蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

起死回生

2005年06月27日 05時54分36秒 | 彷徉
まだ梅雨の真っ最中だというのに、今日も関東地方は夏日になってしまった。いやまあ、とにかく暑い、わたしは暑さが大嫌いだ。といってそれならば冬が好きなのかと問われると、さあ困った。じつは寒い冬も大嫌いなんです。できることなら常に「初夏ちょっと前くらいの遅い春」的気候が年中続くところで暮らしたい。そうしたら心身ともにベストコンディションでいられるはずなのだ。
子供の頃は学校のプールでの授業が、或る時まで待ち遠しかった。とにかくひんやりした水に漬かっているだけで満足だったから、泳ぎの練習なんてどうでもよかった。そのような態度では当然ながらまともに泳げるようになれるはずもなく、実際ちっとも泳げなかった。小学校の五年生のときだったか、その年のプールでの体育の時間、競泳をやらされることになった。もちろんわたしは泳ぎの練習なんかまじめにやってこなかったのだから対応できるはずがない。しかし自尊心ばかり強いが馬鹿なガキだった(いまでも馬鹿は治っていない)わたしは泳げませんとも言えず、他の数名の級友たちとスタート台に立った。
教師の吹く笛の合図で一斉にスタートを切り、といってもわたしがドン尻だったことは確かでこりゃあだめだと思った瞬間、水を飲んで沈んでしまった。水中で呼吸するということは水を吸い込むことと同じで、わたしの肺の中にたっぷりとプールの水が染込んでくる。しかし今思い出しても妙な気分なのだけれども、少しも苦しくない。まるで陸にいるのと同断の爽快感とおまけに夢心地の浮遊感があるだけだった。その後救助されたときのことは憶えていない。周りでは大騒ぎになったみたいだけれども、いまではそのことも記憶にない。そしてそれ以来わたしにはプールでの遊泳はできなくなってしまった。真水では沈んでしまうという先入観が強烈に印刻されたのかもしれない。しかしこのときの理由のわからぬ爽快感と夢心地の浮遊感はいまでも鮮明に記憶している。
もちろん級友からは馬鹿にされるわ両親からは怒られるわで、とんでもないことになったものだけれども、これは後々大人にってからのことだが、もしかしたら水の中なはとても居心地良いところなのではないか、あのときわたしに太古の昔すべての生命が海中にあった時の幽かな記憶がよみがえったのではないか、などと他愛ないことを考えたりもした。そういえば壇ノ浦で入水した安徳天皇や二位の尼、建礼門院徳子は本当に水底に都が見えたのかもしれない。
「この國は粟散邉地と申て、心憂き境にて候へば、極楽浄土とて目出処へ具し参らせ候ぞと泣々申させ給へば、山鳩色の御衣にびんづら結はせ給ひて、御涙におぼれ、小さう美しい手を合わせて、先東を伏拝み、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、其後西に向はせ給ひて、御念佛ありしかば、二位殿やがて抱き奉り、浪の底にも都の候ぞと慰め奉り、千尋の底へぞ入り給ふ」(注1)

(注1)『平家物語略解』917頁 御橋悳言 寶文館 昭和4年9月10日

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