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現代プレミア加藤陽子×佐藤優×佐野眞一●広大で豊穣なる世界へ、ようこそより

「小さな物語」の時代

加藤 冒頭でも申し上げたように、「冬の時代」と呼ばれていますが、なぜ昨今、ノンフィクションが読まれなくなったのか、売りにくくなったのか。佐藤さん、いかがですか?
佐藤 ノンフィクションも小説も、私は最近、内向きの傾向が強いと思うんです。うんと乱暴な仮説ですが、この傾向は、1983年に浅田彰『構造と力』(勁草書房)がベストセラーになって生じたんじゃないか。この本が出て、ポスト・モダンが流行してから、日本では、作家が「大きな物語」を扱わなくなってしまった。
佐野 そうですね。
佐藤 その代わり、アカデミズムもインテリも身近な世界の小さな差異ばかり扱うようになった。「小さな物語」だけが生み出されるようになった。「小さな物語」は面白いし、退屈もしません。ところが、そのために良質な「大きな物語」を理解できなくなってきた。それはある程度の訓練を受けないと理解できないからです。本来は娯楽であったはずのマンガが著しく政治化してきたのも、その一つの表れだと思います。黒か白か割り切れない問題が現実にはあるのに、すべて単純に白黒つけてしまう。白黒をはっきりつける作品は小説でもノンフィクションでも面白くない。そこで作家はマンガみたいな作品を書くのは嫌なので、そういう領域を避けて、限られた読者に向けて、小さな差異を丁寧に扱っていくようになった。そんな傾向がずっと続いてきたんだと思うんです。
佐野 1983年というのは、面白い年だと思います。この年、日本で初めてペットボトルの水が売り出されたんですね。『文藝春秋』で連載した「ドキュメント・昭和が終わった日」に詳しく書きましたが、水という本来タダのものに交換価値が生じた。
佐藤 それまで水と安全保障はタダだった。
佐野 そうです。その神話が崩れて、『構造と力』を契機に、小さな世界に埋没していった。昭和36年だったと思いますが、福田恆存が「消費するということは人間を孤独にするだけだ」という卓説を書いています。つまり、生産とか労働が目的になっていくわけですからね。「小さな物語」は、これが伏線になっているとも言えます。
佐藤 その通りだと思います。それから、少し挑発的なことを言えば、ノンフィクションは啓蒙的な役割を放棄しすぎた。ある意味では、読者をバカにしたところがある。これは著者と版元、双方に責任があります。すごく努力しないと、分かり易く書く、啓蒙的なものを書くことってできないんです。
佐野 そうですね。
佐藤 ただし、易しいものを書くというのと、スカスカのものを書くというのは違います。
佐野 まったくその通りです。
佐藤 ところが実際にはスカスカの粗いノンフィクションが出て来てしまった。それによって、読者は買って損したと思うから、次は買いません。

■話題に上がった書籍リンク
構造と力―記号論を超えて


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現代プレミア加藤陽子×佐藤優×佐野眞一●広大で豊穣なる世界へ、ようこそより

