「皇室の伝統が長く続いているのは?」
現在、皇室の問題がいろいろ話題になっております。戦後の教育が大きいですが、君が代を歌わなかったり、国旗掲揚をしなかったりと日本国民としての自覚が薄れてきているようで、由々しきことです。
前回のつづきを下記著書から抜粋させていただきます。
「日月地神示ひつくしんじ 黄金人類と日本の天命」 著:白峰聖鵬 明窓出版
◎なぜ皇室伝統は、かくも長く続いているのか
「この世界に比類なき皇室の伝統、神代から続く伝統は、これを保持しようとする皇室の努力と、これを守り育てていた日本民族の知恵の結晶だったのです。
戦前の日本人は、日本の国体とは何かと問われると、即座に万世一系の天子の国と素直に答えました。元旦には「一系の天子、富士の山」と口ずさんで、平和な天皇の「日の本の国」に生まれたことを、しみじみと感謝してきました。
戦後はまた、戦前とは違った様相を呈してきているが、皇統が絶えることなく続き、国民の大多数がこれを敬慕していることには変わりがありません。
今日も天皇は日本国の象徴であり、国民統合の象徴で、国家元首です。時代状況は変わっても、古代から現代まで一貫しています。この統合性と連続性こそ、日本の天皇制の特色です。
なぜ皇室は皇統が連綿として百二十五代、二千六百五十九年も絶えることなく続いてきたのでしょうか。それは、共産党が皇室を侮蔑して、「天皇制」と呼ぶような「制度」ではなかったからです。それは誰が制定したわけでもない、民族の中に自然に育まれた文化だったのです。
特定の実力者が創り上げた「制度」ならば、別の野心家によって、中国の易姓革命のように何度も変革されていたはずです。ところが、皇室はそうではありません。
この皇道は、神道の発生と同根で、民族がこの風土から学びとった「惟神(かんながら)の道」と見ることができます。
国民は、伊勢神宮や各地の氏神を、畏敬をもって何千年も維持してきたように、皇室に反逆するなど考えもせず、親愛の情をもって守ってきたものです。それは決して人が創った「制度」ではなく、自然に生まれた神ながらの道の、中心的存在だったからです。
皇室と国民の関係は、本家と分家、君民一体の絆は、親子関係と同じです。国民は天皇との関係を理論的に知らなくとも、天皇の御前に立つと、ジーンとした血のざわめきを覚えます。それは、天皇の血と私たちの血が同一起源から発して、常に共鳴するからです。これを実証するには、
次のように考えればよいでしょう。
要と考えていくと、十代前までさかのぼると先祖の数は千人台に、二十代前では百万人台に、三十代前では十億人を越えます。ネズミ算の逆算です。ところが、百二十五代前の神武天皇の昔から、日本の国土に生きてきた日本人の数はたった四、五億人と推計されてい一人の人間が存在するためには、父母という二人の親が必要、二代前は四人の祖父母が必ます。だから相互に親を、先祖を何度も共有し、親戚同士でなければ数が合いません。
日本は島国で、三千年来、異民族の大量渡来もなく、侵略されることもなく、完全封鎖、鎖国社会の純粋培養で、相互に血のつながりを持ち合って形成されてきました。だから、天皇を本家とする一大家族国家になるのは当然でした。誰でも日本人は、どこかで天皇とぶつからなければ、自己は存在しなかったのです。
歴史上、源氏と平氏とは、宿命的な対立関係にある家柄だと教えられてきましたが、元をただせば、平氏は桓武平氏(五十代・桓武天皇)、源氏は清和源氏(五十六代・清和天皇)と言われるように、数代前の先祖は、ともに天皇家からの枝分かれだったのです。
日本人は個人よりも家柄を大事にする民族です。どの家の墓碑銘もたいてい「〇〇家の墓」で、個人の名は主張しません。どの家も数代前の先祖は辿れても、その先を知ることは困難です。そこで、総本家としての天皇家の血統を正しく伝えておけば、それで自分の系譜を代表することができます。民族の種の起源、出生の秘密を天皇家に代表して守り続けたのは、素晴らしい知恵だったのです。
かくして天皇の血と国民の血は同じであり、日本人は皆、「己のなか天皇をみて」暮らしているのです。だから国民は、意識しなくとも天皇に近づくと血が共鳴し、親愛と感動を覚えます。「君が代」が栄え永続することは、国民皆が栄え続けることと、まったく同義なのです。」