愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

三笠公園へ

2018-06-15 19:26:32 | 真実を知る

横須賀の三笠公園へ 

 先日、仕事休みに横須賀の三笠公園へいってきました。横浜在住なのでいつでも行ける所ですが、数年振りです。なぜその気になったかといえば、有名な戦艦「三笠」と東郷平八郎の活躍を上辺では知っていましたが、詳しくは知らないでいました。

あまりに世界的にも有名な人物なので伝説の事柄や、立派な人物だということぐらいで深く知ろうともしませんでした。私が女性だということもあるかも知れません。

正直いうと、最近あるブログで東郷平八郎の若い頃の写真を見てから興味をもちました。憎めないような、おしゃべりでイケメンだったとのこと。あの厳めしい勇姿しか知りませんでしたから。それで三笠が保存されている公園へ行ってみようということになりました。

昨今、日本列島の周りは近隣諸国の情勢がキナ臭く、日本海に毎日うごめく不審船の数が増しているとのこと。ある意味世界第三次戦争に入っていると聞きます。

それを想うとき、日本を守るため必死に戦った先人たちが今の現状をどう思っているのでしょうか。今、生きている私たち一人一人がしっかりしなくていけないと思っています。

 

  • 東郷平八郎 バルチック艦隊 に対する画像結果

 

 カタログの表紙、裏表紙より

 

 

  • 東郷平八郎 バルチック艦隊 に対する画像結果 
  • Z旗 
  • 「皇国ノ興廃コノ一戦二アリ 各員一層奮励努力セヨ」を示す信号です。日本海海戦にちなみ、難事に当たり最後までベストを尽くし成功を期する旗印として慣用されるようになりました。

 

 

 

            東郷平八郎の銅像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           尖頭に菊の御紋があります。

 

           向い側に臨む 無人島「猿島」

 

 

                  連合艦隊司令長官発令当時

 

 

 

 

 ウィキぺディアより出典

東郷 平八郎
Togo Heihachiro,1907.jpg
渾名 沈黙の提督
海の東郷
東洋のネルソン
生誕 1848年1月27日
日本の旗 日本 薩摩国鹿児島郡加治屋町
死没 1934年5月30日(満86歳没)
日本の旗 日本 東京府東京市麹町区上六番町
所属組織 大日本帝国海軍の旗 大日本帝国海軍
軍歴 1863 - 1913
最終階級 元帥徽章.svg 元帥海軍大将
除隊後 東宮御学問所総裁
墓所 多磨霊園東郷神社、多賀山公園
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        イギリス留学時の東郷(1877年)

 

 アメリカの雑誌『TIME』の表紙になった日本人第一号だった 1926年  

  •         東郷平八郎 バルチック艦隊 に対する画像結果

 

 


「小田原駅前の署名活動」

2018-06-10 19:25:58 | 真実を知る

「小田原駅前の署名活動」

 9日に所用があって小田原駅を降りました。海側の駅階段を降りた所で署名活動をしていたグループがいました。約20人程で、年金生活者らしき70歳から80歳の方々でした。

何を呼び掛けているのかとプラカードを見ると、「憲法を守れ」、「平和憲法を守れ」、「改憲反対」でした。皆さんにこやかに呼びかけていました。どこかの組織に頼まれたのでしょうか。それとも自発的にやっているのでしょうか。

この方たちはこれまで、憲法のことなどあまり考えてこなかったのではないでしょうか。新聞は、A日新聞、М日新聞、Y売新聞、T京新聞でしょう。そして、テレビは、毎日習慣のようにスイッチを入れて朝昼晩と観ている。偏向報道されているとは疑ったことも無いし、自身がまさか洗脳されているとは気づいてもいない。お花畑の中だけで生きている。

これまで曲がりなりにも年金で生活できている。これまでの憲法で何がいけないのか、と思っているのではないか。現在の日本を取り巻く世界情勢の厳しさを知らないし、深く知ろうともしない。新聞、テレビがすべて正しいと思い疑ったこともない。一度思い込むとテコでも変えない。