ただ者じゃない女性作家

加藤 大失敗して甦ったり、大きくなったノンフィクション作家っているのでしょうか?
佐野 たとえば、大失敗とは言えないかもしれないけど、開高健の『ベトナム戦記』。これは失敗作だと僕は思っているんです。それから甦るのに、『夏の闇』(新潮文庫)まで20年ぐらいかかったんじゃないかな。これは小説ですが、紛れもない傑作。そういう例はありますよね。開高健も『ベトナム戦記』は決していい作品だとは自分でも思っていなかったと思いますよ。『輝ける闇』(新潮文庫)を直後に書いたけど、これもダメ。『夏の闇』まで待たなくちゃならなかった。そういうことは往々にしてあります。
加藤 失敗作と自覚しつつ長く待って伸びる場合もあると。
佐藤 でもね、あるとき、『チーム・バチスタの栄光』(宝島社文庫)を書いた海堂尊さんに、その話をしたんです。「いや、佐藤さん、それは小説家のことを分かっていないな」と彼が言うんです。「小説家は、どの作品もぜんぶ大成功なんだ。絶対に失敗したなんて思っていない」と(笑)。成功とか失敗とか言うのは、文芸批評家の仕事です。書いている小説家からすると一つ残らず大成功なんだということなのでしょう。
佐野 まあ、それはそうでしょうね。
佐藤 小説・文学とノンフィクションとの融合として、非常に印象深いのは、澤地久枝さんの仕事なんです。ただし、『密約 外務省機密漏洩事件』ではなくて、五味川純平の『戦争と人間』の註なんです。
加藤 すごい読み方ですね。澤地さんが中央公論の編集者時代に『戦争と人間』の資料助手として、脚註を担当していますね。
佐藤 私は、たとえば戦前の言論界で絶大な影響力を持った蓑田胸喜{むねき}については、その註で知りました。
加藤 澤地さんは『密約』以外にも、『妻たちの二・二六事件』『滄海{うみ}よ眠れ ミッドウェー海戦の生と死』などの作品がリストに上がっていますね。女性の作品という点に着目してみると、保阪正康さんも、福永操『あるおんな共産主義者の回想』とか、上原栄子『辻の華 くるわのおんなたち』を挙げています。私の単純な感想なのですが、どうも一世代前のほうが、女性の書き手が多かったように思うんです。石牟礼道子、有吉佐和子や松本清張の伴走者であった藤井康栄、その妹さんの宮田毬栄がリストに入っています。たしかに、現代の女性ノンフィクションとして、内澤旬子、星野博美、梯{かけはし}久美子、黒岩比佐子など優れた方々がいますが、神聖さというのか、魂を拾って書くというのか、迫力の点で一世代前の人よりスマートな気がする。
佐野 加藤さんがおっしゃっているのは、石牟礼道子的な、ノロ(祝女。琉球信仰における女司祭)のような感覚を持った書き手ということでしょうか。そういう人が昨今はいないと。
加藤 そういう気がするんです。
佐野 石牟礼さんで言うと、『苦海浄土』が代表作と言われていますが、僕は『西南役伝説』を推したいですね。彼女がうんと若いとき、まだ西南戦争の生き残り一人ひとりに、まあ90人とか100人近くに、丹念に聞き取りをして歩いた。
加藤 彼女がそこに目を向けたのは、なぜだったんでしょう。熊本に生き残りがいたから?
佐野 そうでしょうね。西南の役だけじゃなくて、長崎の切支丹についても言及していまして、すごいシーンがあるんです。切支丹を刑場に連れて行く前、どういうわけか最後のメシに、うどんを腹いっぱい食わす。それで、竹で刺すんですね。そうすると内臓から白いうどんがにょろにょろと出てくる。それを克明に描いている。
加藤 細部を色彩とモノで示すわけですね。すごいです。
佐野 石牟礼道子というのは、ただ者じゃないと思いましたよ。そのあと『苦海浄土』を書くわけだけど、『苦海浄土』に行く道筋が『西南役伝説』にはっきり書かれている。

■話題に上がった書籍リンク
ベトナム戦記
夏の闇
輝ける闇
チーム・バチスタの栄光(上)
チーム・バチスタの栄光(下)
密約―外務省機密漏洩事件
戦争と人間 (1)
妻たちの二・二六事件
滄海(うみ)よ眠れ―ミッドウェー海戦の生と死{1}
あるおんな共産主義者の回想
辻の華―くるわのおんなたち
苦海浄土―わが水俣病
西南役伝説


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現代プレミア加藤陽子×佐藤優×佐野眞一●広大で豊穣なる世界へ、ようこそより

