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現代ビジネスOPEN!! どりこの探偵局



~サッカー日本代表2010年W杯へ~
 『セルジオ越後録』


好評発売中      セルジオ越後 著
880円(税抜)
      

 
アジアカップ、北京オリンピックの惨敗という
結果は必然です。負けたら責任を取る。
この当然の論理がなければ「厳しさ」は生まれません。
「厳しさ」がなければ真の「競争」は生まれません。
真の「競争」がなければ強くはなれません。
「厳しさ」のない日本サッカーは
’06年からほとんど強化されていない状況で
ワールドカップ南アフリカ大会のプレ・イヤーを迎えています。

~本文「はじめに」より抜粋~

上の画像をクリックしてください




セルジオ越後(サッカー解説者)
18歳でサンパウロの名門クラブ「コリンチャンス」とプロ契約。非凡な個人技と俊足を活かした右ウイングとして活躍し、ブラジル代表候補にも選ばれる。1972年来日。藤和不動産サッカー部(現:湘南ベルマーレ)でゲームメイカーとして貢献。魔術師のようなテクニックと戦術眼で日本のサッカーファンを魅了した。来日当時から少年サッカーの指導にも熱心で、78年より(財)日本サッカー協会公認「さわやかサッカー教室」(現:アクエリアスサッカークリニック)の認定指導員として全国各地で青少年のサッカー指導にあたる。ユニークな指導法とユーモア溢れる話術で、現在までに1000回以上の教室で延べ50万人以上の人々にサッカーの魅力を伝えてきた。辛辣で辛口な内容のユニークな話しぶりにファンも多く、各地の公園活動も好評




 




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人名 平敷安常
よみがな ひらしき やすつね
プロフィール 1938年生まれ。65年、大阪毎日放送カメラマンを経てベトナムへ。66年、米ABC放送サイゴン支局のTVカメラマンとなる。サイゴン陥落時、撤退作戦を取材。その後、ボン支局付となり、中近東や共産圏、ヨーロッパなどを取材。イラン革命や湾岸戦争などを記録。06年、ニューヨーク本社勤務を最後に米ABC放送を退社。現在、ニューヨーク近郊に在住。本年度の大宅壮一ノンフィクション賞受賞
作品

キャパになれなかったカメラマン ―ベトナム戦争の語り部たち(上巻)
キャパになれなかったカメラマン ―ベトナム戦争の語り部たち(下巻)
講談社、2008年9月

HP

備考
更新日

09/08/31




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『生きるためにいちばん大切な「食」の話』

 柴田明夫著
 9月28日(月)発売予定     
800円(税抜)


知らないではすまされない、「食料危機」の現実

経済不況も大問題だが、それよりも深刻なのが世界の食料不足。
総人口の増加、異常気象の続発、中国など新興国における食生活のレベルアップ、バイオエタノールの生産増による食用トウモロコシの減少……。
いま、各国で食料の奪い合いが始まりつつある。
この危機に対して食料を海外に大きく依存する日本は何をすべきか? 
そして僕たち一人ひとりに問われていることは? 
世界と日本の「食」や「農」の現実、あるべき将来像について、わかりやすく解説する

上の画像をクリックしてください



この本の内容をブログで公開中です
『Food Lab ニッポン「食」の最前線』
http://blog.livedoor.jp/journal_lab/archives/cat_14430.html

 


柴田明夫(しばた あきお)
1951年、栃木県生まれ。東京大学農学部卒業後、丸紅に入社。2006年より丸紅経済研究所所長。産業政策、国際商品市況分析のエキスパートとして知られる。著書に、 『食糧争奪』(日本経済新聞出版社)『資源インフレ』(日本経済新聞) 『水戦争』 『飢餓国家ニッポン』 『コメ国富論』 (いずれも角川SSコミュニケーションズ)など




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人名 亀井宏
よみがな かめい ひろし
プロフィール 1934年生まれ。大阪、名古屋、東京などを転々とし、10種以上の仕事に就きながら作家を目指す。64年に『他人の城』で文壇デビュー。30代半ばごろから、太平洋戦争に関心を抱き、戦争の証言を聞いて全国をまわった。80年、4000枚の労作『ガダルカナル戦記』(光人社)で講談社ノンフィクション賞受賞
作品