思い込みの強さはスゴイものがある。そういう意味では、若い人はまだ柔軟性がある。ネットでの情報は玉石混淆ではあるが、自身で調べて考えることができる。

竹島が韓国に乗っ取られ、尖閣諸島や沖縄が中国に脅かされ、乗っ取ろうと狙っている。それでも、このままの憲法で良いと言う人々は次の寓話の中のカエルのようです。

「カエルの楽園」の物語の中で、南の崖をよじ登ってきたウシガエルに不安を抱くツチガエルたちに対し、ディブレイクやガルディアンは実に気味の悪い言葉を吐いています。

 ●「ウシガエルは虫を追っていて、うっかりと南の草むらに入ってきただけかもしれない。あるいは草むらが珍しくて、見学に来ただけかもしれない」

●「こんなところに我々が集まっていては、緊張を高めるだけです」

●「とことん話し合えば、必ず明るい未来が開ける」

 

この本が出された四か月後の2016年6月9日(単行本の刊行は2月)に、中国軍艦が初めて尖閣沖の接続水域に侵入した時、朝日新聞は社説に次のような文章を書きました。

●「今回の行動に習近平政権の意思がどこまで働いていたのか。(中略)軍艦の行動が意図的なものか、偶発的だったのかも不明だ」

●「事実関係がわからないまま不信が募れば、さらなる緊張を招きかねない」

●「対話のなかで、お互いの意図を理解し、誤解による危機の拡大を防ぐ」

 

奇妙なことにディブレイクたちの言葉とまったく同じなのです。偶然の一致なのでしょうか。

ちなみに現在、尖閣諸島周辺では毎日、中国艦船がきて数が増しているそうです。 メディアはそのことを報じません。

「思考を放棄した国家の運命」と「メディアの国体を弱体化へと導く恐ろしさ」

 はからずも小田原駅前でのお年寄りたちの嬉々とした、「憲法を守れ、改憲反対」の署名活動に接し、日本国民の命と安全を守ることの困難さに身の引き締まる思いがしました。

 


「明治維新150年目の岐路に立つ日本」(最終章)

2018-06-03 18:31:42 | 真実を知る

「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

前日の続き……………………

 

 「美(うま)し国」日本の底力  著者:加瀬英明 馬淵睦夫 

   発行:ビジネス社  第1版発行 2017年10月1日

 

 ◎取り戻すべき日本独自の教育システム

加瀬  戦後の受験戦争は、知を育むどころか、国家による子供への壮大ないじめと化しました。

こんなにいじめが社会的な問題になっている中で、実は国がこれからの日本を担う少年少女に公的ないじめを行っている…。ですから僕は、受験戦争の片棒を担いでいる文部省の解体論者なのです。

江戸時代を例にとると、幕府には教育担当の役人というのは実のところ一人もいませんでした。その代わり、寺子屋が全国に2万校以上あったのです。これは今で言うチャータースクールのように、全部地域住民による手作りの教室でした。しかも、士農工商の「農工商」の庶民の学校だったのです。それでも男女が等しく学んで、優れた人たちをたさん輩出しました。

 侍の息子たちは、「藩校」という藩の学校に通いましたが、武家の娘たちには行く学校などありません。では、どのように教育していたかというと、全部、家庭で教え、しつけられていたのです。

 こうした日本独自の教育システムが、江戸時代は十分に機能していました。それなのに、明治維新の近代化の産物である現在の学校制度において、先ほど申し上げたように「心」はないがしろにされるばかりです。

これが日本の今の停滞を生み出している大きな要因ではないでしょうか。だからこそ、皆さんには、受験地獄というのは、壮大ないじめだということを認識し、それを打破するために声を上げてほしいと思っているわけです。

 

 ◎日本人が失ってしまった「宝」

 加瀬  日本は本来「心」の国であるにもかかわらず、その心がだんだんと疎かにされてきた結果、明治維新から150年経ったこの時期に、改めて明治維新の功罪を考えるべきではないかということを、ここまで大使と話してきました。やはり、近代化によって私たちの大切な宝=心を失いつつあるということを、皆さんにぜひ気付いてもらいたいですね。

