愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

2018-05-31 11:30:36 | 真実を知る

 

「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

前日の続き…

 

「美(うま)し国」日本の底力  著者:加瀬英明 馬淵睦夫 

発行:ビジネス社  第1版発行 2017年10月1日

 

 

⦿仁徳天皇が3年間税金を免除したわけ

 

馬渕 日本の場合、天皇から見て国民というのは、ヨーロッパにあったような対立する存在ではありません。我々はヨーロッパの歴史ばかり学ぶので、王対貴族、ブルジョアというような主従の概念に毒されています。

これは要は、お互い対立関係にあるから、権限を制限するような契約を結んで主従関係になるということでしょう。

ところが、日本では契約はいらないんですね。なぜなら天皇にとって、国民というのは大御宝(おおみたから)、宝物だからです。

仁徳天皇の有名な話が古事記や日本書紀に出てきます。

民のかまどから煙が昇っていないのは、民が苦しんでいるからだということで、3年間は税金を免除するというエピソードがその最たる例です。

そして3年後に、国中の家から煮炊きの煙が上がるようになりました。そのときに、仁徳天皇が詠まれたのが、

「高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑わいにけり」

というものですね。

このような天皇の御心に、国民は自らの事に尽力することで答えてきました。つまり、常に天皇を支えるのは国民であったということなのです。だから、天皇にとって国民は大御宝であり、みんな平等だったわけです。

したがって、我が日本は太古の大昔から、平等主義社会だったということになります。

 

 

 

⦿「和を以って貴しと為す」の真意

 

加瀬 「和を以って貴しと為す」という聖徳太子の言葉を指して、論語から借りてきた精神だという学者の人たちがいますが、そんなことはありません。

中国の論語というのは支配階級が、どうやって民衆を支配するかという統治論なのです。

一方、聖徳太子が言っている「和」というのは、人間も動物も植物も全部横並びで、自然の一つにすぎないという意味なのです。素晴らしい言葉だと思います。

たとえば二宮尊徳が『夜話』の中で、こんなことを言っています。

 

 「農夫は勤労して植物の繁栄を楽しみ、

草木もまた喜びにあふれて繁茂する。

みな双方ともに苦情がなく喜びの情ばかりだ」

  

これは地上にあるものすべてが、横並びということなんですね。

二宮尊徳というのはそもそもお百姓さんの出です。

ところが江戸時代を見ると、士農工商の農工商から出た、つまり武家でない偉い学者というのがたくさんいるのです。

他にも平田篤胤(ひらたあつたね)という国学者がいます。この人は、「外国など追っ払ってしまえ」という思想の持ち主ですが、『静の岩屋(しずのいわや)(志都能石屋)』の中で、こういうことを言っています。

 

「外国々(とつくにぐに)より万(よろ)ずの事物の我が大御国(おおみくに)に参り来ることは、

皇神(すめらみかみ)たちの大御心(おおみごころ)にて、その御神徳の広大なる故に、

善きも悪しきの選(えら)みなく(略)

皇国(すめらみこく)に御引き寄せる趣を能(よ)く考え弁(わきま)えて、

外国(とつくに)より来る事物はよく選み採りて用(もち)ふべきこと」

 

外国のものはすべてNOと言って排斥しないで、そのうち良いものはどんどん取り入れて、我々の役に立つようにしましょうと言っているわけです。この平田さんという人は、江戸時代の攘夷の一番先頭の旗頭に立った人なんです。

 

馬渕 この中に大御心という言葉が出てきますね。外国の事物を取り入れるのも大御心であると。

これは天皇の御心ということですけれども、さかのぼれば、高天原の神々の御心ということですね。

古事記以来、みんな神様の子供だという発想があるわけです。人間だけではなく自然も含めて、みんな神様の子供だから同胞だという平等観があるんですよ。

今は学校で教えないので、こういうことを言うと驚かれる方もいるかもしれませんが、昔の人は、江戸時代はもちろんそうですけど、そういう事を知っていたのです。

 

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Wikipedia:ウィキペディアより

 