あ丶軍艦旗―さきもりの歌
光人社、1974年
ミッドウェー戦記
(改題、光人社、1986年12月)
ミッドウェー戦記―さきもりの歌
(光人社NF文庫、1995年2月 )
ガダルカナル戦記
光人社全3巻、1980年3月
ガダルカナル戦記
(光人社、1987年7月)
ガダルカナル戦記〈第1巻〉
(1994年1月)
ガダルカナル戦記〈第2巻〉
(1994年4月)
ガダルカナル戦記〈第3巻〉
(光人社NF文庫、1994年6月)
■にっぽんのヒトラー東条英機―その等身大の生涯と軍国日本
光人社上下巻、1981年6月
昭和の天皇と東条英機
(改題新装版、光人社、1988年11月)
東条英機 (上巻)
東条英機 (下巻)
(改題、光人社NF文庫、1998年5月)
スワッピング
有楽出版社、1981年12月
つややかな追憶 (Kofusha roman500)
光風社出版、1983年11月
小説・野坂昭如 (ライオンプレス )
投資ジャ-ナル、1984年6月
背徳の巡礼
ミリオン出版、1985年4月
おんな狩り
光風社出版、1985年9月
ザ・スワッパー
光文社・CR文庫、1986年11月
猟人Mの告白 (アップル・ノベルズ)
日本出版社、1987年2月
尾張の宗春
東洋経済新報社、1995年4月
踊る一遍上人
東洋経済新報社、1997年5月
糖尿病―失明からの生還
ベストセラーズ、1997年12月
弱き者は死ね
廣済堂出版、1998年10月
戦時少年ヒロシ―原初の風景
光人社、1998年11月
真説 猿飛佐助
講談社、2002年2月
奔る猿飛佐助 (風雲真田城)
(改題、廣済堂文庫、2006年9月)
ドキュメント太平洋戦争全史 戦場体験者300人取材・作戦解説47図収録
講談社、2009年7月


共著、(  )内は共著者
コミック巨人再発見 (1) 『「狂気か天才か」南方熊楠―エコロジ-の先駆者 』
(絵・小島利明)、三友社出版、1995年6月

HP

備考
更新日 09/08/24




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【001】目指すはエベレストのてっぺん!

 気温、氷点下マイナス30度。
 酸素濃度、地上の約30%。

 標高7500m以上は人間の生存が不可能な領域のため、
 「デス・ゾーン(死の地帯)」と呼ばれている──。

 北海道出身の栗城史多さん(くりき・のぶかず/27歳)は、そんな「デス・ゾーン」へ「単独&無酸素」登頂で挑戦するソロアルピニスト(単独登山家)。

 これまでに6大陸の最高峰【※1】と、8000m峰の3山【※2】に単独&無酸素での登頂に成功しており、今回は「日本人初」となる世界7大陸最高峰(セブンサミット)制覇を目指し、最後にして最大の難関である世界最高峰エベレスト(標高8848m)と対決する。

【※1】
1)マッキンリー
  北アメリカ最高峰(標高6194m)/2004年06月12日登頂
2)アコンカグア
  南アメリカ最高峰(標高6962m)/2005年01月09日登頂
3)エルブルース
  ヨーロッパ最高峰(標高5642m)/2005年05月30日登頂
4)キリマンジャロ
  アフリカ最高峰 (標高5895m)/2005年10月22日登頂
5)カルステンツ・ピラミッド
  オセアニア最高峰(標高4884m)/2006年10月29日登頂
6)ビンソンマシフ
  南極最高峰   (標高4897m)/2007年12月19日登頂

【※2】
1)チョ・オユー
  世界第6位高峰(標高8201m)/2007年05月08日登頂
2)マナスル
  世界第8位高峰(標高8163m)/2008年10月12日登頂
3)ダウラギリ
  世界第7位高峰(標高8167m)/2009年05月18日登頂


 08月16日に日本を出発した栗城史多さんは、現在、カトマンズ(ネパールの首都)に滞在しながらエベレスト登頂に向けて準備中です。

 本日開設した当コーナーでは、栗城史多さんのエベレスト登頂から無事に帰国するまでの約2カ月間を応援サポートします。

 ご本人からのメッセージはもちろん、当コーナーの取材担当が集めた秘蔵の栗城データなどを随時掲載していく予定です。お楽しみに!



