忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「無くしてない。忘れているだけ。」

2008年05月14日 | 過去記事
■2008/05/13 (火) ガチコメ的「無くしてない。忘れているだけ。」1

軍事政権で揺らぐミャンマーをサイクロンがぐちゃぐちゃにして、独裁政党が蔓延る悪の枢軸を大地震が揺らす。それも「平和の祭典の火」が通る直前に・・いやはや、なんとも・・・

http://www.asahi.com/international/update/0513/TKY200805130118.html
<死者数9000人超える 四川大地震>

自宅を出るとき、死者数が「5名」と報道されていた。そして、会社について商談を済ませ、業者さんと共に京橋に飲みに行くと「3000名~5000名」と報道捨てションでやっていた。そして今日は1万人に届く死者数とされる。なんたる大規模な「天災」か。

<中国民政省のまとめでは、四川省で8993人、甘粛省で132人、陝西省で85人、重慶市で8人、雲南省で1人の死亡が確認された。24万人が犠牲になった1976年の河北省・唐山地震以来、中国では最悪の地震災害となった。中国共産党は12日夜に政治局常務委員会を開き、胡錦濤(フー・チンタオ)総書記(国家主席)は、地震の救援活動を最優先とするよう指示した。中国政府は被災地支援のため2億元(約30億円)の緊急支出を決めた。>

エライことになっているようだが―――――

これにはもう、絶句するしかない。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080513/chn0805131310011-n1.htm
<聖火リレーは予定通り 死者続出の湖北省には月末に、五輪組織委>

新潟や神戸を震災が襲った直後、瓦礫と絶望の中を「笑顔の聖火ランナーが走りぬける」ところを想像してみる。ランナーを取り巻く警備員と、沿道で五星紅旗を振る観衆が、生き埋めになった同胞の上で叫ぶ「わん・ちゃいな」の響きは地獄にまで届くだろう。

<今月から中国国内ルートに入った聖火リレーは死者の出ている湖北省に月末に入り、来月7日から雲南、貴州両省を経て13、14日に重慶市で実施する予定。15日-18日は被害の大きい綿陽や成都など四川省内の7都市を回ることになっている。>

世界各国で迷惑がられ、蛇蝎の如く忌み嫌われ、また、勘違いも甚だしい自己陶酔に、眉をしかめるほどの自画自賛にも恥を知らず、抗議と非難に晒されながら護送されてきた火は、無数の死者に囲まれながらフィナーレを迎えるようだ。私は超常現象や呪いやタタリの類は信じないが、この無残な血塗れ五輪をして、人の及ばない「何か」が怒り狂っているのではないかと恐怖することを禁じ得ない。

「2」へ

■2008/05/13 (火) ガチコメ的「無くしてない。忘れているだけ。」2

<第1走者を務めた2000年シドニー五輪重量挙げの銅メダリスト、張湘祥氏は、「北京五輪の聖火リレーが被災地の住民に幸運をもたらすことを願う。彼らの無事と安全を祈る」と述べた。>

チベット寺院を破壊しまくり、他国の文化を踏みにじり、崇高な存在である僧侶を辱めて殺す支那人ならば、その「どす黒い炎」が被災者に幸運など齎せないといちばん知るはずだ。また、この重量挙げのメダリストは「悪魔の火」を運ぶ前に、今、同胞が下敷きとなる瓦礫こそを持ちあげねばならんとは思わないのだろうか。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080513/chn0805131722016-n1.htm
<「われわれ中国人には良心のかけらもないのか」 聖火リレー続行に批判集中>

朝日新聞は被害ばかりを書きたて、人民を救えといわんばかりの勢いだが、本当に支那人民を想うのならば、産経新聞のように、この自国を非難する支那人の声も取り上げて欲しいところだ。もう、そのわかりやすいダブルスタンダードは通用しないと気づかねばならん。あの新聞、もはや、もう、哀れですらある。

<中国・四川大地震の発生翌日の13日、北京五輪の聖火リレーは福建省竜岩で予定通り実施された。しかし、スタート時には犠牲者を悼む行事はまったくなく、インターネットには「われわれ中国人には良心のかけらもないのか」との批判や、「リレーはすぐ中止すべきだ」といった書き込みが多数、寄せられた。>

まさに、メインテーマは「絶望」であろう。

そして「混乱」から「崩壊」へとリレーはつながる。

「3」へ

■2008/05/13 (火) ガチコメ的「無くしてない。忘れているだけ。」3

「4.26長野事件」で赤い旗を振っていた支那人は、それでも「がんばれ!中国!」と叫ぶがいい。祖国で身内が埋もれているその上を、手を振りながら走るランナーを誇ってみせるがいい。瓦礫を素手で除けながら、行方不明者を探す家族の後ろを笑いながら走るランナーに「がんばれ!中国!」と声を張り上げて応援するのだ。