凡例

二宮尊徳

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尊徳座像(岡本秋暉作、報徳博物館蔵)

 

尊徳座像(岡本秋暉作、報徳博物館蔵)

時代

江戸時代

生誕

天明7年7月23日1787年9月4日

死没

安政3年10月20日1856年11月17日

別名

通称:金治郎(金次郎)、号:尊徳

戒名

誠明院功誉報徳中正居士

官位

従四位(明治24年)

幕府

江戸幕府

主君

大久保忠真徳川家斉家慶

相模小田原藩士、幕臣

父母

父:二宮利右衛門(百姓)
母:よし(川久保太兵衛の娘)

兄弟

尊徳(金治郎)
友吉(常五郎)、富治郎(早世)

室:きの(中島弥三右衛門の娘、後に離縁)
後室:なみ(岡田峯右衛門の娘)

徳太郎(夭折)、尊行(弥太郎)、ふみ
養子:りか (川久保太兵衛の娘) 

 

二宮尊徳

人物情報

生誕

天明7年7月23日1787年9月4日
相模国足柄上郡栢山村

死没

安政3年10月20日1856年11月17日
下野国都賀郡今市村

配偶者

きの、なみ

両親

父:利右衛門
母:よし

子供

徳太郎、尊行、ふみ

学問

研究分野

経世、農政


二宮 尊徳(にのみや たかのり)は、江戸時代後期の経世家農政家思想家である。通称(きんじろう)であるが、一般には「金次郎」と表記されてしまうことが多い。また、の「尊徳」は正確には「たかのり」と読むが、有職読みで「そんとく」と読まれることが多い。

 

経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した。

  



 コトバンクより 「夜話」について

二宮翁夜話(読み)にのみやおうやわ

世界大百科事典 第2版の解説

にのみやおうやわ【二宮翁夜話】

二宮尊徳の門人福住正兄が,師の身辺で暮らした4年間に書きとめた《如是我聞録》を整理し,尊徳の言行を記した書。1884‐87年正編5巻刊行。正編には233話,続編(1928)には48話を収める。尊徳の自然,人生,歴史観ならびに報徳思想の実体が,平易に,私心を交えず伝えられた,彼の全貌を知るための手引書である。冀北舎刊,のち岩波文庫所収。【塚谷 晃弘】 



 


「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

2018-05-27 15:48:54 | 真実を知る

「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

前日の続き…

 

「美(うま)し国」日本の底力  著者:加瀬英明 馬淵睦夫 

                          発行:ビジネス社  第1版発行 2017年10月1日

 

 

⦿八紘一宇につながるトランプの思想 

加瀬 日本の持っている大きな力というものは、長い歴史の中で人種差別をしたことがないというところにも表れています。それから奴隷がいたこともありませんし、大量殺戮をしたこともありません。

 初代天皇の神武天皇が即位されたとき、「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉が詔の中に出てきました。

八紘一宇とは、「それぞれの世界の人々が自分の生き方を守って、世界という屋根の下で幸せに暮らしましょう」という意味です。

 

馬渕 先生がまさに非常に的確におっしゃっていましたが、八紘一宇の意味は、「みんなが一緒になる」ということではなく、「それぞれの国がそれぞれの独自性を発揮して、全体として調和がとれる」という発想なのです。

ちょっと極論かもしれませんが、トランプ大統領は本当はこういったことを言いたいのではないかな、と私は思うんですよ。すなわち「こちらはアメリカファーストですが、あなたがたも自国ファーストでやりなさい」と。

ジャパンファースト、アメリカファーストそれぞれを進めつつ、世界の調和をとっていこうというのが、彼の思想、哲学なのではないでしょうか。

現実はそう簡単ではありませんが、これからもし日本の生き方が世界に参考になるとすれば、まさに今後、世界は八紘一宇でやっていかなければならない、ということになると思います。

つまりグローバリズムは行き詰って、これからいよいよ八紘一宇の世界になっていくということなのかなと感じています。

 

