月水食堂のお弁当

地産地消と昭和の香りをコンセプトにした安くておいしいお弁当を届けます。

サンドラがいない

2010-09-18 20:58:46 | 日記
今日9月18日は長姉サンドラの命日。

サンドラは三年前、52歳の誕生日を前にこの世を去った。

癌とは異なる悪性腫瘍に冒されていたのだ。

手術をして、赤ん坊の頭ほどあった巨大な腫瘍は一時取り除いた。

しかし、予後は悪く三年で再発。
それまで新薬で押さえてみたものの、取り除ききれなかった腫瘍は飛び火のように散ってまた大きくなった。

次の手術をサンドラは拒み、自らホスピス入院を希望した。簡単に諦めるなと家族誰もが説得したが、サンドラの意思は固かった。それまで、サンドラは一人で痛みや苦しみに耐えてきたから。

私は、今でも時々眠りにつく前、サンドラがホスピスの病棟で横たわる姿が浮かんできてはっとする。

三年前、私は皮膚アレルギーで苦しんでいた。体ばかりでなく、顔が赤くかぶれ、時にただれて腫れ、人相まで変わり、鏡を見る度怯えたものだ。

皮膚科を巡ったが、どんな薬も効力がなく、外出時にはサングラスやマスクを着用した。

仕事も二日続けて休んだことがある。人前に出れず学校行事にも行けない時もあった。

二年前、漢方のクリニックを見つけ、時期もあったのか次第に肌は落ち着きを取り戻して行った。

当時、仕事もかなり忙しく、生活苦、体調不良が重なり疲弊していた私は、サンドラの見舞いに行ってもゆっくりしてあげられなかった。今思うと本当に悔やまれる。

三年前の今日は、たぶん今日よりも暑い日だった。

朝、危篤の連絡を受け、私は次姉リリィと母ミッチーナ、大学生だったリリィの長男ケインを乗せ、ホスピスまで車を飛ばした。
前夜、サンドラが何度も夢に出てきて、もう別れ
の時が訪れたのだと覚悟はできていた。

11時少し前に病室に入った時、サンドラはもうベッドから下ろされ、夫のニコラス、娘のジュリアに支えられ畳の上にいた。

点滴は外され、酸素吸入も外され、うつろな目で私たちに合図した。

「サンドラ!サンドラ!待っていてくれたんだね。遅くなってごめんよ」

私たちは、大泣きしながらサンドラを抱き、体を撫でた。

「サンドラ、ジュリアは私たちが守るからね。」

サンドラは浅くうなづき、ゆっくり息絶えた。

賛美歌で見送られ、サンドラはホスピスでの安らかな最期を遂げた。

サンドラの死期が迫り、泣いてばかりいる母を励ますように私はサンドラから言われていた。

6つ年上のサンドラの言い付けは絶対なもの。私は涙をこらえミッチーナを励まし続けてきた。

「優しくて泣き虫な妹ぽぽん、今までありがとう」

サンドラが亡くなる一日前にくれた私へのメール。

サンドラ、一番健康だったあなたがこんなに早く逝ってしまうなんて。三年たっても信じられない私です。

ジュリアはあなたの望み通り、この町の職員として頑張って働いているよ。安心してね。サンドラ。