先月、兄さんに子供が生まれた。
女の子であった。
私は本格的におじさんになりつつある。もう若くはない。
もっとも私は昔から若者らしくないと言われているので、今更若者でなくなっても困ることはない。
知人である老人の能楽発表会に行ったり、彼らに混じって釣りに行ったりしている一方、私には同年代の知人はほとんどいない。
たまの休日には隅田川沿いを散歩するくらいで、家族からは「若年寄り」という仇名をもらう始末だ。
ただ今までの私は学生、院生、あるいは新社会人として上の世代を見ているだけでよかった。
それが今や自分より下の世代が次々とやってきて、大人として、上司として見られる立場になりつつある。
つまり、それが「私はおじさんになった」ということだ。
子供や新人は大人や上司のマネをしながら成長する。
だから大人は子供に無様な姿を見せてはいけない、と私は思っている。
無様な姿を見せないというのは偉そうにするということではなく、軽蔑されるようなまねはしないということだ。
しかし私はお世辞にも私は立派な大人ではなく、それ以前に立派な人間でもない。
知恵もなく、体力もなく、逃げることばかりが上手で、卑怯な行為ばかりしてきた。
他人に誇れるところは何もない。それでも生きることだけに専念して、他人に見られることのない人生を過ごしていれば誇ることのできない人生でも一向にかまわないと思っていた。
しかし他人に見られることのない人生なんてありえないことに私は気がついた。
家族が増えれば、論文を書けば、仕事を始めれば、部下ができれば、彼らは私を見てしまう。
新しく生まれた姪や甥たちに、私はどんな大人として見られるのだろうか?
病院の待合室で私はそんなことを考えながら、「赤ん坊を目の前にしてそんなことを心配していても仕方ないよな」と思い直し、
「反面教師になるっていう手もあるだろう」
とつぶやいてみた。
そんな私の目の前で、兄は目じりを下げながら赤ん坊の足の指を丁寧にさすっていた。
女の子であった。
私は本格的におじさんになりつつある。もう若くはない。
もっとも私は昔から若者らしくないと言われているので、今更若者でなくなっても困ることはない。
知人である老人の能楽発表会に行ったり、彼らに混じって釣りに行ったりしている一方、私には同年代の知人はほとんどいない。
たまの休日には隅田川沿いを散歩するくらいで、家族からは「若年寄り」という仇名をもらう始末だ。
ただ今までの私は学生、院生、あるいは新社会人として上の世代を見ているだけでよかった。
それが今や自分より下の世代が次々とやってきて、大人として、上司として見られる立場になりつつある。
つまり、それが「私はおじさんになった」ということだ。
子供や新人は大人や上司のマネをしながら成長する。
だから大人は子供に無様な姿を見せてはいけない、と私は思っている。
無様な姿を見せないというのは偉そうにするということではなく、軽蔑されるようなまねはしないということだ。
しかし私はお世辞にも私は立派な大人ではなく、それ以前に立派な人間でもない。
知恵もなく、体力もなく、逃げることばかりが上手で、卑怯な行為ばかりしてきた。
他人に誇れるところは何もない。それでも生きることだけに専念して、他人に見られることのない人生を過ごしていれば誇ることのできない人生でも一向にかまわないと思っていた。
しかし他人に見られることのない人生なんてありえないことに私は気がついた。
家族が増えれば、論文を書けば、仕事を始めれば、部下ができれば、彼らは私を見てしまう。
新しく生まれた姪や甥たちに、私はどんな大人として見られるのだろうか?
病院の待合室で私はそんなことを考えながら、「赤ん坊を目の前にしてそんなことを心配していても仕方ないよな」と思い直し、
「反面教師になるっていう手もあるだろう」
とつぶやいてみた。
そんな私の目の前で、兄は目じりを下げながら赤ん坊の足の指を丁寧にさすっていた。