加瀬 日本は八百万(やおよろず)の神々の国ですから、神様はそれぞれお違いになられます。

八紘一宇を詩に詠んだ人は多くいますが、たとえば金子みすヾの「それぞれが違うことこそが素晴らしい」という「みんながちがって、みんないい」という詩は、まさに八紘一宇を謳(うた)っているものだと僕は思うんですね。

ですから、ちょっと前に話題になった森友学園の理事長だった人が、「シナ・中国人、朝鮮人は出て行け」と子供に呼ばせていたというようなことは、本来あり得ないのです。

アメリカでも黒人と白人が対等な権利を持つようになったのは、第二次世界大戦後のこと。

つまり、日本がこの前の戦争を戦ったから、人種平等の世界が長い人類の歴史の果てに生まれつつあるといえるわけですね。日本はあらゆるものを取り入れて、融合する力を持っているということなのです。

 

 

⦿十七条の憲法、大化の改新から明治維新へ

 加瀬 明治維新よりはるか昔の7世紀に、」日本は明治維新と大変よく似たことを行っています。

それが、西暦646年の大化の改新です。

大陸で唐と朝鮮半島の新羅の力が大きくなって、日本はちょうど幕末と同じように、海外から大きな脅威が迫っているという危機感に駆られます。そこで、天皇を中心とした中央集権国家に生まれ変わらなければならないとなり、唐の制度の真似をして、大化の改新を行ったのです。

それまでの日本は、豪族が日本を分割して、それぞれ自分の土地を治めていました。それを中央集権にして、天皇が権力の一番上に立つような制度に変革したのです。

ところが当時、孝徳天皇は詔において、

「独り制(おさ)むるべからず

臣の翼(たす)けを待つべし」

と、おっしゃっているんですね。

天皇が実質的に権力を握ることはなかったわけです。日本の天皇は世界の中でも珍しく、覇権を握る支配者ではなかったのですね。

また、大化の改新より前の西暦604年には、聖徳太子により「十七条の憲法」が公布されています。

第一条が有名な「和を以て貴しと為す」。第十条に「それぞれの人にはそれぞれの思いがあります。自分一人が優秀だと思ってはいけません」とあって、最後の第十七条では「大切なことは、皆でよく相談して決めなさい。皆が合意して決めたことは正しい」としたのです。

大化の改新のときの「独り制むるべからず。臣の翼けを待つべし」も、さらには明治天皇の五箇条の御誓文も、まったく同じことを言っている。すなわち、天皇も含め「すべてが平等である」という考え方です。

元々神道も、全部神様が横並びです。これがたとえば朝鮮半島の神話だと、檀君(だんくん)という男性の独裁神が一番偉くなります。また、中国の天帝も男性の独裁神です。

あるいはユダヤ・キリスト教の神様、これは同じ神様ですが、やはり独裁神、男性神ですね。

リシャ神話とローマ神話、これも同じものですが、やはり独裁神。それから北欧のオーデイーン神話も独裁神なのです。

このように、世界の神様は権力を持っている反面、日本の天照大神のみが権力を持っていません。

一番偉い神様であり、権力はあるが権力はないという、まさに代々の日本の天皇と同じなのです。

日本は、そういう伝統が延々と続いてきた国なのです。だから、世界の中で一番謙虚な人間は、歴代の天皇だと思います。

大使は今の陛下にも何度も拝謁されていると思いますが、こんなトップの人が謙虚な国というのは世界の中で日本だけではないでしょうか。

 馬渕 確かにそうでしょうね。

 

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十七条の憲法(604年)             ※現代語訳要旨

 

第一条  和を貴び、人にさからいそむくことのないように心がけよ。

 

第二条  篤く三宝を敬え。三宝とは、仏と、法(仏の教え)と、僧(教えを説く侶)である。

     

 第三条  天皇の詔(みことのり)を受けたら、必ず謹んでこれに従え。

 

第四条  役人は、人の守るべき道をすべての根本とせよ。

 

第五条  裁判は公平に行え。

 

第六条  悪をこらしめ、善をすすめよ。

 

第七条  人は各自の任務を果せ。

 

