか持っていない日本に
50基以上もの原発が建てられ
世界で3番目に多い国になっていました。
約2年間、正確には1年11カ月
すべての原発が稼働していなかった期間も
電力は十分足りていました。
たとえ不便があったとしても
わたしは安全な方がいい。
たとえ電気料金が安くならないとしても
わたしは安全な方がいいと強く思います。
国民の命、財産を守ると言いながら
原発を再稼働させ、避難者への援助を打ち切り
高線量地域へ帰還せざるを得ないようにする
国のやり方にはとても腹が立ちます。
最後に、共謀罪がらみで
よく引き合いに出される言葉でくくりたいと思います。
反戦運動が共謀罪として適応されながらも
裁判で勝利したシカゴセブンの
「もしも戦争を終わらせる共謀があるのなら
自分たちもその共謀に参加しなければならない」
という言葉にならい
「もし命を守らない国策を
終わらせる共謀があるのなら
自分たちもその共謀に参加しなければならない」
「もし原発をなくする共謀があるのなら
自分たちもその共謀に参加しなければならない」
一人ひとりの「わたし」が
社会を変えていくんだと信じて
あきらめず、くさらず、
声を出していきましょう。
ありがとうございました。
再稼働されました。
原発を稼働しなくても
充分電気は足りているのに
安全性の保障もないまま
強行といえるような再稼働。
翌日18日の夕方に
「原発なくそう宇治の会」による
JR宇治駅前でのリレートークで
マイクを握りました。
ひとり5分で12人。
順番が早かったので
せっかく来てくれたのに
「聞けなかったよー」という
知り合いが何人かいたので
内容をアップします。
――――――――――――――――
――――――――――――――――
「わたし」からはじめるまちづくりの会の佐々木まゆみです。
居ても立っても居られない気持ちでマイクを握っています。
昨日午後5時、高浜原発4号機が再稼働され、
今、日本で動いている原発は4基となりました。
そして高浜原発3号機も再稼働の準備が進められています。
わたしが生まれて初めて参加したデモは、
震災から1か月後の2011年4月10日に
東京の高円寺であった反原発デモでした。
「原発はいらないんだ」という思いだけで
全国から15000人が集まりました。
行動するなら今だ! 声を出すなら今だ!
これだけひどい事故が起こったのだから
日本の原子力政策はきっと変わるだろうという思いでした。
それから6年という月日が流れた今も
状況は何ら変わっていません。
福島原発からは大量の放射性物質が漏れ続けており
収束の目途が全く立っていません。
それどころか、原発内部の状況を
まともに確認することすらできていません。
今もなお「原子力緊急事態宣言」が
発令中であるにもかかわらず
「復興」の名のもとに避難指示区域が次々と解除され
帰還が促進されている中で
避難者向けの住宅無償提供の打ち切りが
3月に行われてました。
そして、安全性の確認ができないばかりか
放射性廃棄物の処理・管理方法も確立できていないまま
原発を次々に再稼働しようとしています。
昨日再稼働された高浜原発から
京都府舞鶴市は5キロ圏内であり
もし原子力災害が起こったときには
宇治市内の37の避難所で
約13000人を受け入れることとなっています。
そして近畿の水瓶である琵琶湖が汚染されると
近畿一円で1450万人に影響します。
今回の再稼働は、宇治で暮らすわたしたちにも
決して無関係なことではありません。
福島事故から、わたしたちは
原発は決して安全ではない、
事故が起きればそれまでの暮らし、住んでいた場所、仕事などを
すべてなくしてしまうほど危険なものであり
将来的にも子どもたちの健康に
多大な被害を与えるんだということを知りました。
第2、第3の福島となる危険があると知りながら
原発を動かすということは
人の命、人の暮らしより経済を優先させるということです。
わたしたちはこれまで
「人の命ほど尊いものはない」と言って育てられました。
人の命とおカネを天秤にかけるのをやめてくれ!
そして、「お願いだから、誰か、命は大切だと言ってくれ!」
という思いでいっぱいです。
日本は歴史上唯一、核爆弾を投下された国です。
宇治市の人口より多い20万を越える人の命が失われ
生き残った方々も多くが被爆の症状に苦しみました。
それは、2世・3世までも続いています。
放射能がどれほど大きな被害を及ぼすかを
知っていたはずでした。
なのに気がつけば、地震が多く発生し
狭い領土しか持っていない日本に
50基以上もの原発が建てられ
世界で3番目に多い国になっていました。
約2年間、正確には1年11カ月
すべての原発が稼働していなかった期間も
電力は十分足りていました。
たとえ不便があったとしても
わたしは安全な方がいい。
たとえ電気料金が安くならないとしても
わたしは安全な方がいいと強く思います。
国民の命、財産を守ると言いながら
原発を再稼働させ、避難者への援助を打ち切り
高線量地域へ帰還せざるを得ないようにする
国のやり方にはとても腹が立ちます。
最後に、共謀罪がらみで
よく引き合いに出される言葉でくくりたいと思います。
反戦運動が共謀罪として適応されながらも
裁判で勝利したシカゴセブンの
「もしも戦争を終わらせる共謀があるのなら
自分たちもその共謀に参加しなければならない」
という言葉にならい
「もし命を守らない国策を
終わらせる共謀があるのなら
自分たちもその共謀に参加しなければならない」
「もし原発をなくする共謀があるのなら
自分たちもその共謀に参加しなければならない」
一人ひとりの「わたし」が
社会を変えていくんだと信じて
あきらめず、くさらず、
声を出していきましょう。
ありがとうございました。