……栗城史多 公式&関連サイト……

<Yahoo!:エベレスト 地球のてっぺんに立つ!>
http://kuriki.yahoo.co.jp/

<栗城史多 公式ホームページ>
http://kurikiyama.jp/

<栗城史多 公式ブログ>
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/bt_nobukazu

<VanaH:エベレスト プロジェクト!>
http://www.vanah.co.jp/




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人名 平尾和雄
よみがな ひらお かずお 
プロフィール 1946年生まれ。都立大学卒。72年、ネパールを旅行中、現地の女性と結婚。同国西部に旅館をひらく。 81年、『ヒマラヤ・スルジェ館物語』(講談社)で、講談社ノンフィクション賞受賞
作品 ヒマラヤ・スルジェ館物語
講談社、1981年5月
ヒマラヤ・スルジェ館物語
(講談社文庫、1985年4月)
ヒマラヤの花嫁
中公文庫、1982年8月
ネパール 旅の雑学ノート―暮らし トレッキング スルジェ館その後
ダイヤモンド社、1996年9月
スルジェ―ネパールと日本で生きた女性
旅行人、2001年5月
HP

備考
更新日 09/08/21




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8月19日 3回戦
帝京 4-3 九州国際大付

レポート 小関順二


 優勝候補同士の一戦は手に汗握る好ゲームとなり、最後まで目が離せなかった。

 2年生右腕の鈴木昇太が帝京の先発と発表されたとき、「スキが生まれた」と思った。
 ベスト8進出を懸ける試合、さらに戦力差がない相手ならエースを先発させるのがセオリーである。戦力過剰なチームにありがちな迷いだと思った。

 4、5年前の巨人がそうだった。
 選手起用に「お前と心中する」という覚悟が見えず、昔の名前で生きる大物も、若手の成長株も、日々存在感を薄めていった。
 使える選手が多いことが必ずしもプラスにならないことを、巨人は身をもって教えてくれたはずだ。

 しかし、前田三夫監督は修正が早かった。
 3回表、九州国際大付の先頭打者・三好匠(1年・右投右打)がヒットで出塁すると、間髪を入れずエース・平原庸多(右投右打)をマウンドに送った。これで帝京ナインは1つになれたと思う。
 失点しても、納得できる失点があるということだ。

 試合は3回裏に帝京が1点を先制すると、九州国際大付が6回に1点、7回に2点を取って逆転し、8回裏には帝京が2点を取って同点とし、9回裏に帝京が金子竜也のタイムリーでサヨナラ勝ちするというめまぐるしい展開を見せる。
 これらの得点に多く絡んだのがエラーである。

 エラーは試合をだらけさせ、興を殺ぐが、この日のエラーは「した」というより、「させれられた」ものばかりで納得ができた。

 6回表、九州国際大付は1死から3番・国枝頌平が三塁打を放ち、反撃の狼煙を上げる。
 この打球がもの凄く、前進するライト・有賀ナビルの頭上を上昇するミサイルのように越えていった。4番・榎本葵が三振してピンチは脱したかと思われたが、平原の暴投で国枝が生還して同点、と軽く書くわけにはいかない。

 暴投といっても好捕手、原口文仁が少し後方に逸らしただけなのである。普通の走者なら絶対に走ってこない。
 しかし、国枝はそのわずかなスキを突いて、猛然と駆け込んで1点をもぎ取った。勝利への執念である。

 7回の九州国際大付は、死球で出塁した走者をバントで送って1死二塁とし、9番・三好がセンター前に弾き返して勝ち越すが、送球間に二塁を狙ってアウトになり、反撃もここまでかと思われた。
 しかし、ひと息ついた平原の初球スライダーを1番・小林知弘が振り抜いてレフトスタンドにぶち込み、得点差を2点とする(3対1)。