そして、日本もまた、同じ失敗を繰り返す気だろう。

「天安門事件」を起こした支那は世界から経済制裁を喰らってフラフラになった。それにいち早く援助を始めたのは、「南京あるある大虐殺」と言われ続け、「過去の戦争責任」とやらで責められ続け、謝り倒させられてきた日本だった。空港をつくり駅をつくり道路をつくってあげた。

地下鉄を走らせ、モノレールを走らせ、高速道路を走らせ、工場を作って技術も丸ごとあげた。それからも、「中国の安定は東アジアの安定」とし多額のODAを送り続け、支那は息を吹き返して経済成長を続けた。

いやいや、なんの、それでも足らぬと無償援助を繰り返し、「中国の環境破壊は日本にも深刻な問題」として技術もカネも出しましょうと、で、今度は五輪開催だということで「人の嫌がることはしない」総理大臣が、毒餃子もガス田も、虐殺も人権蹂躙もなんのその、パンダを1億円で貸してくれるなら、日本国民は「手放し」で喜んでいますよと言いながら、五輪の成功を望んでしまうのであった。さて、

それで「東アジア」は安定したのか?
日本は安全になったのだろうか?

「4」へ

■2008/05/13 (火) ガチコメ的「無くしてない。忘れているだけ。」4

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無論、人道的支援は必要である。被災民である人民には何の罪もない。支那共産党がミャンマー軍事政権と同じく、この期に及んでも「人はいらん。金しかいらん」と見栄を張るなら、それこそど~~んとくれてやれ。

ただし――――

それだけだ。

救助の遅れ、いや、繰り返すが「自国民が死に、まだ埋まっている」のに聖火リレーを走らせる支那共産党に、さすがに人民の不満は爆発するだろう。鬱積された憤懣が五輪前に暴発する可能性も出てきた。そして、そういうとき、この残忍な政党が何をしてきたのかは周知であるはずだ。

真に「東アジアの安定」を望むならば、その混乱の中心である支那には弱体化してもらっていたほうが良い。

60年と少し前、とっくに死んでいた巨大な怪物を、アメリカが己の強欲のため、また、日本を恐れるあまりに一瞬だけ蘇らせた。そして、日本にボコボコにされながらも戦勝国となり、そのまま内戦を制した支那共産党が喜んだのも束の間、阿呆な国策と罪深い政策で自滅しかけていた支那を、今度は日本が助ける羽目になった。日本が肥え太らせたのだ。

それは「東アジアの安定」どころか、アフリカにまで及ぶ「危機」となり、世界レベルでの「混乱」を発生させている。アメリカは阿呆だが、日本はもっと阿呆なのだ。

豊かになってしまった支那人は日本にも来て犯罪の限りを尽くす。

「理ではなく利で動く」支那人は世界に広がり、その破天荒な文化(?)を振りかざし、国際社会から嫌悪される。これは朝鮮人も同じであり、日本が「愛すべき阿呆さ加減」をもって土民の生活を送る朝鮮人を教育し、近代化させ、あまつさえ同化させた結果、この2008年現在において、「参政権を渡せ!」というまでに「してしまった」のではないか。

「5」へ

■2008/05/13 (火) ガチコメ的「無くしてない。忘れているだけ。」5

もし、本当に、そう、それは朝鮮人が声高に日本を非難するように、事実として、まるで欧米列強がしたように「強制連行」して「強制労働」させて、「搾取」して「奴隷狩り」して、「性奴隷」にしていれば、そんな恐ろしい軍事国家に密入国してくるはずもなかったのだ。

戦争が終われば、逃げるようにして半島に帰ったはずではないか。今思えば、そもそも特定亜細亜を相手にするなら、それくらいでよかったのかもしれん。いや、それでなければならなかったのだろう。

もう、御人好しも限界である。ま、まあ、そういえば、その御人好しのお陰で、現在の私も日本で暮らしているわけだが・・・(笑)御人好しよ。ほんまにありがとう。

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しかし、断じて違うと思うことは、「当時の日本人」は御人好しかもしれんが、「現在の日本人」は事なかれ主義に過ぎんということだ。

明治政府が誕生して間もなく、横浜港にペルー船「マリアルーズ号」が入港した。そこに積まれていたのは200名以上の支那人であった。マカオで捕まってペルーで競売にかけられる運命にある奴隷として、“積み荷”として扱われていたのだ。そして、言うまでもなく、それは当時、普通のことだった。

しかし、なんと、出来立てホヤホヤの明治政府は、当時、世界を席巻する白人至上主義、人種差別ってなんですか?という毛唐どもに対し、

「奴隷を商売とするとはなんたることか!」

と言い放ち、全員解放してしまう(笑)。

なんという「KY」!!

ンなことすれば、白人国家の神経を逆なでし、日本という国はウザいと思われてしまうではないか。「人の嫌がること」しまくりであろう。

「利で動かず、理で動く。」

堂々たる武士道精神の真髄。

そら、アメリカも日本を敵視せざるを得ないはずだ。

そして私は、こんな「カッコいい御人好しな国・日本」が大好きなのだ。

忘れたモノはでかすぎる。

だが、取り戻せないモノではない。

ちゃぁんと、まだ、そこにある。

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