愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

身魂磨き(みたまみがき)

2015-03-26 16:12:24 | 今に生きる

「身魂磨き」とは?

神道では「みたま」(御魂)を磨くことが、人間としてこの世に生きている目的である

といいます。

この3次元の限られた時間の中で各人それぞれの課題がありますが

精一杯いろいろ経験して学び、生き切ることが大切です。

目の前の良い出来事も、悪い出来事ごとも、逃げずに取り組んでエゴを少しでも

無くしていくことが魂の浄化になりまます。

心身が磨かれていきます。

誰にも気づかれないだろうからポケットにしまい、この場から立ち去ってしまお

うとか、これまでそうやってきたけどバレなかったしとか、

この問題は面倒だから適当にやっておけとか、自分の責任の失敗を

他人に転嫁したり…… 沢山の自分の課題を逃げたり、誤魔化したりしてきたこと

が、これからは増々表面に浮き上がってきています。

個人レベル、企業レベル、政治家レベルで顕著になっています。


最近では、大阪桐蔭中学・高校の裏金問題が取りざたされています。

現在5億円以上のお金の不適切な使い道が明るみになっています。

これは氷山の一角だとか。

他の教育機関でも有りうることらしい。周りも薄々知っていながら黙って見ていたという。

お金や物に対する執着はどこまでもエスカレートしていくし、自己保身からウソを

つき続ける人、善良な顔をして平気でいられる人、

心の奥の魂は知っています。悲しんでいます。

これからは、そのままではいかない世の中になっていくそうです。

潜在意識の状態が浮上してきます。それに気づいた人から、過ちを素直に認め、

反省し、謝り、償うべきことは償い、修正していくことが大切になります。

日々、どんな小さな事柄でも上書き修正して、身も心も軽くなっていくと、

あとから、何であんなに執着していたのかと不思議な気持ちになります。


上辺はどんなに取り繕っても、内面の心は嘘はつけないものです。

逃げてもダメです。必ずその身に降りかかってきます。

これは、送ったものが送られる厳然たる「宇宙の法則」があるからです。

同じ送るなら愛の想いをプレゼントしたらどうでしょうか。

身魂を磨いて、この世での宿題をクリアして次の新しい世界へ楽しく生きましょう。



 


日本文化の再確認その②

2015-03-25 21:09:10 | 今に生きる

 「おかげさま」(お蔭様)

この言葉は、「お元気でしたか?」という問いかけにたいして使われる言葉です。

最近は、あまり使っている場面が少なくなっていますが、昭和の時代では、挨拶として

あたりまえに使っていました。


「語源の由来」を調べますと、

「おかげさま」は、他人から受ける利益や恩恵を意味する「お蔭」に「様」をつけて、丁寧にした言葉。

古くからは、「陰」は神仏などの偉大なもののお蔭で、その庇護を受ける意味として使われている。

これは「御影(みかげ)」が「神霊」や「みたま」「死んだ人の姿や肖像」を意味することにも通じる。

接頭語に「お」がついて、「おかげ」となり、それに接尾語の「さま」がついてあいさつの言葉となった。

「お蔭様」になったのは室町時代からで、悪い影響をこうむった時にも

「お蔭様」が使われるようになったのは、江戸時代からである。


「意味」

おかげさまとは、感謝の気持ちを表す言葉で、あいさつの言葉としても用いる。

「神様や周りの人のお世話によって元気に過ごしています」というような意味です。

つまり、感謝の思いの言葉になる。

英語では、Thank You の一言ですが、「お蔭様」の深い意味は無いように思います。

「お蔭様」は謙虚な大和の心が表現されています。

日常から、気軽なあいさつの使い方でいいですから習慣化していき、

心からの思いで発すると良い人間関係がスムースに出来ると思います。


お蔭様で今日も元気です!!!\(^o^)/


 


日本文化の再確認その①

2015-03-23 15:01:32 | 今に生きる


食生活の習慣


「いただきます」と「ごちそうさま」

小さな頃から当たり前にしてきた言葉です。

食物を作ってくれたお百姓さん、農家の方はもちろん、恵みを与えてくれる

おてんとうさまに感謝するという親からの教えでした。

この頃、世間ではそれも少しないがしろにしている傾向があるようです。

そういう私も一人食事をするとき、なにも言わずに食べ始める時があるのに

気づいて、感謝の心が薄れてきているのを反省(-_-;)