 平原をマウンドから引きずり下ろした九州国際大付に、今度は勝利へのプレッシャーがのしかかる。

 8回裏、帝京は1死から1番・金子が中前打で出塁すると、2番・田口公貴が三塁前にバントをするが三塁手・榎本が一塁に高投して、チャンスは一、三塁と広がる。

 ここから九州国際大付は自滅していくのだが、それは選手個々の怠慢プレーというより、帝京の存在感が九州国際大付の上にのしかかってエラーを誘った、という雰囲気なのだ。

 打席に平原が立った1死一、三塁の場面、捕手・河野元貴の捕逸で1点差となり、平原が四球で歩いて1死一、二塁とチャンスはさらに続く。
 ここから納富の二塁けん制悪送球、(二、三塁になる)河野の三塁けん制悪送球と続き、帝京は労せずして同点とするのだが、九州国際大付バッテリーの立ち居振る舞いから、中軸の平原と原口まで回したくないという強迫観念が痛いほど伝わってきた。
 それこそが強打・帝京が放つオーラでありプレッシャーだったのではないか。

 9回裏には2四球とヒットで1死満塁とし、金子がこの日3本目となるヒットで三塁走者を迎え入れ、帝京が劇的なサヨナラ勝ちを決めた。

 強打の優勝候補が土俵中央でがっぷり四つに組んで投げを打ち合ったという一戦。
 今大会ナンバーワンといってもいい好ゲームだった。


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『検証甲子園2009』のすべての記事は、『現代プレミアブログ』の姉妹サイト『検証甲子園2009by講談社』http://www.plus-blog.sportsnavi.com/koshien2009/で読むことができます。




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人名 大村幸弘
よみがな おおむら さちひろ  
プロフィール 1946年生まれ。財団法人中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所所長。早稲田大学第一文学部西洋史科卒。 81年、『鉄を生みだした帝国』(NHKブックス)で講談社ノンフィクション賞受賞
作品 埋もれた古代帝国―トルコ発掘日誌
日本交通公社出版事業局、1978年4月
鉄を生みだした帝国―ヒッタイト発掘
NHKブックス、1981年5月
■土器片が語るミダスの世界―前1千年紀カマン・カレホユックの彩文土器
中近東文化センター、1991年1月
■アナトリアの古代遺跡出土遺物の産地推定
中近東文化センター、1997~1999年
アナトリア発掘記 ~カマン・カレホユック遺跡の二十年
NHKブックス、2004年5月


共著、編集、(  )内は共著者、共編者
古代イランの土器―古代文様の変遷をさぐる
(編・大津忠彦)、中近東文化センター、1984年3月
■中近東文化センターの海外発掘調査
(川床睦夫)、中近東文化センター、1999年10月
トルコ (世界歴史の旅)
(写真・大村次郷)、山川出版社、2000年8月
カッパドキア―トルコ洞窟修道院と地下都市 (アジアをゆく)
(写真・大村次郷)、集英社、2001年4月
アジアをゆく
(写真・大村次郷、著・辛島昇、山折哲雄、桜井由躬雄、那谷敏郎、荒俣宏)、集英社全7巻セット(大型本)、2001年4月
■古代アナトリアの文化編年の再構築―カマン・カレホユックにおける前3-2千年紀文化編年
(中近東文化センター)、大村幸弘、2002~2006年
■トルコ三大文明展―ヒッタイト帝国・ビザンツ帝国・オスマン帝国
(真室佳武、鈴木董、吉田大輔)NHK、2003年
■エルトゥールル号回顧展
(高橋忠久、長場紘、松原茂樹)、中近東文化センター附属博物館、2007年


翻訳、(  )内は著者、共翻訳者
ヒッタイト王国の発見
(著・クルート・ビッテル、翻訳・ 吉田大輔)、山本書店、1991年4月

 

HP

備考
更新日 09/08/19




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人名

徳永進(2)