第八条  役人は、早く出勤し、遅く帰ること。

 

第九条  すべてのことに、嘘偽りなきまごころをもって当たれ。

 

第十条  人にはそれぞれの思いというものがある。自分だけが優秀だと思い込んではいけない。


第十一条  功績があれば賞を、罪を犯したら罰を、正しく与えよ。

 

第十二条  地方官は民から税をむさぼり取ってはならない。

 

第十三条  役人は自分の職務の内容をよく理解せよ。

 

第十四条  他人に嫉妬の心を持つな。

 

第十五条  私心を捨てて、公の立場に立つのが、君主に仕える者の務めだ。

 

第十六条  民を労役に使うのは、農業の仕事の暇なときにせよ。

 

第十七条  大切なことは一人で決めないで、みんなとよく議論して決めよ。

 

 


「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

2018-05-26 21:39:31 | 真実を知る

「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

 

「美(うま)し国」日本の底力  著者:加瀬英明 馬淵睦夫 

                 発行:ビジネス社  第1版発行 2017年10月1日

 

●日本が近代化できた本当の理由

 

加瀬 せっかく明治維新から150年という節目なので、皆さんとご一緒に考えてみたいのは、どうして日本のお隣の中国は、あれだけ古い文化文明を持っていたにもかかわらず、19世紀に西洋の列強が圧倒的な武力でアジアに押し寄せてきた際、近代化がまったくできなかったのか、ということです。

逆に、どうして日本はできたのかを考えてみると、これは、日本の確固たる力が昔からあったということなんですね。

日本には神話の時代から、海原の遠く向こうに「常世の国(とこよ)」というのがあって、そこから幸がもたらされるという信仰を守ってきました。たとえば恵比寿ます様という神様がいます。

恵比寿様はどこか遠い海の向こうからやってこられたわけです。だから漂着してきた神様「漂着神(ひょうちゃくしん)」だとか、お客様の神様の「客神(まろうどがみ)」とか呼ばれます。

そうした外から来たものを、日本人は喜んで受け入れてきました。

 これで分かるように、日本は“海の文化”なんです。その一方で中国は、“陸の文化”です。

海に背中を向けながら、自分たちは世界の中心だと考え、異なる文化をバカにしてきたわけです。

だから中国の理想の国というと、仙人が住んでいる山の中なのですね。

げんに「仙」と言う字は、人偏に山と書きます。だから、海の向こうから幸が来て、いくらでも我々は学ぶべきであるという考えと、自分たちは絶対に正しいと思って海に背を向けている文化の違いが、近代化の出来、不出来につながったんですね。

 

 フランス人が見抜いた明治維新の源流

 馬渕 先生が非常に的確に説明されたように、なかなか普通の日本人というのは、明治維新史観にどっぷりと浸かっていて、それを当然のごとく思っているから、逆に気付けないわけですね。

ところが外国から見ると、日本人がどのようにして明治維新を乗り越えてきたかというのは、とても大きな関心事です。日本が植民地化されなかったのはどうしてだろうかと、多くの人が考えたわけですね。

その中の一人に、ポール・クローデルという人がいます。フランスの外交官で詩人でもあり、駐日大使も務められました。彼の次の文章が、私は物凄く好きです。

 

「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。

それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている

民族は他にありません。日本の近代における発展、

それは大変目覚ましいけれども、私にとっては不思議ではありません。

日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に

欧米の文化を輸入しても発展したのです。どの民族もこれだけの急な

発展をするだけの資格はありません。しかし、日本にはその資格が

あるのです。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。

彼らは貧しい。しかし、高貴である」(1943年秋 パリにて)

 

 

これが発表されたのは1943年。つまり第二次世界大戦で、日本の敗色が明らかになりつつあった頃に、日本を弁護してくれたのです。

後半も良い言葉が並んでいますが、やはりこの前半に、彼らが見た明治維新の秘訣というか、日本人がそれを乗り切った秘訣が書いてあります。つまり、「太古から文明を積み重ねてきたからこそ急激に欧米化しても日本は発展することができた」と。