 馬渕  そうですね。もう先生に結論をおっしゃっていただいたわけですが、一言付け加えさせてください。

今のマーケット至上主義には、心が必要ありません。ですから、マーケットが中心になる社会というのは必ず心が荒んでいきます。

先ほど勝海舟の借金に対する考えをご紹介しましたが、かつて我々日本人の経済活動には必ず「道徳」が入っていました。単に儲かればいいというのではなく、そういうことを改めて思い返す時期に来ているのではないかと思います。

 加瀬  大使が書かれた『グローバリズムの終焉』(KKベストセラーズ)という本にもあるように、グローバリズムは日本人を日本人でなくしてしまいます。日本人でなくなるということは、日本が滅びるということ。ですから、もうそろそろグローバリゼーション=アメリカニゼーションを我々は断ち切らなければいけないということなのです。

 馬渕  まさにその通りだと思います。

 加瀬  仮に2000年以上昔の非常に古い良いものを一点持っていて、それが大変な値段で売れるとなったら、皆さんはおそらく売らずに逆に必死になって守りますよね。

我々が持っている日本の文化的な伝統というのは、まさに2000年以上経った、素晴らしい宝なのです。ですから皆さん、そういう本当に世界でも稀な宝を日本人一人一人が持っているということを、決して忘れないでいただきたいと思います。

やはり、この日本という宝を我々が大事にしないと。我々の子供、孫にこれを受け継いでいかせられなくなってしまいますから。

 馬渕  我々は日頃、日本国家というもののありがたみを感じていません。日々、美味しいものを食べ、楽しく生活する、それはそれで良いことですが、しかしそれはあくまで日本という独立国家があるからできる話です。

我々が当然と思って感じてこなかった国家のありがたさが、”残念ながら“今後は感じられるようになるかもしれません。

残念ながら、というのは、そういうことを感じられるときというのは有事のときなんですね。おそらく、そういう時代が来てしまうでしょう。

 加瀬  すでに、我々は有事の中に生きているともいえます。朝鮮半島の情勢が緊迫するようになっていることからも、それは明らかなのです。

 

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 まさに、有事の中にいると日々感じています。世界情勢が日々、刻々とnewsとして入ってきています。日本のオールドメディアは、どういう訳か正しいニュースは流しませんね。国民を都合の良い方向に誘導していることが、その文章の流れ、テレビの構成でも発言の言葉によって、よく分かってきました。そのことに気づかないでいる多くの人々。一度洗脳されると、思い込みが激しく、自らが何かのキッカケによって気づかないかぎり説得は難しいですね。まだ多くの60%の人々がお花畑の中にいるようです。ハーメルンの笛吹き男によって夢遊病者のように、後をついて言っているように見えます。

昔のドンパチやる戦争と違って、表面だけでなく水面下のやりとりが静かに進んでいるようですが、今は、ネットの時代ですので刻々と政治、経済、環境の変化する様子がよく分かります。朝鮮半島の情勢が緊迫していますが、この有事の事態を見守りたいと思います。

 教育がとても大事だということがよく分かります。一部の一般の人の言動もそうですが、昨今のnewsになった官僚や国会議員、地方議員等の言動には、呆れてしまいます。東大を出たから優秀だとか、弁護士、検事が信用に値するとかは無いです。学校の教授、名誉教授、理事と称する人、そして、監督、コーチという指導者は、その仮面の中はどうなっているのでしょうか。

 日本独自の教育システムを考える時がきています。




明治維新150年目の岐路に立つ日本」

2018-06-02 20:01:39 | 言葉と言霊

明治維新150年目の岐路に立つ日本」

前日の続き………

 

「美(うま)し国」日本の底力  著者:加瀬英明 馬淵睦夫 

      発行:ビジネス社  第1版発行 2017年10月1日

 

 

