愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

他人の視線

2015-03-31 23:22:07 | 今に生きる

 

他人の視線で生きていませんか?


私たちの多くは自分の考え、自分の判断で生きていると思っていないでしょうか。

実は、常に他人の視線を気にして物事を決めている傾向があるようです。

子供のための良い学校、良い服装、自動車、マイホームなど

他人と比較して少しでも良いものを借金をして見栄を張っていないでしょうか。

隣の芝生は良く見える、という言葉があります。

近隣、会社の同僚、後輩、女性、男性の眼を意識して無理をしていることが

多いように思います。

一般的な身だしなみのエチケットとして気にすることは、人間として

大切です。

しかし、自分の「足るを知ること」を忘れて生きていると

いつか破たんが起きるようです。

結婚でも、顔やスタイル、収入などで決めていますと、ゴールインした後、

こんなはずでは無かった、と後悔し我慢できずに離婚になるケース。

芸能人がそのひな型を見せてくれているようです。

また、他人の視線がことごとく気になり、家を出られなくなり、

引き籠りになるケースや、他人が自分のことをどう思うか気になって、

卑屈になっていることもあります。

昔から「分を知る」という言葉もありますが、今は何でもカードで支払うことが

出来ますのでつい、身分不相応の買い物をしてしまいがちです。


見栄や世間体ばかり気にして、本当の自分を生きていないと、

何時かいきずまり、絶えずストレスで心身が早く傷んでしまいます。

せっかくこの地球に生まれてきたのですから、余分なストレスは

極力無くして、人間としての各個人の学びを思う存分経験して

本来の寿命を生き切りたいものです。

 


大自然とともに生きる

2015-03-31 00:16:29 | 今に生きる

”大自然とともに生きる”

人間は、自然の一部なんだと認識しながら生きて、

私たちは、自然の中に生かされていることに感謝する思いを

忘れないでいると、とても謙虚になります。

次の言葉は、西行が伊勢神宮参拝の折に詠んだ歌です。

「何事の おわしますかは 知らねども

かたじけなさに 涙こぼるる」


山に樹木が多く茂り、鳥のさえずりが聞こえてくるような、

自然を目の当たりにすると、西行の歌の思いが分かります。

特に伊勢神宮は神聖さが保たれている場所で、その気配に

雑念が消され、素直になっている自分がおります。

そして、何故かは分からないですが、胸の奥から嬉しさと崇敬の気持ちが

湧き上がってきます。

自然と涙が目頭を濡らします。

太古から連綿と続いている伊勢神宮は、世界でも稀有な場所だと思います。

また、日本列島は他国に比べ緑と水が多く、四季の美しさに恵まれた

素晴らしい国です。

日常の場が、都会であっても時々は自然に触れることが良いということは

どなたも分かっていることですが、

つい空気の悪い中で過ごしてしまい勝ちです。

それでも人間は、無意識に自然を求めています。

人間の本能なのでしょう。


この地球での凸凹道を泣き笑いで歩み、

経験したことを活かして悟っていくことが、

神様が望んでいることだと思います。

自然体で生きることは、本来の自己の魂を

輝く存在にするべく磨きをかけることでもあると思います。

母なる地球の大自然の懐のなかで、短い人生を思いっきり生き、

恩返しをしていきたいです。




良心に従って生きるとは?

2015-03-30 17:35:26 | 今に生きる

良心に従って生きるとは?

よく、「良心に恥じない生き方をしなければいけない。」と言われますが、

何となく解っているつもりですが、今日改めて「良心とは?」というコトバが浮かびました。

国語辞書やウイキぺディアなどで調べると、良心とは、

・自己のおこないに対して、善悪の判断をおさえる心の働き

・自身の内在する社会一般的な価値観(規範意識)に照らして、ことの可否

ないし善悪を測る心の働きのこと


どちらにしても、一般社会の善悪の常識に照らして判断する心の働きとしています。

ただそのことに限定してしまうと、真の意味が狭く捉えられてしまいがちになるように

思います。

時代の流れで善悪の常識は変わってきます。また、他人を常に意識した

考え方に判断基準を決めてしまいがちです。

良心とは、人の道であり、真理であると、ある書物に書かれていました。

この解釈のほうが時代に翻弄されず、永遠の生き方の心を説明していると、

私は思います。つまり、良心=内在神だと観じます。


良心の鏡に照らし合わせて恥じない生活とは、

カンナガラ(惟神)で生きる人間の生き方であると思います。

◎素直(変なプライドを棄てる)