私は「これだな」と思うのですね。我々の祖先は当然のことのように行ってきたのだと思います。

ところが西洋人の人々から見れば、先生もおっしゃったように、日本だけが有色人種でなぜ植民地化されなかったのか。それが非常に大きな疑問、問題だったのです。

しかし、このポール・クローデルというフランスの駐日大使は的確に見抜いていた。

つまり日本が太古の昔から――縄文時代、あるいはその前から――文明を積み重ねてきたのだと。

だからこそ異なる文明が流入してきても、結局、それと共存することができたということだと思います。異なる文明に飲み込まれなかった秘訣がそこにある、ということですね。それが、日本が発展できた、明治維新を乗り越えることができたカギだと、フランス人が言ってくれているわけです。

我々は何となく感覚的にはそう思っているけれども、外から見てもやはり、そういうふうに映っているということ。これは我々も、明治維新150年の今日、もう一度噛み締めたほうが良い言葉だと感じたわけです。

 加瀬 そうですね。

 馬渕 また、最後の一文ですね。

「日本人は貧しい。しかし、高貴である」

残念ながら現在の日本において、どれだけ日本人の高貴さが残っているのかというのは大いに疑問です。ところが、敗戦直後ぐらいまでは、日本人はまだ、そういう高貴な精神を残していたと思います。

私がよく例に挙げるのでご存じの方も多いかもしれませんが、ガード下の靴磨きの少年の話があります。

お腹がペコペコだった少年に、ジョージ・アリヨシさんという進駐軍の日系兵士がパンをあげたのですが、少年はそれを食べない。「どうしたの?」と聞くと、「家ではお腹を空かした妹が待っているから、このパンを持って帰ってあげるんだ」と答えたという、有名なお話しです。まさにこれが、ポール・クローデルが見抜いた、日本人は貧しいけれども高貴だという精神の発露なのです。

しかし、今は残念ながら、どうでしょうか。日本は豊かにはなりましたが。精神は卑劣になってしまったのではないかという点について、私は、我々一人一人が反省すべき問題であろうと思います。

しかし逆に言えば、この少年の例が示すように、どんな厳しい状況であっても、なお他人のことを思いやることができる。先ほども先生と議論しましたが、日本人はそういう気持ちがあったわけです。自分のことではなくて、他人のことを優先して考えられる、そういう心が日本人には根付いていました。ところが豊かになったがゆえに、かえって他人のことを考えられなくなったのかもしれません。

私がウクライナにいた時代に、ウクライナの学校で高校2年生が日本文学を勉強していました。

それで授業参観に行ったところ、そのとき、川端康成の『千羽鶴』という小説を勉強していました。「難しい小説を勉強しているな」と思いましたが、その後に生徒たちが、その授業の感想文を送ってくれたのです。

その中の一人の女性徒の感想文がいまだに忘れられません。第一章で加瀬先生は、「天皇は天と地の間をつなぐ役割を果たしてくださっている」とおっしゃいましたが、実は彼女も「日本の昔からの伝統や習慣は、天と地を結ぶ階段の昇り方を教えてくれている」と指摘していました。

さらに、その文で「日本の伝統的な文化というものは、全世界を平和に導く」ような日本の昔からの習慣、伝統を、日本の方々が守り続けていることを期待しています、という形で結ばれていました。

ですから、彼女が日本に来た際、今の私たちを見たら、さぞ落胆するんじゃないかと心配せざるを得ません。しかし私は、この本を読んでくださっている方々な、このエピソードから何かを摑んでいただけたのではないかと思います。

その結果、我々が何千年もの昔から引き継いでいる魂、心というものが廃れずに残っていく……。

高貴な心が引き継がれていくと、私は強く信じています。

 

 

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ポール・クローデルが1943年の当時、「日本人は貧しい。しかし、高貴である」と思い文章にした。

2018年現在、日本人は豊かになった。しかし、それは物質的なものであって、心は貧しくなっているのではないか? 日本人が本来持っている神聖な心、高貴な魂が奥に隠れてしまっているように感じています。