「混迷のときは原点に戻る」が鉄則

 馬渕  幕末期の英傑に勝海舟がいますね。私が彼に感心したのは、はっきり言えばたった一つのことです。

よく知られているのは、江戸城無血開城の決断をしたということなんですが、私が強調したい彼の重要な信念は「外国からお金を借りない」ということなのです。

彼の回顧録である『氷川清話』などを読んでみますと、これが何度も出てきます。「外国から借金をしちゃいけない」と。

当時、彼がそう言い切っていたことは凄いことです。もし幕府がフランスからお金を借りていたら、あるいは薩長がイギリスからお金を借りていたら、と思うとぞっとします。

もし借金をしていたら、戊辰戦争も彼らの代理戦争になっていた可能性がある。しかも、その当時の借金をいまだに我々は返し続けなければならなかったかもしれない。

勝海舟は、そういうことを直感的に見抜いていた人なのではないでしょうか。

また、西郷隆盛との会談も、日本人独特の阿吽(あうん)の呼吸で、無血開城の合意に至りました。

そういうところが、やはり西洋の歴史でいう「革命」ではない証しなのです。

先ほども申し上げたように、これはやはり「復古」だということです。

そもそも、国の根幹を揺るがすような事件が起こった際、我々日本人の知恵、先祖の知恵というのは、いつも復古を目指します。過去に戻って、どう対応するかを考えるというという智慧だと思うんですね。

言葉では「王政復古」といいますが、加瀬先生もおっしゃったように、王政といってもヨーロッパ流の王政ではなくて、元々の日本の形を指しているのです。権威としての天皇がおられて、そのもとで行政機関が日々の政治をやる。そのように、天皇を国民が支えるという体制の「復古」を目指したのが明治維新であると、解釈することができるのではないでしょうか。

 

 

なぜ、日本語には「心」が付く言葉が400以上もあるのか?

 加瀬  日本人は「心の民」だったとも思います。ところが文明開化で西洋の事物がわっと入ってきて、西洋の真似をするうちに、手段である真似を目的だと思い込んでしまい、だんだん心が疎かになっていると思うのです。

僕は物書きですから20巻もある国語辞典を持っています。あるとき「心遣い」とか「心づくし」とか、上に「心」が付く言葉を数えてみたら、なんと400以上数えてもまだ終わらない。

一方、英語のコンサイスの英和辞典を引いて、heartが付く言葉を引いたら、10ちょっとしかないのです。

「heart burn=胸焼け」「heart attack=心臓まひ」とかね。このことからも、我々日本人は「心」の民だということが分かります。

ところが最近は、日本人でも「心」ではなく「頭」だけを使って暮らしている人が多いのではないでしょうか。昔は心を用いて、みんな生きていたにもかかわらず……。

 今、「AI(artificial intelligence=人工知能)」が話題になっていますが、ロボットはどこまでいってもロボットで、使うのは頭だけです。友達も家族もいません。

もっとも最近は、喫茶店などにもお一人様で行くらしいですね。昔は喫茶店といえば仲間と一緒に行くものでしたが……。

 

馬渕  そうですよね。私も時々喫茶店に行って勉強しますが、二人連れのお客さんでも、コーヒーを飲みながら互いにバラバラにスマホをいじっている光景をよく目にします。会話をまったくしないで……。それで、飲み終わったら出て行くだけなんです。

 

加瀬  高齢者の中にも、一人暮らしの人が増えていますね。ある調査によると、朝昼晩一人で食事をしていると、精神障害が起こるそうです。それで孤独死が多いわけですから。

いずれにしても、だんだん頭だけを使う社会になっていくというのは、空恐ろしいことだと思いますね。

 

 馬渕  今ふうに言えば、いわゆる「理性」ばかりが尊重されて、感性というものがなおざりにされているということでしょう。

先生がおっしゃった「心」というものの大切さは、学校教育でも教えられていません。このままでは、本当にAI社会になってしまう……。

 しかしながら、本当は人間には理性と感性、両方が必要なのです。明治時代もそうでしたが、日本は太古の昔からその二つが必要なんだということを、体で知っていたはずです。

言わなくても分かって生活をしていたところに、西洋文化という「理性文明」が入ってきてしまった……。そして、その相克がいまだに続いているのが、今日の日本の姿だという気がしてなりません。