小説家のノンフィクション
加藤 重松清さんが吉村昭の『冷い夏、熱い夏』を挙げて、ノンフィクションと小説の「幸せな融合がここにある」と評しています。小説・文学との関係からノンフィクションを考えてみたいのですが。
佐野 僕が小説家のノンフィクションとして100冊の中に挙げたのは、冒頭に挙げた開高健以外では、中上健次の『紀州』と、武田泰淳の『司馬遷』などですね。
加藤 『紀州』を読むと、中上健次が本当に苦しそうに書いてるなという感じがします。息切れが聞こえる。
佐野 紀伊半島の新宮から紀伊半島をまわって、最後は大阪まで行きますよね。ほんとに苦しそうなんです。カラ元気で饒舌だったりするんだけど、そこがたまらなく切ない。小説の『枯木灘』(小学館文庫)もいい作品ですが、僕にとって『紀州』は忘れがたい。こういう手法もあるんだなと教えてもらった。自分の出自をめぐって紀行する、いわば地獄巡りのスタイルです。
加藤 土地の匂いが伝わってくる。
佐野 そう、なんか土地が持ち上がってくるというかな、そういう感じなんですよね。
加藤 魚住さんは、『野中広務 差別と権力』を書くとき『紀州』を繰り返し読んだようですね。一見、突拍子もない一地方から物語をスタートさせるというのは、ノンフィクションの王道の一つかもしれません。
佐藤 その場合、のっぺりとしたスペースじゃなくて、空間=トポスなんでしょうね。
佐野 トポスですね。その意味で僕は、柳田國男の『遠野物語』を挙げています。
佐藤 魚住さんの『野中広務──』は画期的な作品だったと思います。出自まで書いたのは、本来、プライバシー侵害で告訴されて然るべき類のものですが、魚住さんは捨て身で書いた。調べ尽くして書くことが自らの「業」なのだという形で括{くく}ったのはうまいやり方だったと思います。
加藤 佐藤さんは、小説とノンフィクションの関係をどう考えますか。
佐藤 結局、リアルなものをどう伝えるかという問題だと思うんです。私の場合、神学を学んだせいか、リアルとは、中世的なリアルなんですね。観念も含めてリアルなんです。目の前にあるもののリアルだけじゃなくて、その背後にある、見えないものもリアルなものだと考える。こういう感覚だから私は、いい小説読みではないかもしれません。でも、小説家の駄作を書く勇気はすごいと思っているんです。
加藤 駄作を書く勇気?
佐藤 私は五味川純平が好きなんですが、彼の『孤独の賭け』(全3巻・幻冬舎文庫)という駄作が面白いんです。
佐野 たしかテレビドラマになりましたよね。
佐藤 ええ。長谷川京子さんが出ていました(TBS『孤独の賭け~愛しき人よ~』)。五味川純平は『人間の條件』(全6巻・三一新書。岩波現代文庫版は全3巻)という大作で軍隊を描いているんですが、主人公の梶に名前がないんですね。美千子は名前があるけども、梶の名前は最後まで分からない。それは、軍隊がやっぱり官僚組織であることと関係があると思うんですね。官僚組織って自分たちの同僚の名前が往々にして分からないんです。公的な世界での接触しかないから、苗字しか必要ないんです。梶に名前が与えられないまま、6冊の本を最後まで、不自然な形にならずに書き通せているのがすごいと思うんです。
 軍隊の中は、公的な世界だから、苗字だけでもいいとしても、戦争は人間を巻き込む。彼は人を描きたかった。そうすると、どうしても女性を書かないとならない。それで『人間の條件』の後でライフワークである『戦争と人間』(全9巻・光文社文庫)に取り組むことを決めた。そして『戦争と人間』の前に『孤独の賭け』という駄作を書いたんだと思うんです。百子という、上昇志向が強い、たたき上げの女性を描いた。その女性の姿が実は、その後の『戦争と人間』の中では、五代由紀子の形になったり、鴻珊子{おおとりさんこ}になったりした。だから、一回、駄作を書く勇気というのを持っている作家はすごいと思うんです。習作を一回、書く。

■話題に上がった書籍リンク
冷い夏、熱い夏
紀州
司馬遷
野中広務 差別と権力
枯木灘
遠野物語
孤独の賭け〈上〉
人間の條件 第1部
戦争と人間 (1)


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現代プレミア加藤陽子×佐藤優×佐野眞一●広大で豊穣なる世界へ、ようこそより