作品

やさしさ病棟
新潮社、1998年3月
ホスピス通りの四季
(改題、新潮文庫、2002年9月)
老いと死がやってくる
雲母書房、1998年3月
ナースtoナース
関西看護出版、1999年2月
臨床医のノート
エム・イー振興協会、2001年7月
野の花診療所まえ
講談社、2002年5月
死の文化を豊かに
筑摩書房、2002年10月
野の花診療所の一日
共同通信社、2003年9月
人あかり―死のそばで
ゆみる出版、2004年1月
心のくすり箱
岩波現代文庫、2005年1月
心のくすり箱 上 (大活字本シリーズ)
心のくすり箱 下 (大活字本シリーズ)
(埼玉福祉会、2007年5月)
野の道往診
日本放送出版協会、2005年2月
ナースの広場
関西看護出版、2005年2月
老いるもよし―臨床のなかの出会い
岩波書店、2005年3月
死ぬのは、こわい? (よりみちパン!セ)
理論社、2005年12月
野の花の入院案内
講談社、2006年11月
野の花ホスピスだより
新潮社、2009年8月

共著、編著、(  )内は共著者、共編者
患者さんが教えてくれたターミナルケア
(編・鳥取赤十字病院ターミナルケア研究会)、看護の科学社、2000年5月
ハンセン病―排除・差別・隔離の歴史
(編・沖浦和光)、岩波書店、2001年11月
対談集 いのちの言葉
(柳田邦男、山崎章郎、道浦母都子、高史明、細谷亮太)、三輪書店、2005年11月
詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡
(谷川俊太郎)、朝日新書、2008年10月
てんしさん
(絵・ミウラナオコ)、関西看護出版、2009年5月
  

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更新日

09/08/17




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人名 徳永進(1)
よみがな とくなが すすむ
プロフィール 1948年生まれ。京都大学医学部卒。京都、大阪の病院勤務を経て、鳥取赤十字病院の内科医として勤務。 01年12月、鳥取市内にてホスピスケアのある19床の有床診療所「野の花診療所」を始める。82年、『死の中の笑み』(ゆみる出版)で、講談社ノンフィクション賞を受賞 92年、第1回若月賞(独自の信念で地域医療をしている人に贈られる)を受賞
作品

死の中の笑み
ゆみる出版、1982年2月
隔離―らいを病んだ故郷の人たち
ゆみる出版、1982年12月
■死のリハーサル
ゆみる出版、1986年3月
臨床に吹く風
新興医学出版社、1986年9月 
臨床に吹く風 (同時代ライブラリー)
(岩波書店、1990年3月)
臨床に吹く風
(岩波現代文庫、2000年10月)
話しことばの看護論―ターミナルにいあわせて
看護の科学社、1988年5月
病室―教室への伝言
太郎次郎社、1989年10月
病室から
(改題、集英社文庫、1994年7月)
■ 形のない家族
思想の科学社、1990年3月
病気と家族
(改題、集英社文庫、1996年10月)
隔離―故郷を追われたハンセン病者たち (同時代ライブラリー)
岩波書店、1991年9月
隔離―故郷を追われたハンセン病者たち
(岩波現代文庫、2001年9月)
■三月を見る―死の中の生、生の中の死(論楽社ブックレット)
論楽社、1992年10月
ターミナル・ケア入門―看護婦さんからの10通の便り (ケアハンドブック)
関西看護出版、1992年11月
カルテの向こうに
新潮社、1992年12月
カルテの向こうに
(新潮文庫、1996年6月)
こんな人に会っちゃった―徳永進と12人
看護の科学社、1993年6月
ニセ医者からの出発―ドクターSuの妄想
同友館、1993年12月
空を見る―ぬくもりのターミナルケア (かもがわブックレット)
かもがわ出版、1994年5月
みんなのターミナルケア―看護婦さんの便りから (ケアハンドブック)
関西看護出版、1994年8月
医療の現場で考えたこと (シリーズ生きる)
岩波書店、1995年2月
心のくすり箱
岩波書店、1996年3月
臨床という海
看護の科学社、1996年6月


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HP

http://homepage3.nifty.com/nonohana/

備考
更新日 09/08/17




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人名

松下竜一(3)