 

 加瀬  明治維新によって、近代国家ーー近代国家というのは嫌な言葉ですがーーが完成したことにより、簡単に言えば頭だけを使う社会になって、その成れの果てが今の日本なのではないかと思います。だから僕は、明治維新は余計だったということを、声を大にして叫びたいのです。

 

 馬渕  今はまったく明治維新の頃と同様に、改めて日本の精神性を取り戻そうとするべき時期だと思います。

戦後民主主義は確かに居心地の良い時代を作りました。ただ、こうした太平の夢を貪っているときにこそ、加瀬先生や私のように、「本当にそれって正しいの?」「それじゃおかしいのではないか?」という声を上げる人が出てこなければいけない。

つまり、人間だけが持ち得る理性と感性の両方を磨き、今こそ精神武装をしなければならないと思うのです。

そして、太平の眠りから多くの人が目覚めていく、そのときこそ“第二の明治維新”が始まるのかなという気がします。

 

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”泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず”

黒船来航の際に詠まれたもの。上喜撰とは緑茶の銘柄である「喜撰」の上物という意味であり、「上喜撰の茶を四杯飲んだだけだが(カフェインの作用により)夜眠れなくなる」という表向きの意味と、「わずか四杯(ときに船を1杯、2杯とも数える)の異国からの蒸気船(上喜撰)のために国内が騒乱し夜も眠れないでいる」という意味をかけて揶揄している。

 
 

「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

2018-05-31 11:30:36 | 真実を知る

 

「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

前日の続き…

 

「美(うま)し国」日本の底力  著者:加瀬英明 馬淵睦夫 

発行:ビジネス社  第1版発行 2017年10月1日

 

 

⦿仁徳天皇が3年間税金を免除したわけ

 

馬渕 日本の場合、天皇から見て国民というのは、ヨーロッパにあったような対立する存在ではありません。我々はヨーロッパの歴史ばかり学ぶので、王対貴族、ブルジョアというような主従の概念に毒されています。

これは要は、お互い対立関係にあるから、権限を制限するような契約を結んで主従関係になるということでしょう。

ところが、日本では契約はいらないんですね。なぜなら天皇にとって、国民というのは大御宝(おおみたから)、宝物だからです。

仁徳天皇の有名な話が古事記や日本書紀に出てきます。

民のかまどから煙が昇っていないのは、民が苦しんでいるからだということで、3年間は税金を免除するというエピソードがその最たる例です。

そして3年後に、国中の家から煮炊きの煙が上がるようになりました。そのときに、仁徳天皇が詠まれたのが、

「高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑わいにけり」

というものですね。

このような天皇の御心に、国民は自らの事に尽力することで答えてきました。つまり、常に天皇を支えるのは国民であったということなのです。だから、天皇にとって国民は大御宝であり、みんな平等だったわけです。

したがって、我が日本は太古の大昔から、平等主義社会だったということになります。

 

 

 

⦿「和を以って貴しと為す」の真意

 

加瀬 「和を以って貴しと為す」という聖徳太子の言葉を指して、論語から借りてきた精神だという学者の人たちがいますが、そんなことはありません。

中国の論語というのは支配階級が、どうやって民衆を支配するかという統治論なのです。

一方、聖徳太子が言っている「和」というのは、人間も動物も植物も全部横並びで、自然の一つにすぎないという意味なのです。素晴らしい言葉だと思います。

たとえば二宮尊徳が『夜話』の中で、こんなことを言っています。

 

 「農夫は勤労して植物の繁栄を楽しみ、

草木もまた喜びにあふれて繁茂する。

みな双方ともに苦情がなく喜びの情ばかりだ」

  

