忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

むかし、アラブの偉いお坊さんが

2011年11月21日 | 過去記事

夜勤の日、私はボトルタイプのブラックコーヒーを持参する。コンビニで買える、ちょっと大きいヤツだ。施設には職員用のコーヒーもあるが、これでアイスコーヒーを作るのも面倒だし、あまり美味しくないから、私は夜勤の日だけ、ちょっと贅沢する。

飲む時間はほぼ決まっている。明け方4時半頃だ。施設は受信料を支払っていると思うからNHKを見る。ホールにある薄型液晶テレビ、我が家のテレビよりも少し小さめだが、ま、これで十分だ。また、その時間のNHKはくだらぬ偏向番組ではなく、どこか外国の景色を延々と映し出していたり、ときには日本の風景などをクラシック音楽と共に流していたりする。先日は京都だった。空撮された京都の町並みはとても美しかった。

入所者の「霧島さん(仮名)」が起きてくる。センサーマットを踏んでナースコールが鳴るから迎えに行く。霧島さんは早起きだ。いつも一番か二番に起きてくる。その瞬間が忙しければ「ちょ、まだ、もう少し、寝ててくれ」と頼むと、にやりと笑ってベッドに横たわるのも霧島さんだ。つまり、なかなか話がわかる。

霧島さんは71歳。癌だ。無駄に偉そうな看護師が「抗がん剤の副作用があるから、ケアワーカーらは気をつけるように」と本人の前で言う。他の職員が「気を付けろったって、どう、なにに気をつけるの?」と陰で腐っていたから、素人説明ながら化学療法では痛烈な副作用が伴う場合があること、細胞分裂が活発な癌細胞を抑制するが、例えば、造血細胞なんかも抑制されるから貧血が酷くなる。つまり、我々の仕事の範疇で「留意すべき点」とは「立ち上がり」や「ふらつき」による転倒事故の予防、口腔内のケア、消化気管の粘膜も代謝が悪くなるから吐き気や下痢、これらの発見と報告になります、と補足しておいた。本人の前で他人である我々に癌のことを言う、且つ、職責放棄に等しい説明不足などの非常識極まる馬鹿さ加減は言わずとも理解できよう。

霧島さんは話せない、のではなく、あまり話さないから、霧島さんがどんな人なのか、先輩職員らはあまり知らないらしい。だから先日も「霧島さんは若いころ、ビール好きが高じてドイツまで行った」と私が話したら驚いていた。ちなみに現役時代は鉄鋼所の職人さん。指が何本か足りなく、爪が溶けているのはその所為だ。いま、大事なものは「青くて小さいクッション」だ。誕生日に娘さんがくれたものだ。霧島さんがひとりで勝手に部屋に戻るのが危険、とかカンファレンスでやるヒマがあったら、迎えに行った際には忘れぬよう手渡すことだ。他の入所者で認知症の人らが勝手に持ち出さぬよう気を配ったり、また、職員が霧島さんに無断で勝手に洗濯したり、誰のものかわからないとして倉庫に放り込んだりするから、霧島さんはそれを探してふらふら歩いてコケる。相手が認知症でも、それを返せと奪い取るから危ないことになる。その説明を霧島さんはいちいちしない。

「コーヒー飲んでいいの?」

私が問うと、霧島さんは、またにやりと笑う。

きりっと冷えたブラックを大きめのカップに半分ほど入れてやると、NHKを見ながらごくごく喉を鳴らす。美味そうだ。

「ヌルイお茶ばっかり飲んでられないわなww」

私がそう笑うと、霧島さんは小さな声で呟くように言う。

『あの爺さん寝てるな・・・』

「あの爺さん」とは、この最近、ショートステイで1週間ほど入所している「山森さん(仮名)」のことだ。なんと62歳。若い。体は元気過ぎるほどだが、残念ながら重度の認知症だ。私もあと22年すれば、ああなる可能性があるのかと思えば怖くなった。