「明治維新とは何だったのか」

2018-05-24 21:18:49 | 日本の文化

「明治維新とは何だったのか」

正しい歴史を知りたくて、種々の本を読んでいますが、そのなかで

気になったタイトルと内容に魅かれました。私の忘備録のようなものとして、

一部前後しますが抜粋して順次ご紹介させて頂きます。

「美(うま)し国」日本の底力  著者:加瀬英明 馬淵睦夫 

  発行:ビジネス社  第1版発行 2017年10月1日

 

はじめに の途中より抜粋

   *  *  *

 私は、近代日本を作った江戸時代に魅せられてきた。日本の力は国民の徳性がきわめて高いことから発しているが、残念ながら明治に入ってから取り組んできた文明開化によって、私たちの心は蝕まれてきた。現在、いまだに文明開化が進んでいる。

私は「宗教は民芸品だ」と説いてきた。それぞれ民芸品を見れば、作った人々の性格が分かるから、宗教や神話は民族性を知るために、格好の手がかりとなる。

結局のところ、日本の力は「日本人らしさ」しかない。

日本は江戸時代の260余年にわたって鎖国を行ったために、国民が外の世界と往き交うことがなかったことから、きわめて独特な文化を培うようになった。キリスト教やイスラム教が、外へ向かって拡がろうとする力によって駆られてきたのと違って、神道は内に籠る信仰であるから、鎖国に適っていた。

ところが、外界と接触する機会がなかったために、日本と外国を比較することができなかった。日本国民は自分の姿を映して見る鏡を、持っていなかった人に似ていた。

私たちは外国の社会や文化と較べることによって、自国について学ぶことができる。

外国を知らなければ、自国の魅力に気付くことができない。

馬淵大使は、世界諸国の文化と歴史に、通暁されている。まさに、日本外交界の至宝だ。

今回の対談は、DHCテレビで行われた。私にとって、新しい知識と見方を学び、いっそう明徹な眼をもって日本と世界を眺め、明日へ向かって活力を増すことができた。

本書を読者にお届けするにあたって、ビジネス社に感謝したい。 

        平成二九年八月               加瀬英明  

 

 

第五章 明治維新150年目の岐路に立つ日本

 

明治維新とは何だったのか

加瀬 前の章でも触れましたが、150年目の節目を迎える明治維新とは何だったのか。

これを考えることが明日の日本を考える大きなヒントになると思います。

そもそも明治維新は、『御一新』(ごいっしん)と呼ばれました。繰り返しになりますが、僕は基本的に明治維新などなかったほうが良かったと思う派です。これは西洋の、言ってみれば泥棒国家群が日本に押し寄せてきたので、日本の独立を守るために」どうしてもやらざるを得なかった出来事にすぎません。

2016年に伊勢志摩で行われた先進7か国サミット、通称G7。あれが初めて日本で行われたのは1976年、大平正芳内閣時代で、外務大臣は園田直さんでした。僕は園田外相の顧問をやっていて、赤坂の迎賓館で大平総理が真ん中に座り、他の首脳が並んで記念撮影するのを脇から見ていました。そのとき「ああ、日本というのは偉い国だ。有色人種の中で日本だけが、先進7カ国の仲間入りをしている」と思ったと同時に、ハッと思わされたことがあるんです。

前章でも述べたように、明治維新は日本の政治的な独立を守るため、次いで経済的な独立を守るため、そして、三つ目の目的が文化的な独立を守るために行わざるを得なかったわけです。

ところが、結局のところ、日本だけが先進国の仲間入りをできたのは、物真似がうまかったからにすぎないのではと思ったのです。それで突然、みじめな気分になったことを覚えています。

明治維新により、いわゆる「文明開化」を迎えたとされていますが、実はそれ以前の日本の文明・文化というのも、とても素晴らしいものだったのです。島崎藤村の『夜明け前』という有名な小説で、明治以前の時代は暗くて、明治以降は明るい時代になったと描かれていますが、実はそうではありません。

