いまこの国に47人いる「知事」、その職位の淵源を辿れば古代律令国家の「国司」に行き着く。古代から中世にかけて地方行政単位としての「国を支配する」行政官として朝廷から任命・派遣された中央国家官僚であった。その名は、その後「国司」から「守護」、やがて近代にいたって幕藩体制の中で「藩主」へと変遷していき、民主主義を国是とする現代では「知事」として歴史の流れの中に「鎮座」している役職者である。
左様、歴史的連鎖は隠しきれず、時としてこれが都道府県における行政的最高位のポストであってみれば、文字通り暴君に変化(へんげ)する可能性は否定できない。その今一躍有名になったのが兵庫県知事斎藤元彦氏である。そして筆者の勝手な想像だが、このような暴君知事殿は他にも少なからずおられるに違いないと邪推してもいるのであるが・・。
彼の日頃の行状を調査するための、8月30日の兵庫県「百条委員会」のネット中継を最初から最後まで見た。見終わった後の感想は実に不愉快で、戦国大名も「かくやと思わせるに十分なワンマンぶりに驚いたのみならず、当該県庁職員たちのやるせなさに同情を禁じ得なかった。
この日の委員会は、認定訊問につづいて、ネット空間などで広く喧伝され衆目の知るところになっている同県知事の数々のあってはならない言動についての確認がなされ、そのすべてを斎藤知事がほぼ完全否認するというやり取りで終わったようである。
兵庫県民にとっては、この映像は耐えがたい屈辱であったに違いない。だが、地方自治というこの国の民が苛烈な近代史の犠牲の末に手に入れた基本的市民権、これをいい加減に行使するとこういう愚かな結果を招くという、これはこれで格好の学習機会になっているのではないだろうか?