歴史を肉体化する
佐野 加藤さんは、どういう基準で100冊を選びましたか?(※1)
加藤 意外性を重視しました。学者の日々の生活は単調でして、その反動で、目から鱗が落ちる話が私は大好きなんです。たとえばジョナサン・ハスラムの『誠実という悪徳 E・H・カー』。E・H・カーの奇人変人ぶりがよく描かれています。クリスマス休暇をとることすら嫌な真面目な歴史学者が、人妻と2回も、離婚と結婚を繰り返す。彼は19世紀合理主義では理解できない変な人たちの伝記を書きました。マルクスの伝記も、バクーニンの伝記も書いた。なぜ? と思うわけです。
 私の場合、意外性のある本の中でも特に、目の前の世界が変わって見えるような体験をさせてくれた本というものがベストテンに入ってくるんですが、佐野さん、ベストテンの中で思い入れのある作品はありますか?
佐野 松本清張はたくさん票を集めていますが、その中から一冊と言えば、『昭和史発掘』(全9巻)の、二・二六事件の叛乱部隊を描いた「諸氏ノ行動」(第7巻に所収)ですね。二・二六を緻密に調べていて非常に印象深い。皇居の中に入る将校がいるんですね。彼は土手の上から警視庁に、手旗信号を送る寸前までいくんですよ。その手旗信号を合図に皇居に乱入して、天皇を確保しちゃうという手筈になっていた。ところが、たじろいで手旗信号を上げられない。それで憲兵に捕縛されるシーンが書いてあるんですが、これはすごいなと思いましたね。
加藤 同感です。
佐野 まざまざと浮かびますよね、手旗信号を送ろうとして送れなかった人間の姿が。歴史を肉体化して書くというのは、こういうことなんだなと思いましたね。
加藤 竹中労『鞍馬天狗のおじさんは』について「哀歓こもごもの色ざんげ」という評を書かれていますが。
佐野 語り口が見事なんです。僕の持論ですが、ノンフィクション作家は、声帯模写と形態模写が得意な人じゃないと、やっちゃいけない文芸です。アラカン(嵐寛寿郎)との芸談の合間に色ざんげという、女性との哀歓こもごもの関係を忍び込ませている。円熟期の竹中さんの芸が詰まった作品です。
加藤 模写ではないけれど、佐藤さんの会話再生能力はすごいですよね。同志社大学時代の会話まで、なんで再生できるのか。怪しいくらい(笑)。
佐藤 いや、簡単なことなんですよ。
加藤 ほんとうに?
佐藤 直近の会話を正確に再現できるようになると、子供の頃の会話の記憶も戻ってきます。たぶん頭の中の抽斗{ひきだし}にはぜんぶ入っているんでしょう。要はスイッチのひねり方なんです。これは私だけじゃなくて、インテリジェンスの連中が共通して言っていることです。インテリジェンスの業界では、会話を録音することは通常ないんです。
加藤 あ、そうか。相手が警戒するからメモも取れない。
佐藤 ええ。それに、メモを取ると忘れやすくなる。だから、数字と固有名詞以外についてはメモを取らない、という習慣がつくんですね。
佐野 僕も取材メモは取らないようにしています。忘れてしまうこともありますが、忘れるようなことは実はたいしたことではなかったりする。
佐藤 メモを取らない代わり、毎日、寝る前の5分間に必要な記憶を反芻するんです。たぶんノートにしたら20~30冊分の分量になると思う。
加藤 反芻する間に、頭が記憶を階層だてて整理してくれるわけですね。
佐藤 私がその手法を特に意識して使ったのは、512日間という勾留期間中でした。重要なことは何ひとつメモに書かなかった。しかし毎日、検事とのやり取りを反芻した。そうすると余計なことに、学生時代のことや子供の頃のことが全部よみがえってくる。「えい、この記憶、消えろ」と思っても、なかなか消えてくれない。その残っている記憶を使って売文業者として仕事をさせてもらっている、というわけです。獄中で、重要なことについてメモを取らなかったのは、拘置所ではノートの検閲があるからです。重要な情報が検察に抜けてしまう危険がありました。
加藤 佐藤さん、ベストテンを選ぶ際の留意点などを一つ。
佐藤 この10冊に関しては、買った人にカネを返せと言われない本にしようと思いました。たとえば、大庭柯公『露国及び露人研究』は、古本屋で2000円くらいすると思いますが、読んだ人に、少なくともカネを返せとは言われないと思います。これ、おべんちゃらでなくて、佐野さんの『甘粕正彦 乱心の曠野』を入れたのは、官僚全員にお勧めだからです。官僚組織ってこういうものよ、と。甘粕の運命はモラルの高い中堅官僚の典型ですよ。だから、私は官僚モノとして読みましたね。
佐野 東北学の研究者の赤坂憲雄さんのスタッフが我が家へ来て、この本を「東北人の物語ですね」と言うんです。甘粕は仙台出身で、戊辰戦争の敗軍の一族なんですね。
佐藤 だから、薩長史観に反する。
佐野 そうそう。彼らは帝都に出てもダメだから満州へ飛んで行く。そしたら、また長州に敗れるわけです。つまり、山口出身の岸信介、鮎川義介、松岡洋右にやられる。因果はめぐるんですよね。

■話題に上がった書籍リンク
誠実という悪徳―E.H.カー 1892‐1982
昭和史発掘(第7巻)
鞍馬天狗のおじさんは
露国及び露人研究
甘粕正彦 乱心の曠野

■現代プレミアブログ編集部注
※1:『現代プレミア』において、加藤氏、佐藤氏、佐野氏をはじめ10人の作家ひとりにつきノンフィクション100冊を挙げていただいた。


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現代プレミア加藤陽子×佐藤優×佐野眞一●広大で豊穣なる世界へ、ようこそより