山森さんは寝ない。いわゆる周辺症状の「徘徊行動」が強い。ファイルにはいつも「徘徊(強)」と書かれている。ちなみに私は「ホールや通路を歩いておられることが多い」と回りくどく書く。先輩職員から何度も「徘徊(強)」と書けと言われているが、何度かここにも書いたように、徘徊というのは「意味もなく、目的もなく、ふらふら歩く」ことであるから、それは深夜の繁華街にたくさんいる連中のことである。認知症の人らは明確な目的がある。例えば、この山森さんは「帰ろうとしている」から、我々とすれ違う度に「お世話になりました」と挨拶される。しかし、この魔法の建物には「出口」というものがない。

だから山森さんは迷っている。どこかの部屋が「出口」に繋がっていると考え、全ての部屋をくまなく探しておられる。家では奥さんと娘さんが待っている。早く帰宅してあげないと、嫁と子供は晩飯も喰えない。歩き疲れて足も痛むが、それでも山森さんは「帰宅しよう」と不思議な空間を歩き回る。稀に「壁」が開いて人が出入りするが、その「壁」はランダムで、いつ、どこで、何をすれば開くのかわからない。だから山森さんは「壁」を調べる。先輩諸氏らはファイルに「独語あり」しか書かぬが、アレは「壁を調べている」のである。だから山森さんは「壁」を触りながら歩く。あれ?ここ?ん?と呟きながら。

そんな山森さんが訓練室の絨毯の上で寝ている。いい加減、危ない状態だった。寝不足でふらふらしていた。元来、生真面目な人なのであろう。通路に胡坐をかいて座るのも夜中だけだった。立っている職員から「椅子に座って」と言われても、あなたが思う椅子と山森さんが思う椅子は違うから、山森さんは、いったい、どこに椅子があるのかわからない。鉄製のパイプが組まれたカラフルな「置物」はいくつかあるが、山森さんに「コレが椅子です」と伝えるのは「座れ」だけでは足りない。それに見ず知らずの皆様が立ってうろうろしておられる空間で、自分だけが座るというのも気が引ける。それに山森さんには目的がある。座って一服しているヒマなどない。家族が待つ自宅へ帰らねばならない。

山森さんは、いつしか疲れて座り込んでしまう。それで体力の限界、ついうとうとしてしまう。数分のときもあるし、数十分のときもある。しかし、また目覚めた山森さんは歩きだす。もちろん、目覚めた時、そのシチュエーションは変化することがある。「奥さんを探しに来た」という日もあれば「奥さんの付き添いで来た」という日もある。そのときここは病院だ。奥さんについてきたのはいいのだが、その奥さんが友人らとどこかに行ってしまい、どうせ、お茶でも飲んで話し込んでいるのだろう、自分は仕事もあるし、早く帰ってゆっくりしたいのに、ったく、うちの嫁さんはどこに行ってしまったんだ?と聞いて回る日もある。そんな状態のときに、見知らぬ人から「座って!」と言われる。薄暗ければ「寝て!」と言われる。御厚意は嬉しいが、そういうわけにもいかぬ理由がある。だから山森さんは困ってしまう。「自分の事情」を説明するが、ひと通り説明すれば、やはり「もう!わかったから寝て!」とか突き放される。ぜんぜん、わかっていないじゃないか。



『・・・・どうやったら寝た?』

この1週間、霧島さんは「自宅に帰ろうとする」山森さんを見ていた。ずっと座ったまま、じっと目で追うこともあった。気になっていたのだろう。

「ん?寝たら寝た」

『あそこで?』

「ん。そう。オレが寝たの。あそこで」

霧島さんは、くくく・・・と声を出して笑った。


私は先ず、座ってもらおうと考えた。だから、私は介護員室から出た。ファイルやらノートやらを持ち出し、普通にホールのテーブルで仕事をした。同じ「鉄製のパイプで組まれたカラフルな置物」を用意し、山森さんを気にせず、そこで座ってコーヒーを飲んでいた。近づいてきた山森さんに「お茶でもどうです?」と声をかける。同じテーブルで同じ椅子を並べる。私も座っている。山森さんは「あ、こりゃどうも、ありがとうございます」と椅子に座って茶を飲んだ。私はノートを広げて話を聞いた。今日はまた、どうされたんです?

