LOVE&DESIRE

沖縄で頑張る爺バンドのブログだったがいつの間にか爺の独り言(涙)。

爺の思い出話(赤い鳥)

2020-08-21 08:12:47 | 日記

 現テンプス、昔は那覇ショッピングセンター(A&W,本屋、照屋楽器店、地下のB級カレーとか私たち若者にはパラダイスな場所でした。)ショッピングセンター正面から左横の路地を入るとキャバレーとか妖しい店。まあ、桜坂の入り口的ロケーション。その路地の左側に「赤い鳥」、これぞ、沖縄風居酒屋があり、大将は稲さんという奄美出身の当時50代後半かの親父さんと、弟子のおっさんコンビが切り盛り。居酒屋料理は美味かったが湯豆腐が特に好物で最後は豆腐、薬味、たれをごちゃ混ぜにして一気に掻き込むと極楽。

これは昨夜のうりずんあん鉄火巻き250円。赤い鳥でも食ったはず。

で、常連さんと言うか「お世話になります、稲さん」と甘え切ってたらある日「ハチさん、資格撮らない?今だったら研修受けるだけでOK、将来的にも有利ですよ」と勧められ取った資格が、

あはは、30年前じゃん。俺ひとりでは講習を逃走すると考えた稲おやじ「栄さんも受けるから送り迎えしてね」とおまけの責任付き。初対面だった栄さんは開南、サンライズ通り下り最初の十字路右に曲がるとある「大栄食堂」。ここのオーナーです。市場に来る老若男女の憩いの場(おばさん多し)で「定食」からなんでもアリマス的大衆食堂。私が好きなメニューは「いなむどち」でした。栄さんは2代目。初代の親父さんは「手品が出来て面白い亭主」で有名でした。まあ、私が通う頃は半分引退で時々遊びに来る程度でした。TVにも出たはず。

指導員の仕事はボランティアでした(泣く)プチ騙された感ありますがいい思い出です。赤い鳥は奥さんが車いすの生活になったため、マンションを売りバリアフリーの団地に引っ越しして、同時に娘夫婦に店を継がせて(しばらくは通いましたが)稲親父が居ない店は寂しく、その後立ち退きで廃業。一つ終わりです。

大栄食堂は栄親父が高齢の為、こちらも惜しまれつつ閉店。

どちらの店も大切な思い出が詰まった店です。

もしかして、あなた、赤い鳥、大栄食堂知ってる?

と昔話はキリがないし別の機会に。

とか思い出しながら、

「私名前が内地名~なので病院に電話しても断られる事、多いんです~」BY 中場君。全色市場店にて

とかね。

本日の沖縄史

沖縄水産高校2年連続準優勝(1991年)

興南高校県勢初の春夏連覇(2010年)

奇しくも同じ8月21日でした。ワオ!

よんでくれてありがとうございます

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