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「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

2018-05-26 21:39:31 | 真実を知る

「明治維新150年目の岐路に立つ日本」

 

「美(うま)し国」日本の底力  著者:加瀬英明 馬淵睦夫 

                 発行:ビジネス社  第1版発行 2017年10月1日

 

●日本が近代化できた本当の理由

 

加瀬 せっかく明治維新から150年という節目なので、皆さんとご一緒に考えてみたいのは、どうして日本のお隣の中国は、あれだけ古い文化文明を持っていたにもかかわらず、19世紀に西洋の列強が圧倒的な武力でアジアに押し寄せてきた際、近代化がまったくできなかったのか、ということです。

逆に、どうして日本はできたのかを考えてみると、これは、日本の確固たる力が昔からあったということなんですね。

日本には神話の時代から、海原の遠く向こうに「常世の国(とこよ)」というのがあって、そこから幸がもたらされるという信仰を守ってきました。たとえば恵比寿ます様という神様がいます。

恵比寿様はどこか遠い海の向こうからやってこられたわけです。だから漂着してきた神様「漂着神(ひょうちゃくしん)」だとか、お客様の神様の「客神(まろうどがみ)」とか呼ばれます。

そうした外から来たものを、日本人は喜んで受け入れてきました。

 これで分かるように、日本は“海の文化”なんです。その一方で中国は、“陸の文化”です。

海に背中を向けながら、自分たちは世界の中心だと考え、異なる文化をバカにしてきたわけです。

だから中国の理想の国というと、仙人が住んでいる山の中なのですね。

げんに「仙」と言う字は、人偏に山と書きます。だから、海の向こうから幸が来て、いくらでも我々は学ぶべきであるという考えと、自分たちは絶対に正しいと思って海に背を向けている文化の違いが、近代化の出来、不出来につながったんですね。

 

 フランス人が見抜いた明治維新の源流

 馬渕 先生が非常に的確に説明されたように、なかなか普通の日本人というのは、明治維新史観にどっぷりと浸かっていて、それを当然のごとく思っているから、逆に気付けないわけですね。

ところが外国から見ると、日本人がどのようにして明治維新を乗り越えてきたかというのは、とても大きな関心事です。日本が植民地化されなかったのはどうしてだろうかと、多くの人が考えたわけですね。

その中の一人に、ポール・クローデルという人がいます。フランスの外交官で詩人でもあり、駐日大使も務められました。彼の次の文章が、私は物凄く好きです。

 

「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。

それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている

民族は他にありません。日本の近代における発展、

それは大変目覚ましいけれども、私にとっては不思議ではありません。

日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に

欧米の文化を輸入しても発展したのです。どの民族もこれだけの急な

発展をするだけの資格はありません。しかし、日本にはその資格が

あるのです。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。

彼らは貧しい。しかし、高貴である」(1943年秋 パリにて)

 

 

これが発表されたのは1943年。つまり第二次世界大戦で、日本の敗色が明らかになりつつあった頃に、日本を弁護してくれたのです。

後半も良い言葉が並んでいますが、やはりこの前半に、彼らが見た明治維新の秘訣というか、日本人がそれを乗り切った秘訣が書いてあります。つまり、「太古から文明を積み重ねてきたからこそ急激に欧米化しても日本は発展することができた」と。

私は「これだな」と思うのですね。我々の祖先は当然のことのように行ってきたのだと思います。

ところが西洋人の人々から見れば、先生もおっしゃったように、日本だけが有色人種でなぜ植民地化されなかったのか。それが非常に大きな疑問、問題だったのです。

しかし、このポール・クローデルというフランスの駐日大使は的確に見抜いていた。

つまり日本が太古の昔から――縄文時代、あるいはその前から――文明を積み重ねてきたのだと。

だからこそ異なる文明が流入してきても、結局、それと共存することができたということだと思います。異なる文明に飲み込まれなかった秘訣がそこにある、ということですね。それが、日本が発展できた、明治維新を乗り越えることができたカギだと、フランス人が言ってくれているわけです。

我々は何となく感覚的にはそう思っているけれども、外から見てもやはり、そういうふうに映っているということ。これは我々も、明治維新150年の今日、もう一度噛み締めたほうが良い言葉だと感じたわけです。

 加瀬 そうですね。

 馬渕 また、最後の一文ですね。

「日本人は貧しい。しかし、高貴である」

残念ながら現在の日本において、どれだけ日本人の高貴さが残っているのかというのは大いに疑問です。ところが、敗戦直後ぐらいまでは、日本人はまだ、そういう高貴な精神を残していたと思います。

私がよく例に挙げるのでご存じの方も多いかもしれませんが、ガード下の靴磨きの少年の話があります。

お腹がペコペコだった少年に、ジョージ・アリヨシさんという進駐軍の日系兵士がパンをあげたのですが、少年はそれを食べない。「どうしたの?」と聞くと、「家ではお腹を空かした妹が待っているから、このパンを持って帰ってあげるんだ」と答えたという、有名なお話しです。まさにこれが、ポール・クローデルが見抜いた、日本人は貧しいけれども高貴だという精神の発露なのです。

しかし、今は残念ながら、どうでしょうか。日本は豊かにはなりましたが。精神は卑劣になってしまったのではないかという点について、私は、我々一人一人が反省すべき問題であろうと思います。

しかし逆に言えば、この少年の例が示すように、どんな厳しい状況であっても、なお他人のことを思いやることができる。先ほども先生と議論しましたが、日本人はそういう気持ちがあったわけです。自分のことではなくて、他人のことを優先して考えられる、そういう心が日本人には根付いていました。ところが豊かになったがゆえに、かえって他人のことを考えられなくなったのかもしれません。

私がウクライナにいた時代に、ウクライナの学校で高校2年生が日本文学を勉強していました。

それで授業参観に行ったところ、そのとき、川端康成の『千羽鶴』という小説を勉強していました。「難しい小説を勉強しているな」と思いましたが、その後に生徒たちが、その授業の感想文を送ってくれたのです。

その中の一人の女性徒の感想文がいまだに忘れられません。第一章で加瀬先生は、「天皇は天と地の間をつなぐ役割を果たしてくださっている」とおっしゃいましたが、実は彼女も「日本の昔からの伝統や習慣は、天と地を結ぶ階段の昇り方を教えてくれている」と指摘していました。

さらに、その文で「日本の伝統的な文化というものは、全世界を平和に導く」ような日本の昔からの習慣、伝統を、日本の方々が守り続けていることを期待しています、という形で結ばれていました。

ですから、彼女が日本に来た際、今の私たちを見たら、さぞ落胆するんじゃないかと心配せざるを得ません。しかし私は、この本を読んでくださっている方々な、このエピソードから何かを摑んでいただけたのではないかと思います。

その結果、我々が何千年もの昔から引き継いでいる魂、心というものが廃れずに残っていく……。

高貴な心が引き継がれていくと、私は強く信じています。

 

 

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ポール・クローデルが1943年の当時、「日本人は貧しい。しかし、高貴である」と思い文章にした。

2018年現在、日本人は豊かになった。しかし、それは物質的なものであって、心は貧しくなっているのではないか? 日本人が本来持っている神聖な心、高貴な魂が奥に隠れてしまっているように感じています。




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