川を渡ったところで、奥さんを見失った。いつもの道だった。コンクリートの壁があって、いつもの角を曲がった。あいつは年の割に子供染みたところがあって、危ないところに行ったりもする。いつも注意している。怪我をしたこともある。イイ大人なんだから、そういうことは止めなさいと、自分はいつも心配している―――

私は妻を思い出した。危ないところに行ったりするのも同じだ(笑)。妻は私が危ないと注意するのに、駐車場のタイヤ止を飛び渡ったりする。「落ちたらサメに喰われて死ぬ」という自分ルールを設定して、危ない足取りで人喰いザメと戦う。なんのことはない。この人、山森さんはマトモである。正常である。自分の愛する妻を心配することは当然である。眠れるはずがない。座っている時間などない。

私は山森さんの話を聞きながら、それをノートに書き出した。何度か、ちょっとマッテください、とか、もう一度お願いします、などと確認しながら真面目に聴いた。

山森さんの目の下にはクマがあった。顔色も悪く、肌ががさがさになっていた。山森さんは、めずらしく、お茶を一気に飲み干した。蒸し暑い夜だった。申し訳ないが、それは「職員用」の冷蔵庫で冷やしたモノだ。体に良いとか悪いとか、申し訳ないが、私は知らない。

「ちょっと、向こうに行きませんか?」

私は訓練室の絨毯の上に移動する。山森さんもついてくる。私はそこに寝転がり、隣のスペースを山森さんに勧めた。気持ちいいですよ?

山森さんは「あ~~よいしょ~」とか言いながら寝転がった。

「うちの家内も心配なんですよ、危ないことばかり好きで・・・」

私は半ば、一方的に話し出した。最初は「は~」とか「ふ~」と相槌らしきものが返っていたが、そのうち、静かになった。寝息が聞こえてきた。私は毛布を持ってきた。





信頼関係の構築と共感作用――――





「椅子もない」のに椅子に座れと言い続ける人間など、頭は大丈夫なのか?となる。人が懸命に話しているのに、適当な相槌で聞き流す無礼極まる人間など、どこの誰が信用するのか。中年をとっくに過ぎる年齢ながら、浮気相手の物色に目の色を変える連中より、還暦過ぎても妻の身を案ずる認知症患者のほうが、よほどマトモなのである。私なら問答無用で山森さんの方を信頼する。人として、だ。




「なぁなぁ、ブラックコーヒーって癌に効くってホンマかな?」

『知らん』

「なぁなぁ、霧島さん、朝っぱらから、なにが面白くて笑ってるの?オレのこと馬鹿にしてるやろ、オレはオレで色々と考えて、色々と悩みもあって・・・」

『くくくく・・・・しらん』

「ったく、ちょっとベランダ、タバコ吸うから付き合ってくれ」


「カフェイン」には中枢神経に作用し、呼吸機能や運動機能を高める効果があったり、心臓の収縮力を高めることによる強心作用があったり、利尿効果、胃液の分泌促進、脳の血流を良くして脳血管性の偏頭痛にも効果があったり、肝臓癌や消化器系の癌の予防効果があったり、動脈硬化も予防したり、認知症やパーキンソン病の予防効果も認められている、とか、申し訳ないが、私は知らない。ただ、朝起きがけの薄めのブラックコーヒー1杯が美味い、ということは知っている。それも誰かと一緒に飲むと、尚、美味いということも。

2 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-11-24 09:16:29
このブログを書いてる人、「千代太郎さん」とやらは
一応人物設定はあるものの
実はプロの作家か何かで、(しかも名の知れてる)
何か理由があって、あるいは趣味で
こんな優れた話をブログ上にヒョイヒョイ載っけているんだ
・・・・と妄想してしまうぐらい、素晴らしいです。
いやホント、下手な小説読むよりずっと面白く、心に響きます。
いつも有り難うございます。
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Unknown (Sugar)
2011-11-22 22:58:12
素晴らしいお話を有難うございます。

死に目にあえなかった祖母を思い出しました。

山森さんも霧島さんも、みんな素敵ですね。

特に、千代太郎様は本当に素敵だぁーっ♪

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