武士道とは何か?その⑧
その⑦に続き、新渡戸稲造と「武士道」について
「武士道と日本人の心」 山本博文[監修] 青春出版社 より抜粋
第二章 武士道の精神
義 其の一 ――卑怯な行動や不正な行為を恥じる心のあり方
◇死すべき時に死す決断力
フランスの学者ド・ラ・マズリエールが指摘した日本人の特性について、新渡戸稲造は
次の七つの徳目を挙げている。すなわち、義、勇、仁、礼、信(誠)、名誉、忠義である。
このうち、まずは「義」について見ていく。
義は、端的に言えば、正しいことを行なう正義のことを指す。
「サムライにとって、卑怯な行動や不正な行為ほど恥ずべきものはない」。
そうした心のあり方こそが義なのだと新渡戸はいう。
この義が、武士にとってもっとも厳しい大事な教えであるが、この概念は誤解されやすい。
そこで新渡戸は、二人の武士の言葉を引用し、わかりやすく解説しようとつとめている。
一人目は、『海国兵談』(かいこくへいだん)で海防の必要性を説いた浪人学者・林子平
(はやししへい)(1738~93)の言葉だ。
林は、「義は、自分の身の処し方を、道理に従い、ためらわずに決断する心を言う――
死すべき時に死に、討つべき時に討つことである」とした。
つまり、義とは決断力のことであると定義したのだ。
慶応四年(1868)二月十五日、大阪湾に臨む堺(さかい)で堺事件が勃発した。
警備を勤めていた土佐藩士が上陸したフランス兵を銃撃し、死者十一名、負傷者五名を
出した事件である。明治維新の最中、天皇のよる新政府が誕生した直後のことであった。
新政府は、やむなくフランスの要求を呑み、事件の当事者をすぐに処刑することを決めた。
こうして責任をとって切腹することになった土佐藩士は二十名。そのうち十六名は
命令に従って発砲しただけの足軽だったが、朝廷の命令であればと、異議を申し立てず、
国のために死ぬことを決めたのである。
「死すべき時に死ぬ」という精神が、末端の武士のまで培われていたことがよくわかる。
◇義は人体の骨のようなもの
林に続き、新渡戸は久留米水天宮の神官で、尊皇攘夷派(そんのうじょういは)の
指導者・真木和泉(まきいずみ)(1813~64)という武士の言葉を引用している。
人の身体に骨がなければ首も据わらないし、立つこともできないように「才能が有っても、
学問があっても、義がなければ世の中に立つことができない。義があれば、
無骨で無調法(ぶちょうほう)であっても武士足る資格がある」。
つまり武士は、義に基づいて行動することがもっとも重要だというのである。
新渡戸はさらに、仁は人の心、義は人の路であり、人はその路を捨てて、それに従うことを
しないと嘆く孟子の言を引く。
「孟子によれば、義は、人が失われた楽園を取り戻すために歩むべき、真っ直ぐで
かつ狭い道だということである」。
サムライの掟(おきて)のなかで、もっとも厳しい教えが、義なのである。
○武士が捉えていた「義」の感覚
うそをつくこと。逃げること。不意をついて相手を切ること。
弱者に対して冷たい振る舞いをとること。
卑怯な行動や不正な行為を恥ずべきだとする心のあり方が、武士にとっての「義」である。
○林子平(はやししへい)の「義」の定義
江戸中期の経世家で、寛政三奇人の一人。
義は、自分の身の処し方を道理に従い、ためらわず決断する心をいう。
⇒ 決断力
○真木和泉(まきいずみ)の「義」の定義
幕末の尊王攘夷派志士 水戸藩の藩政改革に参画。
才能が有っても、学問があっても、義がなければ世の中に立つことはできない。
⇒ 武士の資格