先月でしたか、テレビで外国の方数名と日本人数名で討論みたいなことを

やっていました。

ある南米の女性が、「何でいただきますをいうのか?誰に向かって言うのか

分からない。お金を払っているのだからわざわざいただきますとか、

ごちそうさまなんて言う必要がない。」と凄い剣幕でしゃべっていました。

日本人の方たちは、明快な返答ができなくて言い負かされていた感じがありました。


そういえば日本でも数年前、給食費を払っているのだから「いただきます」を言う必

要がないと、親が学校に申し入れしたという記事を聞いて、唖然としてしまいました。

世知辛い世の中になってきたなと思いました。

外国では食事の前に宗教的儀式はありますが、ほとんど何もしないところが

あるようです。


「いただきます」と「ごちそうさま」の意味

まず一つ目は、食材への感謝です。

お米、野菜、果物、魚、肉など、その命を頂いてこの肉体を維持させて

いただいていることへの感謝です。

二つ目は、それらの食材を作ってくれた農家、漁業、流通、など食事に

携わっていただいた人々への感謝です。

そして、大変な思いをして食事を準備してくれた人への感謝の意味で

「様」をつけて「御馳走様」

大きく言えば大自然への恵みの感謝だと思います。

生かして頂いてありがとうございますの謙虚な言葉が

日本人の食文化に現われていると思います。

これからもその意味を知って、日本人の大和の心を育てていきたいものです。



 


日本文化の再確認

2015-03-22 20:03:53 | 今に生きる


日本文化の良さを再確認

1945年戦争に負けてから、日本人はすっかり骨抜きになり、価値観かガラッと変わって

しまいました。無理も無いですが、GHQにより意図して、考え方や精神が洗脳されてきま

た。古来からの良き伝統も文化も衰退してきました。

日本より西洋のものに憧れが広がり、自国の文化も低いものと思うようになりました。

音楽、映画、フアッション、教育、食品…、…、

学校教育にいたっては、人間にとって重要な道徳教育がないがしろにされてきています。

昔より生活は便利で楽になってきていますが、肉体的にも精神的にも低下していると

思います。

昨今、マスコミでも日本の文化が見直されつつあり、取り上げられるようになりました。

日本人からではなく、外国人から賞賛されてきています。

明治維新後からだと思いますが外国の方が、日本人のことを調査した記録が残って

いるそうです。それは、

「貧しい生活であるが、明るく元気で、勤勉によく働き、そして、清潔さと、

礼節を保ちながら生きている類いまれな人種である」


世界の何処にもない精神性は、賞賛と驚きであったと思います。

多くの日本人が自信を持ち、外国へ行っても日本の良さを

堂々と話せるようになる人々が増えるといいですね。

日本人には、外国の何処にもない素晴らしい魂を神様から授かっています。


ここで、アインシュタインが日本に来た時コメントした

「世界の盟主」という言葉を、言挙げします。


世界の盟主、日本。

世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度となく戦いが繰り返される。

最後に戦いに疲れる時がくる。

その時、人類は真の平和を求めて世界の盟主をあげなければならない。

この世界の盟主になるものは武力や金力ではなく、

あらゆる国の歴史を抜き超え、最も古く、最も貴い家柄でなくてはならぬ。

世界の文化はアジアに始まりアジアに帰る。

そしてアジアの高峰、日本に立ち戻らなければならない。

我々は神に感謝する。

我々に日本という貴い国を創っていたことを。



 

 


鹿島神宮の森

2015-03-21 21:28:02 | 今に生きる

 

3月20日に鹿島神宮へ参拝にいってまいりました。

3月に入り情報として、鹿島神宮と香取神宮は古くから関東の護りをなされている

重要な所で、特に東京の守護をされていると知り、昨今の東京直下型地震も

懸念されることで余計気になっていました。

この重要な大峠の時期に関東に住むものとして、一度は参拝に行っておかなけ

ればと日に日に思いが強くなっておりました。

必要な日に自然と行くようになっていました。

東京駅から高速バスで鹿島神宮駅で下車。

神宮へは午後の2時少し前になってしまいましたが、午前中は春分祭のイベント

あったようで、かえって人影も少なく森閑としていました。

   

さすが古く大きな森に囲まれた由緒ある神宮の風格が感じられました。

前日の雨の後、適度な湿気と爽やかな空気がとても心地よい場の空間でした。

何と言っても太古からそこに在る樹木の神聖さでした。

それは連綿と続いている新旧の循環が神聖さを保っています。

裏伊勢とも言われるだけのことがあります。

    

        

 

  

 

 

   

 地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。


  • 要石


 
樹木に畏敬の思いを感じることは、同じ土の上に生かして頂いている人として
 
地球に感謝の思いを向けることであり、
 
慈しみの愛を贈ることと同じだと感じました。