純粋さを大切に(赤子の心)

自我(ワレヨシ)を少なくする。(他人のことを優先する)

欲望を追い求めない。(足るを知る)


以上の項目はとてもシンプルです。

無理だと思わずに日々、一瞬一瞬を意識し、生きてみるとストレスが減っていきます。

本当の人間としての生き方が現われてきます。

良心に従って生きるとは?自然体で生きることだと思います。


 


自然と神さまに感謝する。

2015-03-28 16:27:35 | 今に生きる

自然と神様に感謝 

天と地の間に生きる私たち人間は、大自然のなかで育まれて生きています。

 何ものかによって生かされています。

その何ものかは、言葉で説明することができない大いなる存在であり、

それを私たちは、「神」と呼んできました。

私たちを生かす万物の存在は”愛”の存在と云えるでしょう。

自然の中に、八百万の神が存在するとして太古から敬ってきました。

『自然』とは、神が、生命を慈しみ育む目的で、『自』らを『然(あらわ)』したものとも

理解できます。

日本人の祖先たちは、ただ、自分たちを生かす存在を神と崇め、

素直に感謝を捧げていたのです。


天地自然の「神」の働きは、人間だけに都合のよい愛情を期待しても

ムダになります。人間も家畜も生きとし生けるものすべてに平等です。

いつの頃からか人間は、その神に物心両面からの願いをしてきました。

 お蔭信仰というエゴの願いをしてきました。

 つまり、神を使役してきたのです。

たとえば、神社にお参りすることはいいのですが、お賽銭箱に

コインを投げつけて祈っている人のなんと多い事でしょう。

神様にお金を投げつけ、これで願いを叶えろ、という行為をしているのです。

こういう心掛けでは、神様も何もしてあげることができないでしょう。

そもそも、神様には、感謝だけを捧げるだけで良いのです。

いろいろあっても、「今、生かして頂いていることに感謝します。」という、

謙虚な気持ちで感謝を捧げることが大切なのです。

その心を取り戻し、日々の中で、仕事、子育て、料理、洗濯、

すべてに感謝しつつ生きていくことが、神様に愛されることになるようです。

絶対に、神様を自分の都合よく使うのは止めましょう。

生かされていることに感謝しましょう。


 


人間はいつまでいじめと差別で戦い続けるのか?

2015-03-26 18:47:13 | 日記


何故アメリカは、自由の国、差別のない国と謳いながら、

南北戦争の苦い経験をしても未だに白人が優位で、有色人種を下に見るのか。


何故、宗教の自由を謳いながら、他の宗教を排斥するのか。

何故、宗教の名の元に、テロや戦争をするのか。


何故、沖縄返還を果たしたのに、アメリカ軍基地が多くあり続けるのか。


何故、日本は、戦後復興を遂げた世界に類を見ない国と讃えられるのか。

先進国の仲間入りを果たしたといって、実際は後進国より劣る精神状態に

なっているのを感じないのか。

何故、いじめが無くならないのか。

子供のいじめは、周りの大人のいじめ体質が有るからではないのか。

小さい頃いじめられていた子が、大きくなっていじめているのは何故なのか。

部活で、先輩、後輩の立場を利用して、いじめが日常化しているのは何故か。

多くの会社組織の中でも同じことが繰り返されているのは何故?


多くの大人が、観て見ぬ振りをする傾向があるのは、

自己の保身のためではないのか。

 

どんなに科学的に、物質的に発達してきていても、精神的には未だ幼いと

言えるのではないのか。

また、科学も精神も宇宙的に観ると、決して進んではいないのに

上から目線で物事を観ている思い上がりではないのか。


人間はいつまでいじめと、差別で戦いをしていくつもりなのか。


今の地球の人種は、進歩してきたとはいえ、極めてバランスの悪い、

 幼い人類だと言えるのではないか。

物事をミクロ的からマクロ的観方をしてみたら今の世界の認識が

変わってくるのではないか。

宇宙から地球を観る視点で、一人ひとりが考えたら……