作品

他者による編集、監修作品

松下竜一その仕事〈21〉私兵特攻―宇垣纒長官と最後の隊員たち
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2000年7月
松下竜一 その仕事〈22〉狼煙を見よ
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2000年8月
松下竜一 その仕事〈23〉怒りていう、逃亡には非ず(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2000年9月
松下竜一 その仕事〈24〉汝を子に迎えん
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2000年10月
松下竜一 その仕事〈25〉5000匹のホタル
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2001年9月
松下竜一 その仕事〈26〉まけるな六平
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2001年10月
松下竜一 その仕事〈27〉ケンとカンともうひとり
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2001年11月
松下竜一 その仕事〈28〉あしたの海
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2001年12月
松下竜一その仕事 (29)
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2002年1月
松下竜一その仕事〈30〉どろんこサブウ―谷津干潟を守る戦い
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2002年2月
環境権の過程 (松下竜一未刊行著作集 4)
(編・新木安利、梶原得三郎)、海鳥社、2008年6月
かもめ来るころ (松下竜一未刊行著作集 1)
(編・新木安利、梶原得三郎)、海鳥社、2008年9月
出会いの風 (松下竜一未刊行著作集 2)
(編・新木安利、梶原得三郎)、海鳥社、2008年11月
草の根のあかり (松下竜一未刊行著作集 3)
(編・新木安利、梶原得三郎)、海鳥社、2009年2月
平和・反原発の方向 (松下竜一未刊行著作集 5)
(編・新木安利、梶原得三郎)、海鳥社、2009年6月


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更新日 09/08/16




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人名

松下竜一(2)

作品

母よ、生きるべし
講談社、1990年12月
ゆう子抄―恋と芝居の日々
講談社、1992年6月
怒りていう、逃亡には非ず―日本赤軍コマンド泉水博の流転
河出書房新社、1993年12月
怒りていう、逃亡には非ず―日本赤軍コマンド泉水博の流転
(河出文庫、1996年2月)
■生活者の笑い、「生」のおおらかな肯定(論楽社ブックレット)
論楽社、1994年3月
ありふれた老い―ある老人介護の家族風景
作品社、1994年12月
さまざまな戦後〈第1集〉
日本経済評論社、1995年6月
底ぬけビンボー暮らし
筑摩書房、1996年9月
汝を子に迎えん―人を殺めし汝なれど
河出書房新社、1997年4月
本日もビンボーなり
筑摩書房、1998年5月
ビンボーひまあり
筑摩書房、2000年12月
巻末の記
河出書房新社、2002年3月
そっと生きていたい
筑摩書房、2002年8月


共著、(  )内は共著者、作画者
5000匹のホタル (ジュニア・ライブラリー)
(絵・今井弓子)理論社、1973年1月
5000匹のホタル (ジュニア・ライブラリー)
(理論社、1981年7月)
5000匹のホタル (名作の森)
(絵・高田勲)、理論社、2006年2月
ケンとカンともうひとり
(絵・今井弓子)、筑摩書房、1979年4月
まけるな六平 (児童文学創作シリーズ)
(絵・鴇田幹)、講談社、1979年7月
あしたの海
(絵・下嶋哲朗)、理論社、1979年12月
どろんこサブウ―谷津干潟を守る戦い
(絵・鈴木まもる)、講談社、1990年5月


他者による編集、監修作品
環境権ってなんだ―発電所はもういらない
(編・環境権訴訟をすすめる会)、ダイヤモンド社、1975年
狼煙を見よ―戦後ニッポンを読む
(監修・佐高信)、読売新聞社、1997年10月
松下竜一 その仕事〈1〉豆腐屋の四季
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1998年10月
松下竜一 その仕事〈2〉潮風の町
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1998年12月
松下竜一 その仕事〈3〉いのちき してます
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年1月
松下竜一 その仕事〈4〉ウドンゲの花
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年2月
松下竜一 その仕事〈5〉小さな手の哀しみ
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年3月
松下竜一 その仕事〈6〉あぶらげと恋文
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年4月
松下竜一 その仕事〈7〉右眼にホロリ
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年5月
松下竜一 その仕事〈8〉母よ、生きるべし
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年6月
松下竜一 その仕事〈9〉ありふれた老い
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年7月
松下竜一 その仕事〈10〉底ぬけビンボー暮らし
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年8月
松下竜一 その仕事〈第11巻〉風成の女たち
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年9月
松下竜一 その仕事〈12〉暗闇の思想を
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年10月
松下竜一 その仕事〈13〉五分の虫、一寸の魂
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年1月
松下竜一 その仕事〈第14巻〉檜の山のうたびと―歌人伊藤保の世界
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、1999年12月
松下竜一 その仕事〈15〉砦に拠る
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2000年1月
松下竜一 その仕事〈16〉疾風の人
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2000年2月
松下竜一 その仕事〈17〉ルイズ―父に貰いし名は
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2000年3月
松下竜一 その仕事〈18〉久さん伝
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2000年4月
松下竜一 その仕事〈19〉憶ひ続けむ―戦地に果てし子らよ
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2000年5月
松下竜一 その仕事〈20〉記憶の闇
(編・「松下竜一その仕事」刊行委員会)、河出書房新社、2000年6月


