愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

「支那」は禁止用語か?

2017-07-25 15:04:33 | 真実を知る

「支那」は禁止用語か?

前回に続き、

「支那人の卑史 朝鮮人の痴史」より、 P174~177より抜粋

著書 黒木頼景(くろきよりかげ) 成甲書房

 

国家の名称について 「支那」は禁止用語か?

言葉は人間の創造だが人工物ではない。つまり、人間の頭脳による産物だが、

理性を用いて合理的に計画された意思疎通の手段ではない、ということだ。

歴史的経緯によって徐々に形成された遺産であるから、各民族にそれぞれ

特殊な風習があるように、言葉にも独特の癖がある。

もし、外国人に「お前の母語は変だ」と言われても、「よけいなお世話だ、

ほっといてくれ」と言えば済む話で、そんなのは世界の常識だろう。

だが、日本の役人やマスコミは異常で、朝鮮人や支那人からの

「いちゃもん」に毎回ひれ伏している。彼らが国名や言語名について

日本の慣習を変えろと要求しても、無視すりゃいいのに

「御意(ぎょい)」と支那人・朝鮮人様に申し上げて恭順の意を示す。

一般国民からの抗議は門前払いなのに東北アジア人には媚び諂う(へつらう)

文部官僚や朝日新聞、NHKには屁だってくれてやるのが惜しくなる。

 

毛沢東の赤い共和国を「支那」と呼ぶのは断じて差別ではない。

高島俊男や呉智英が縷々(るる)述べたからここでは繰り返さない。

でも、少しだけ言うと、」昭和二十一(1946)年六月六日に外務省の

岡崎勝男・総務局長が、主要新聞社や出版社に「支那の呼称を避けることに

関する件」なる公文書を送った。

戦勝国気取りの中華民国が日本政府に対し「支那」の使用を禁止する

命令を出したからだ。

 

蒋介石がどんな文句を言おうが断固拒否すればよかったのに、

唯々諾々と従ってしまったのが岡崎であり、「お上(かみ)」に弱い

新聞・雑誌や教育機関、および進歩的文化人であった。

この岡崎は後に外務大臣に転身するが、支那に恭順を示す外務官僚の

嚆矢(こうし)となったことはたしかだ。

支那人に対して堂々と構えていた副島種臣と比較するのは、

蒼海伯(副島)に対して無礼だから控えるが、いやしくも天皇陛下の

臣ならば恥を知れと言いたい。

敗戦の後遺症で日本人は毅然とした態度をとれなくなってしまった。

アメリカ人やイギリス人が「チャイナ」と平気で呼んでいるのに、

NHKの幹部は支那に配慮して「中国」と言い換えている。

英米だけが特別に頑固で習慣を変えないわけではない。

フランス人も「秦」が訛った「シーヌ(China)」と呼んでいるのだ。

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日本のマスコミや学者がどうしても支那人を「中国人」と仰慕(きょうぼ)

したいのであれば、紛らわしい「ちゅうごくじん」を口にせず、

日本風の発音で「チャンコロ」(中国人)」と呼んでやればいい。

北京政府に阿る連中は侮蔑語だと騒ぐだろうが、支那語の

「中国人(ツォンコーン)」を日本訛りで呼べば「チャンコロ」となるので、

日本の「中国」と区別ができて便利だろう。

日本のテレビ局が「支那人」を放送禁止用語にするなら、

いっそのこと大好きな中国人を「チャンコロ」と発音して採用してはどうか。

そうすれば、「支那人」のほうが普通に思えてくるはずだ。

 

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洗脳されてきたこの72年、真の日本人が目覚め、今、ある意味戦争状態である現在、このことを自覚しなければならないと思う。

百田直樹氏の「カエルの楽園」を読んで、まさにこの状態であることを実感しています。

 

 


日本の帰化人

2017-07-12 16:46:16 | 真実を知る

「日本の帰化人」

日本には在日朝鮮人がとても多い。しかも国会議員に多いのにはびっくり。

名前が日本人名なので気づかない。ところがこの頃国会質疑などを

映像で観ていると、特に野党の議員の相手への口のきき方が酷い!