これは地上にあるものすべてが、横並びということなんですね。

二宮尊徳というのはそもそもお百姓さんの出です。

ところが江戸時代を見ると、士農工商の農工商から出た、つまり武家でない偉い学者というのがたくさんいるのです。

他にも平田篤胤(ひらたあつたね)という国学者がいます。この人は、「外国など追っ払ってしまえ」という思想の持ち主ですが、『静の岩屋(しずのいわや)(志都能石屋)』の中で、こういうことを言っています。

 

「外国々(とつくにぐに)より万(よろ)ずの事物の我が大御国(おおみくに)に参り来ることは、

皇神(すめらみかみ)たちの大御心(おおみごころ)にて、その御神徳の広大なる故に、

善きも悪しきの選(えら)みなく(略)

皇国(すめらみこく)に御引き寄せる趣を能(よ)く考え弁(わきま)えて、

外国(とつくに)より来る事物はよく選み採りて用(もち)ふべきこと」

 

外国のものはすべてNOと言って排斥しないで、そのうち良いものはどんどん取り入れて、我々の役に立つようにしましょうと言っているわけです。この平田さんという人は、江戸時代の攘夷の一番先頭の旗頭に立った人なんです。

 

馬渕 この中に大御心という言葉が出てきますね。外国の事物を取り入れるのも大御心であると。

これは天皇の御心ということですけれども、さかのぼれば、高天原の神々の御心ということですね。

古事記以来、みんな神様の子供だという発想があるわけです。人間だけではなく自然も含めて、みんな神様の子供だから同胞だという平等観があるんですよ。

今は学校で教えないので、こういうことを言うと驚かれる方もいるかもしれませんが、昔の人は、江戸時代はもちろんそうですけど、そういう事を知っていたのです。

 

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Wikipedia:ウィキペディアより

 

凡例

二宮尊徳

Ninomiya-Sontoku.jpg

尊徳座像(岡本秋暉作、報徳博物館蔵)

 

尊徳座像(岡本秋暉作、報徳博物館蔵)

時代

江戸時代

生誕

天明7年7月23日1787年9月4日

死没

安政3年10月20日1856年11月17日

別名

通称:金治郎(金次郎)、号:尊徳

戒名

誠明院功誉報徳中正居士

官位

従四位(明治24年)

幕府

江戸幕府

主君

大久保忠真徳川家斉家慶

相模小田原藩士、幕臣

父母

父:二宮利右衛門(百姓)
母:よし(川久保太兵衛の娘)

兄弟

尊徳(金治郎)
友吉(常五郎)、富治郎(早世)

室:きの(中島弥三右衛門の娘、後に離縁)
後室:なみ(岡田峯右衛門の娘)

徳太郎(夭折)、尊行(弥太郎)、ふみ
養子:りか (川久保太兵衛の娘) 

 

二宮尊徳

人物情報

生誕

天明7年7月23日1787年9月4日
相模国足柄上郡栢山村

死没

安政3年10月20日1856年11月17日
下野国都賀郡今市村

配偶者

きの、なみ

両親

父:利右衛門
母:よし

子供

徳太郎、尊行、ふみ

学問

研究分野

経世、農政


二宮 尊徳(にのみや たかのり)は、江戸時代後期の経世家農政家思想家である。通称(きんじろう)であるが、一般には「金次郎」と表記されてしまうことが多い。また、の「尊徳」は正確には「たかのり」と読むが、有職読みで「そんとく」と読まれることが多い。

 

経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した。

  



 コトバンクより 「夜話」について

二宮翁夜話(読み)にのみやおうやわ

世界大百科事典 第2版の解説

にのみやおうやわ【二宮翁夜話】

二宮尊徳の門人福住正兄が,師の身辺で暮らした4年間に書きとめた《如是我聞録》を整理し,尊徳の言行を記した書。1884‐87年正編5巻刊行。正編には233話,続編(1928)には48話を収める。尊徳の自然,人生,歴史観ならびに報徳思想の実体が,平易に,私心を交えず伝えられた,彼の全貌を知るための手引書である。冀北舎刊,のち岩波文庫所収。【塚谷 晃弘】