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更新日 09/08/14

 

 




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人名 松下竜一 (1)
よみがな

まつした りゅういち 

プロフィール 1937年2月15日~ 2004年6月17日。小説家、歌人。『豆腐屋の四季』(講談社)でデビュー。苦しい生活にもめげず執筆を続け、誇り高く生きた人々を格調高く描いたノンフィクションを多く手掛けた。82年、『ルイズ―父に貰いし名は』(講談社)で、講談社ノンフィクション賞賞
作品

■ 豆腐屋の四季―ある青春の記録
講談社、1969年4月
豆腐屋の四季―ある青春の記録
(講談社文庫、1983年6月)
豆腐屋の四季―ある青春の記録 (1) (大きな活字で読みやすい本)
豆腐屋の四季―ある青春の記録 (2) (大きな活字で読みやすい本)
豆腐屋の四季―ある青春の記録 (3) (大きな活字で読みやすい本)
豆腐屋の四季―ある青春の記録 (4) (大きな活字で読みやすい本)
(リブリオ出版全、2005年11月)
吾子の四季―父のうた・夫のうた
講談社、1970年
歓びの四季―愛ある日々
講談社、1971年
風成の女たち―ある漁村の闘い
朝日新聞社、1972年
風成の女たち―ある漁村の闘い
(現代教養文庫、1984年11月)
檜の山のうたびと―歌人伊藤保の世界
筑摩書房、1974年
暗闇の思想を―火電阻止運動の論理
朝日新聞社、1974年
暗闇の思想を―火電阻止運動の論理
(現代教養文庫、1985年5月)
明神の小さな海岸にて
朝日新聞社、1975年
明神の小さな海岸にて
(現代教養文庫、1985年6月)
五分の虫、一寸の魂
筑摩書房、1975年
五分の虫,一寸の魂
(現代教養文庫、1986年2月)
砦に拠る
筑摩書房、1977年7月
砦に拠る
(講談社文庫、1982年11月)
砦に拠る
(ちくま文庫、1989年10月)
潮風の町
筑摩書房、1978年5月
潮風の町
(講談社文庫、1985年4月)
疾風の人―ある草莽伝
朝日新聞社、1979年10月
豊前環境権裁判
日本評論社、1980年3月
いのちきしてます
三一書房、1981年4月
海を守るたたかい (ちくま少年図書館)
筑摩書房、1981年3月
ルイズ―父に貰いし名は
講談社、1982年3月
ルイズ―父に貰いし名は
(講談社文庫、1985年3月)
いつか虹をあおぎたい (小学生向けドキュメンタリーシリーズ・いま、子どもたちは 第)
フレーベル館、1983年3月
久さん伝―あるアナキストの生涯
講談社、1983年7月
ウドンゲの花―わが日記抄
講談社、1983年11月
小さな手の哀しみ
径書房、1984年7月
憶ひ続けむ―戦地に果てし子らよ
筑摩書房、1984年8月
記憶の闇―甲山事件〈1974→1984〉
河出書房新社、1985年4月
私兵特攻―宇垣纒長官と最後の隊員たち
新潮社、1985年7月
仕掛けてびっくり反核パビリオン繁盛記
朝日新聞社、1986年9月
狼煙を見よ―東アジア反日武装戦線“狼”部隊
河出書房新社、1987年1月
狼煙(のろし)を見よ―東アジア反日武装戦線“狼”部隊
(現代教養文庫、1993年9月)
あぶらげと恋文
径書房、1988年3月
右眼にホロリ
径書房、1988年8月
小さなさかな屋奮戦記
ちくまプリマーブックス、1989年10月
 