そして、男性も女性もヒステリックで傲慢な態度の人が多い。

良く見ていると顔の作りが朝鮮人だなと分かってきた。

それは二世、三世でもあまり変わらないようだ。

野党に多い在日朝鮮人だが、与党にも多いことが分かってきた。

裏で日本を売る役人や議員がいる。とくに大物議員が皇室に入り込んでいる。

宗教団体、マスコミには要注意である。

国民は知らなければならない。人任せにせず、印象操作に躍起になっている

マスコミにも要注意です。

これから増々、危機が多くなってきます。

猛毒を持つヒアリが多く見つけられています。これも意識的に日本に

もたされたものと視ています。

 

日本の帰化人のリストが全員ではありませんが You Tubeで観られます。

 

          

二重国籍議員が民進党に多数存在!?なりすまし日本人帰化議員リストを入手!

東真菜 

https://youtu.be/aepy-I3dpfk?t=6

 

 

 

 

 


高杉晋作が目撃した支那

2017-07-04 13:17:22 | 真実を知る

「高杉晋作が目撃した支那」 

 前回に続き、「支那人の卑史 朝鮮人の痴史」より、 P79~82より抜粋

著書 黒木頼景(くろきよりかげ) 成甲書房

 

徳川家による文治政策の下で暮らしていた武士は、『禮記(らいき)』や

『春秋左氏傳(じんじゅうさしでん)』、『資治通鑑(しじつうがん)』などの夥しい

漢籍を読んでいたが、生身の支那人と交流することがなかったため、

支那人の本性について実感がなかった。

そんな武士も幕末の動乱で海外渡航をするようになり、骨と肉を持つ実際の

支那人と接触することができた。

支那人と邂逅した日本人として有名なのは、停滞する清朝支那に赴いた

高杉晋作たちだろう。文久ニ(1862)年、高杉は幕府が募集した上海視察団に

萩藩代表として参加し、薩摩藩士の五代友厚らとともに清国へ旅立った。

視察団一行が訪れた上海の市街地は思いのほか汚く、清潔を旨とする日本人だと

言葉が出ない。道端の至るところに塵や糞が堆積し、足の踏み場もないのに、

誰もこれを掃除しようとはしなかった。炎天下に曝された糞尿は異臭を放ち、

隣国の事情を偵察に来た日本人には、清国の政治がいかに乱れているかが

分かったという。

 

 2013年には、上海の黄浦江で豚の死骸が六千頭も漂流しているのが

発見されたという。これは支那の畜産業者が疫病で死んだ豚を川に投棄した

ことによるものだ。

 

悠久の歴史を偲ばせる揚子江(長江)は、昔から鼻が曲がるほど臭くて汚かった。

高杉たちの一行は、どこを見ても飽きなかった。黄浦江の濁流は印象的で、

犬、馬、豚、羊なもとより人間の遺体まで河に投げ込まれていたから、

腐乱死体が浮いていたという。その当時の上海では、コレラが流行していて、

支那人たちは治療を受けられなかった。難民の中には飢餓に堪えきれす

死に至る者までいたという。

コレラに罹って死亡する者があまりにも多すぎて、遺体を埋葬することも

出来ないから、死体を次々と河に投げ捨てたそうだ。

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日本人の一行は旅館でこのような水を飲んだせいで、病気に成ってしまい、

炎天下の中で、碩太郎、伝助、紋蔵の三名が死亡したという。

 

支那語を喋ることが不得意な日本人でも、漢字だけは一通り習得していたから、

支那の知識人とは筆談ができた。

視察団の武士が上海に滞在中、施渭南(しいなん)という支那人がやって来たので、

記念のため扇子に漢詩を書いてもらったそうだ。

この支那人は詩の中で「貢納(こうのう)」とか「蠻王(ばんおう)」云々と言う文字を

挟んでいた。すると、それを読んだ会津藩士の林三郎が烈火のごとく怒り、

その扇を投げ棄てるや、

  「我が神国の天皇は万古一系で革命が無く万邦に比類無きものなり。

  汝等の北虜王の類いではない。この腐った儒者め、無礼であるぞ!」

怒鳴りつけた。

これに戦(おのの)いた施渭南は、釈明する間もなくひれ伏し、ひたすら謝罪をして、

その失礼な句を削り取ることにした。後日、視察団の誰かが彼の素性を調べたところ、

この施渭南は、北京の学校に勤めている有名な教師であったという。

 

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この視察団、その会津藩士の林三郎の言動は立派であります。

武士として言うべきことはハッキリ言うという精神。日本人としてのフライド、

今こそこの大和魂を取り戻さねばならないと思います。