開高健の最高傑作
加藤 出版不況の中、総合月刊誌の休刊が相次ぎ、ノンフィクションは「冬の時代」を迎えたと言われております。しかし本当にそうでしょうか。読み解かれるべき事件も、埋もれたままのテーマもまだまだたくさんあるように思います。「冬の時代」だからこそ、ノンフィクションの面白さ、魅力をあらためて考え直したい。今日は私、読者の代弁者として、佐野さん、佐藤さんから、ノンフィクションにとって何が大切かについて、お話を存分に引き出したいと思います。まずは、100冊を選ぶにあたっての苦労をお聞かせください(※1)。佐野さん、いかがですか?
佐野 いや、書庫に入ったり、古い本棚を探したり、選ぶ作業が楽しかったんですよ。ノンフィクションは非常に豊かな文芸だということをあらためて感じました。
佐藤 文芸ですか?
佐野 僕にとってノンフィクションの定義は、「名詞と動詞だけで書く文芸」なんです。形容詞や副詞は腐りますからね。たとえば、開高健の『ベトナム戦記』や、多くの選者がリストに挙げている『ずばり東京』。これらはどうしても、時代によって作品の価値が移ろうと思うんです。
加藤 野村進さんもたしか選評の中で、「ノンフィクションの移ろいやすさ」について書かれていたような。
佐野 でも、僕はノンフィクションは必ずしも移ろいやすいとは思わない。移ろわない作品という意味で、開高の最高傑作ノンフィクションは対談集の『人とこの世界』だと思います。大岡昇平、石川淳などうるさ型に対して、さすがの開高も緊張している。そのおかげで、贅六的な鼻持ちならない彼の大阪人気質が削ぎ落とされている。
加藤 佐藤さんはどうですか?
佐藤 まず、ノンフィクションというのは、定義と実態がズレていると思うんです。本来、「~ではない」という形での否定神学的定義です。
佐野 「フィクションではない」ですからね。変な言葉ではあります。
佐藤 フィクション以外は全部ノンフィクションなんです。ところが最近、雑誌『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)の書評子を引き受けたんですが、『ダ・ヴィンチ』には、本のカテゴリーとして「フィクション」「ノンフィクション」ともう一つ「エトセトラ」がある。「エトセトラ」に、すごく悩みました。その苦悩が、今回の選考にも影響を与えています。
加藤 ハハハ。ノンフィクション以外にエトセトラもある、と。じゃあ、ノンフィクションとは何なのか?
佐藤 私の考えでは、まずノンフィクションは現代、少なくとも20世紀につながっていなければならない。たとえばマルクスの著作は少し前まで古いとされていましたが、最近また読まれるようになってきました。『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』や『イギリスにおける労働者階級の状態 マルクス・エンゲルス選集2』をリストに入れたのは、そういう観点からです。代表を選出する者と、代表する者のズレを見事に描いた『──ブリュメール18日』には、今の日本の政局を読み解く鍵があります。エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で書いている「木賃宿」は、今のネットカフェですよ。歴史の反復現象なんです。
佐野 マルコ・ポーロの『完訳 東方見聞録』が入っているのはどういう理由?
佐藤 今世紀に入って読まれるようになった本として、どうしても入れたかったんですよ。マルコ・ポーロがこれを書いた13世紀は、近代散文法がまだ成立していません。だから「この場所について書こうと思ったけど、途中で気が変わった」とかで6行くらいの記述で終わっている箇所もありますが、これは、当時のノンフィクションなんです。この中に、日本について「ジパングは黄金の屋根の国」とあるのはよく知られていますが、疑問が出てきませんか? それだけ黄金があるんだったら、なぜ彼は日本に行かないのか?
加藤 たしかに。気づかなかった。
佐藤 ちゃんと理由が書いてあるんです。すなわち、ジパングは黄金の国であると同時に、恐るべき人食い人種の国である。誘拐が流行して、身代金を払わないと人質を殺して食っちまう国だとあるんです。ところが、こうしたことは一般に紹介されていません。私は、ここに、都合の悪い情報を排除して流通させるという日本人の特徴が端的に表れていると思うんです。だから、あえて入れてみました。

■話題に上がった書籍リンク
ベトナム戦記
人とこの世界
ずばり東京―開高健ルポルタージュ選集
ルイ・ボナパルトのブリュメール18日
完訳 東方見聞録〈1〉
完訳 東方見聞録〈2〉


■現代プレミアブログ編集部注
※1:『現代プレミア』において、加藤氏、佐藤氏、佐野氏をはじめ10人の作家ひとりにつきノンフィクション100冊を挙げていただいた。


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