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HP

備考
更新日

09/08/14




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8月13日 1回戦
日大三 2-0 徳島北

レポート 小関順二

今や140キロというスピードは驚くに当たらないのだろう。松坂大輔(98年の優勝投手)が出現する以前は、選手権で140キロ超えを記録する投手は数人しかいなかった。
 それが今年は確認できただけで14人を数える。

 飯野奨太(常総学院)
 今宮健太(明豊)
 島袋洋奨(興南)
 秋山拓巳(西条)
 公文克彦(高知)
 庄司隼人(常葉橘)
 田代敏史(作新学院)
 田淵達也(天理)
 菊池雄星(花巻東)
 大瀬良大地(長崎日大)
 岡大海(倉敷商)
 佐藤朔弥(東北)
 高橋信也(東北)
 関谷亮太(日大三)

 まだ19校が登場していないことを考えると、20人を超えることは確実だろう。ウエートトレーニングの普及や、テクニカルな部分への興味や理解が背景にあることは間違いない。
 こういう状況の中で今日取り上げる関谷亮太(日大三・右投右打)は、高校野球ファンにどのように受け止められているのだろう。徳島北戦で記録したストレートのMAXは141キロにとどまっている。非力な印象を与えてしまったのではないだろうか。

 西東京大会決勝のところでも書いているように、関谷は下級生時代と様変わりしている。投球フォームがよくなっているのだ。
 ます、ボールをリリース時に“潰す”という、限られた投手にしかできない高等技術を身につけている。

 ストレートのMAXは140キロ台前半でも、潰すことによってボールが出てくるタイミングに時間差が生まれ、さらにストレートに角度が生まれる。球速表示以上に威力があるのは当然である。

 また、左肩の早い開きがなくなったことによって縦変化のスライダーに横ブレがなくなった。これを西東京大会決勝のところで書いたように、内角攻めの重要ツールにして打者の踏み込みを封じている。
 下級生のときには未完成のイメージが強かった関谷が、この甲子園のマウンドではベテランのような渋いオーラを放っている。時間とは選手をこのように変えていくのかと実感した

 日大三打線にも触れると、西東京大会決勝戦とくらべると粗っぽく見えた。
 内山翔平(右投右打)は大きいバットの引き、角鴻太郎(右投左打)はバットコントロールしようと思うあまりのリストの過剰使い、日下京祐(右投左打)はボールを待つときのバットの小さい動き、吉田裕太(右投右打)はボールの軌道を追いかけすぎること、つまりボールを一点で打ち抜くという覚悟のなさ、などが目についた。

 2回戦で当たる東北戦で修正できるかどうか、注意深く見守りたい。

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『検証甲子園2009』のすべての記事は、『現代プレミアブログ』の姉妹サイト『検証甲子園2009by講談社』http://www.plus-blog.sportsnavi.com/koshien2009/で読むことができます。



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人名

塩田潮(2)

作品

金融蟻地獄―ドキュメント・日米銀行戦争
日本経済新聞社、1999年10月
欲望と嫉妬の海―日本政治・8人の権力闘争
学陽書房、2000年6月
誰がための官僚―「霞が関の逆襲」は始まるか
日本経済新聞社、2001年4月
郵政最終戦争―小泉改革と財政投融資
東洋経済新報社、2002年8月
郵政最終戦争
(増訂、講談社文庫、2005年5月)
大国日本の幻―バブルの興亡とその教訓
講談社、2002年3月
田中角栄失脚
文春新書、2002年12月
出処進退の研究―政治家の本質は“退き際”に表れる
PHP研究所、2005年7月
安倍晋三の力量
平凡社新書、2006年12月
首長
講談社、2007年1月
昭和30年代―「奇跡」と呼ばれた時代の開拓者たち
平凡社新書、2007年7月
危機の政権―コイズミクラシーとヘイゾノミクス
東洋経済新報社、2007年10月
民主党の研究
平凡社新書、2007年12月
新版 民主党の研究
(平凡社新書、2009年6月)
戦後政治の謎 自民分裂を予感させる「30の真実」
講談社+α新書、2008年9月


共著、( )内は共著者
対論・自治改革―地域主権への挑戦と実験
(國松善次)、時事通信出版局、2005年10月

 

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更新日 09/08/13




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