ところが「文明開花」という名称からも、いかにも日本史上初めて明るい世の中がやってきたとでもいうような、おかしなイメージが定着してしまったのです。

そこでここでは、明治維新というのは一体何だったのか、そして150年間、我々は何をやってきたのか、ということを考えたいと思います。

 

馬渕 私が思いましたのは、まだ150年しか経っていないのかということです。確かに先生が独得の皮肉を込めておっしゃったように、猿真似が上手いということは確かにそうでしょう。

然しながら、日本は表向きは文明開花といって西洋に従ったようなふりをして、実はした。ですが、そういう状況にある我々が今の世に感じていることと、明治の人たちが感じたこととは、どこか似ているんじゃないかと思うですね。

 

 

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これからは地球維新の時代に入っているといわれ、明治維新の比ではないと聞かされていました。

一般的な明治維新のことは知っていましたが、数々の書籍や映画等の断片的な物語のようで、実はよく分かっていないのではと思います。

文明開化の写真や絵画に出てくる、鹿鳴館で洋風な衣装で踊っている図は何と滑稽な姿だと以前から感じていました。今と同じ過渡期だったのでしょうか。

 


        鹿鳴館

 Rokumeikan.jpg

情報
完成 1883年7月7日
閉館 1940年
収容人員 2,000人
客席数 1階(食堂・談話室・書籍室)2階(舞踏室)
設備 バービリヤード
用途 外交舞踏会
運営 宮内省・宗秩寮・内匠寮(明治23年 - )
所在地

東京府麹町区山下町薩摩藩邸跡地

(現・東京都千代田区内幸町1-1[1])
位置 北緯35度40分19秒


 鹿鳴館における舞踏会を描いた浮世絵

 

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[フリー画] 井上安治 「鹿鳴館」

 


「フォトンとアセンション」続き……………

2018-05-19 22:38:12 | 真実を知る

「フォトンとアセンション」続き……………

 地球は、魚座から水瓶座の時代へ入っているといわれます。

魚座は支配・宗教の時代で、水瓶座は自由への解放、水晶(クリスタル)のような

清浄な魂の人類の時代といわれます。現在は立て替え立て直しの真最中という

ことのようです。

 

地球大改革と世界の盟主」(フォトン&アセンション&ミロクの世)

著:白峰由鵬(謎の風水師N氏) 発行:明窓出版 より抜粋

 

水瓶座の時代

太陽系の星の中で一番「フォトン・エネルギー」を吸収しやすいのは地球である。

なぜなら地球は水の惑星で、「フォトン・エネルギー」は火のエレメント(成分)だから、火と水は共鳴するのだ。だから今、海流・海水の変化、海の塩分濃度までも変わってきている。

人体も70%が水である。ここに水瓶座の暗号が隠されているのだ。

水瓶座の時代というのは、水によって世の中が変わるという時代なのである。

南極の氷が溶けて水浸しになるのも水の世の中であるし、地球も70%が水(アクア)であるから、宇宙エネルギーと共鳴を起こす。

人間も7割が水。人体に大きな影響があるのは当たり前のことなのだ。

2012年の冬至、「フォトン・ベルト」に突入。20年に一度行われる伊勢神宮の次の式年遷宮は、ちょうど2012年にあたる。また、ピラミッドの中はタイムスケジュールになっていて、そこには2012年以降のカレンダーは書かれていない。

宇宙問題、エジプトのピラミッド、伊勢神宮の立て替え、全てシンクロしているのだ。

2012年からは新時間軸がスタートする。時間軸がまったく変わってしまうのだ。

時間軸(横軸)と次元軸(縦軸)は共鳴を起こす。時間軸が変換すれば、次元軸も変換する。

例えば今、インターネット社会で、以前は一日かかったものが一、二分で済んでしまう。

出向いていかなくても、情報は一瞬にして送れる。だから、皆さんはコンピューターを通じて時間軸を変えているのだ。そしてそれは次元軸も変えているということなのである。

フォトン・エネルギーが一番共鳴を起こしやすいのは人体だが、もう一つコンピューターの電気信号とも共鳴を起こしやすいのだ。

 

