2日目も快晴でした。
シェフは橋谷さんに交代し、橋谷流スクランブルエッグのお披露目がありました。
卵の白味を先に熱し、それから卵黄を加えると、白味と卵黄の固まり具合がよろしいのだそうです。
おかげさまで、ホテルのバイキングにも匹敵する朝食となりました。
午前9時からスローライフ部会の第1休耕田でヤーコンの作付けです。
スローライフ部会部会長の浅賀石根さんのあいさつのあと、まず、刈り取りの終わった畑の畝起こしを行いました。1.5メートル幅、高さ40センチの高さに畝をたてます。
昨年は藤原さんが800鉢のヤーコン苗を作られたそうですが、今年は、前年できたヤーコンの塊茎が残してあったので、それを分割して苗としました。80センチ間隔で植えていきます。静岡新聞の記者も取材に来ていました。
ヤーコンの塊茎が残してあった畑も苗の分割が終わったら、完熟牛糞と炭をまき、耕耘機で鋤き込みます。
手がすいた時間に薪割り。材木は一昨年の秋、間伐材の処理をしたとき輪切りにして皮をむいて乾燥させたものですので、乾燥度は十分、ツボにはまればスカッと割れたはずでしたが、成果はいかがだったでしょうか。
鋤きこみが終わった畑を全員でまた畝だてし、ヤーコンを植えました。数が多いと言うことは偉大なことで、約8アールの畑を耕し植え付けするのに2時間とかかりませんでした。
無煙炭化器は何回も使っているうちに変形してしまったそうで、茂木製作所に修理を頼んだら、無料でまわりにワッカをつけて補強して修理してくれたそうです。
無煙炭化器は円錐を輪切りにしたような形で、幅が狭い方を地面に密着させ、底から空気が入り込まないように土などでまわりを固めておきます。
まず、新聞紙や段ボールなど燃えやすいものを放り込み、着火したら、こぶりの廃材を入れます。炎があがってきたら、ボンボン大きい木を放り込みます。
あとは放っておいてもボンボン火が燃えていきます。あまり長く燃やすと全部灰になってしまいますので、炭化が終わった頃を見計らって、水をかけるか土をかぶせて消火します。
お昼は手作り味噌の会の皆さんが丹精込めてつくって下さった「猪のモツ鍋」「猪のぶつ切りの焼き肉」「おにぎり」の豪華な組み合わせで、都会では味わえない珍味をこころゆくまで堪能しました。
午後は、自由行動で山班は桜井先生の解説付きで三滝散策コース、海班は突堤で魚釣りということになりました。
三滝は一の滝は通じる道が崩壊して通行禁止でしたが、二の滝は高さが20メートルくらいあり、水量もおおく、海岸からこんなに近いところでこんなうっそうとした森、水量のある滝があることに驚きでした。
海班は藤原さんのご厚意で「さびき釣り」用の竿を4本用意していただき、東海工業先の突堤で釣りに挑戦しました。初参加の奥貫悠樹君(小2)は、釣りは生まれて初めてだそうで、はじめはおっかなびっくりでしたが、あっという間に1匹つりあげると大ごきげんで、3時間あまりの間に20匹近くをつりあげました。
小さいのが多かったのですが、なかには15センチほどのメバルもかかり、本格的な竿を用意すれば、かなりの成果があがるのではないかと思われました。
この朝、藤原さんの息子さんはなんと、57センチのスズキをつり上げたそうです。お宅で見せていただきましたが、それは本当に大きくてびっくりしました。ここでは突堤の釣りには別に制限はなく、ギョギョーケンなどといううるさいことはいわれることなく、誰でも釣りをしていいのだそうです。
大小あわせて(大半が小ですが)68匹の釣果があり、これをどう処分したものかと思いましたが、大澤夫人と岡田さんが、小さいやつは頭と内臓を除いて唐揚げに、中くらいは南蛮漬けに、メバルは煮付けにと見事にさばいていただき、翌朝のおかずとなりました。
夜は「かねじょう」でおなかいっぱい新鮮な魚介類をいただき、大満足で宿舎に引き揚げました。
宿舎では、実は一騒動もちあがりまして。岡田さんが入浴中、急にお湯が出なくなったのです。プロパンのメーターを見ると「微少漏れ」というアラームが。リセットしてもまたアラームが出ます。美谷島さんは「揺すってみるとチャッポン、チャッポン音がするからまだ燃料は残っているはずだ」。石油開発の権威の方がおっしゃることですので、そうかと納得。結局、岡田さんは冷たいお風呂で我慢したのでした。この段階では、原因は不明です。(A)