 

「人類アカシヤ全史」

ゲリー・ボーネル著の「光の十二日間」という本があったが、結局のところ何も起こらなかった。

しかし、太陽フレア―(太陽の大気にあたるコロナで起きる爆発現象)の一番強い時に百人に一人、一万人に一人の人が何らからの体験をしたことは事実だ。ボーネル氏の「人類アカシヤ全史」は私の目から見ると、どう見ても外国人的解釈としか思えない。

アカシックレコードとは何か。私から見れば地球の中の水晶体である。

地球上にはケイ素が一杯ある。空・風・火・水・土、地球はこの五大エレメントで出来ている。

そしてこの水というところは、水蒸気や水ではなくて水晶体結晶、ケイ素なのだ。ここに色々な地球の歴史、人類の歴史が入っているのである。これは水晶・クリスタルだけではない。もちろん水晶・クリスタル・シリカは一番共鳴を起こしやすいのだが、宝石・指輪・石というものも全部情報を持っている。死んだら墓石を建てるのもエネルギーを伝達しているからなのだ。

 

ゲリー・ボーネルは本の中で、日本にはピラミッドがないと言っているが、形が崩れていても日本の山は全てピラミッドだ。その最たるものが富士山である。

ゲリーの本の中で一番良いところは、アセンションに向けて、一つの人種・一つの文明・一つの宗教になると書かれているところだ。

私は以前から天皇制について語ってきたが、地球を一つの軸でまとめる場合、お金などではまとめられない。天皇家の在り方が必ずアセンションの問題で出てくる。

 

水と共鳴しやすいフォトン。そして地球もアクアですから共鳴を起こしやすい。人体もしかりである。しかし、実はもう一つ地球でフォトン・エネルギーを吸収しやすい要因があるのだ。

それがピラミッドだ。世界中の山、特に日本中の山はそういうふうに作られているのである。

逆に言えばピラミッドが「フォトン・エネルギー」を吸収しているということなのだ。

本当のピラミッドは上だけでなく、その下にも同じようにある。富士山もそうできている。

世界で一番エネルギーを集めているピラミッドは、日本の富士山。霊峰富士と言われる所以は、人間の共通意識と共鳴を起こすからなのだ。

だから皆さんが悪いことを考えたり、日本人の共通意識が下がったりすると、富士山は動きますよということなのである。

「フォトン・エネルギー」が宇宙から来て、富士山が共鳴するから、噴火しやすくもなっているのだ。これは実際科学的にも言っても、そういう状態にあるのだ。

地球を守る為に様々な防衛計画が施されている。ただ皆さんが知らないだけなのだ。地球防衛軍というものは実際に存在するのである。

 

「シューマン共振」の上昇は、ピラミッドがエネルギーを吸収して増幅している。そして、地球が水の惑星だということも原因の一つである。

 

富士山の噴火を止めるのは簡単なことである。アメリカのテロがあった頃、日本の景気は非常に悪く、日本人の集合意識は下がっていた。あの状態のままいけば、多分、年末辺りに噴火していただろう。それが9月11日の同時多発テロで、日本人の意識は全部アメリカに行ってしまったのである。意識が日本からアメリカに全部流れて、つまりはガス抜きをしてしまったのだ。だから今回のテロ事件には、色々な要因や原因もあるが、そういう「時の流れ」の中で起こっているということなのだ。

 

実際の富士山の高さは一万二〇〇〇メートルある。私が見える超古代の富士山の高さだ。

その裾野は、東は千葉の館山から、西は鳴門まであったのだ。富士山は世界一のピラミッドなのである。

そしてアカシック・レコードはアカシャと言いますが、仏教的な表現では虚空蔵菩薩が管理している。だからゲリー・ボーネルだけが、アカシック・レコードを読み取れるわけではないのだ。

弘法大師も聖徳太子も、役行者さんも日蓮さんも、岡本天明さんも出口王仁三郎さんも、皆、ちゃんとアカシック・レコードから情報をもらっていたのだ。只々表現の違いだけなのである。

  

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