忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「ドリンクバー」

2010年12月04日 | 過去記事
「ドリンクバー」

宇治駅近くにあるハンバーグとステーキを売る「某チェーン店のレストラン」が、ついに「スープバー」もやり出した。コンソメでもオニオンでも「自分で入れろ」ということだ。

私はあの「ドリンクバー」というのが大嫌いだ。ガソリンスタンドのセルフサービスと同じで、なんでも「自分でやれ」と言われているようで気に喰わない。それがもう「サラダバー」まである。いわゆる「バイキング方式」というやつだが、なんだか、アングロサクソンの国のようで肌に合わない。日本の旅館なら、お茶でもはいどうぞ、ありがとう、という会話があるし、立ち飲み屋でもツマミを勝手に取ったりしない。なんというか味気ない、冷たい感じがするのだ。合理的と言われたらそうかもしれんが、なんとも詮無い話である。

ま、しかし、ランチセット600円くらいでライスおかわり自由、スープも自由、200円か300円足せばドリンクもサラダも食べ放題というのは魅力的なんだろう。そんなに喰えるとも思えんが、出所の怪しい野菜を生でバリバリ喰う気にはなれん。だから私は近所の洋食屋に行く。その店は某大手外食チェーンに挟まれながらも、堂々たる王道商売、昼はいつも満席だ。唸るボリュームながらも800円均一の定食がずらりと並ぶ。どれも美味い。

「うどん屋」のセルフサービスも増えた。主流と言っていい。あの白人国家の刑務所みたいに並んで喰いたいモノを取っていくスタイルの店だ。しかし、これが本場の喰い方らしい。

数年前、真夜中に「うどん喰いたいね」ということで、発作的に妻と香川県まで行ったことがある。次の日の朝から「うどんタクシー」とやらに乗って数件のうどん屋を巡ったのだが、その多くはセルフサービス形式の店だった。また、とある店で「おろしうどん」と注文すると、なんと、大根一本そのまま出てきた。「自分でおろせ」とのことで、私は妻と二人分の大根おろしをすったのである。腹が立ったから全部おろしてやった。

回転寿司などもそうだ。今ではもう慣れてしまってびっくらぽんだが、出始めた頃は抵抗があった人も少なくなかろうと思う。これは寿司じゃなく寿司っぽいおにぎりである、と自分を騙しながら喰いに行った御仁もいるのではなかろうか。しかし、である。この「ある種の抵抗感」は正しいものだ。あの喰わされ方は、つまり「餌」であるからだ。

要するに、だ。外食チェーンにおける「合理化」とは人件費やら材料費やらのコスト計算があって、そこから競争原理をふまえた価格査定に入る。利益がないと喰っていけないから、売値を下げる代わりにどこかを削らねばならない、とのことで先ず、人件費を削られることになった。オートメーション化だ。喰いもんを皿に載せてベルトコンベアで回せば運ぶ手間が無くなる。客は好きな寿司が前に来れば自分で取って喰う。実に効率的ではある。大型の店では数十人が一度に寿司を喰うが、あれだけの客に「寿司」を喰わせるとなれば、本来なら職人が何人いても足らない。ネタは安くとも、それでは「一皿100円」は不可能となる。サラダバーやドリンクバーも同じ理屈だ。バケツに野菜を放り込んでおけば、自分らで取りに来てレタスやらトウモロコシやらを勝手に喰う。盛り付けもしないでいいし、ドレッシングをドボドボかけてやる必要もない。洗う食器も少なくて済む。

回転寿司のヒントは養鶏場にあったのではないか、と思わざるを得ないほど、そのシステムは似ている。ナントカバーは放牧だ。そこに置いてさえすれば、喰いたい連中が勝手に喰うことになっている。客は金を払って家畜扱いされるのだが、これも「安い」という合理的な理由から許されている。私もよく利用する(笑)。



ま、しかし、だ。



「大衆」の概念が変化している。例えば「大衆酒場」では安酒を飲むが、ちゃんとオッサンが注いでくれる。メザシは焼いてくれるし、冷や奴にはカツオとネギとショウガが乗っていて、私はそれに醤油を垂らすだけでいい。つまり、安いモノを喰っても、その扱いは「客」だったのだ。しかし、今は「手間を省いて価格を下げる」ことが主流になりつつある。

うどん屋の話に戻ると、なぜに香川県のうどん屋がセルフサービスになったかと問えば、それは需要があり過ぎるからだ。香川県民のうどんを喰う頻度が馬鹿みたいなのである。だから価格も下げねばならぬし、手間も省かねばならなかった。すなわち、あの「香川スタイル」とは創意工夫の結果だ。これがサラダバーや回転寿司とは理由が真逆となる。カッコよく言えば「外食産業と日本の食文化におけるパラドックス」が功を奏した、と判断することもできる。

寿司であれ、焼き肉であれ、ステーキであれ、月に何度も喰うモノではない「ごちそうメニュー」の効率化を図り、価格を下げて提供することによって需要を増やした、ということだ。如何にも「外食ビジネス」という臭いがぷんぷんする。

そして、その結果、どういうことになったか。

良いか悪いかはともかく、その影響をまともに受けるのは家庭だ。最近、我が家でもインスタント味噌汁の出番が増えた。これがまた、涙ぐましい企業努力の成果で安いし不味くない。お椀に一杯分だけ手軽にできるから無駄もない。その代わり「味噌汁かけご飯」の登場回数も減った。残った冷飯に温め直した味噌汁をぬっかけて喰う「あの感じ」は懐かしいモノになった。

回転寿司を喰いながら「江戸前寿司の“江戸前”っていうのは東京湾のことで、そこで獲れた新鮮な魚を使って握るから江戸前なんだなー」というのも虚しいから、黙って喰うことになった。私は基本的に回転寿司屋で酒は飲まないが、その代わり、カウンターの寿司屋では絶対に飲む。飲みたくなるからだ。私には「回転寿司屋で酒を飲むようになったら男は終わり」だという判断基準がある。しかも、可能な限り「ランチ」で利用したい。あくまでも「食事」という概念ではなく「メシを喰う」というレベルにありたい。


「寿司」という日本の大人のステイタスを、ハンバーガーやホットドッグという「太る餌」というだけのアングロサクソン的価値観に貶めた罪は深い。アルバイトしている高校生や、主婦パート仲間が集うファミレスの「ドリンクバー」のビジネススタイルを、焼肉という「人生の誉れ」にそのまま悪用した「食べ放題システム」とはまさに海賊、バイキングの悪行なのである。だから私は「焼肉食べ放題」の店でも酒を飲まない。飲みたくない。



倅は未だに回転寿司屋で喜ぶが、実のところ世間では生活保護でも喰える「日常的な喰い物」に成り下がっている。二十歳の誕生日には「ふぐ屋」でメシを喰おうと企んでいるが、あと2年ほどすると「てっちり」がベルトコンベアの上を回っているのではないかと恐怖している。「ひれ酒」がドリンクバーに設置されているような悪夢は見たくない。

4 コメント

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Unknown (Karasu)
2010-12-05 12:38:57
恐るべき

日本の食文化の破壊

ていうか、ファミレスで酒が出るようになり、当然そこには子供と一緒に・・
やがて、だんだん感覚が狂って

いまや職場の忘年会宴会に子連れでくる母ちゃんなんて珍しくもなくなり・・

そして、やがて、なるべきしてと言うか

昔ならバーですよねホステスさんもいる

そんな場所に、夫婦が子供を平然と連れてくる(母ちゃんと一緒だからいいの?)

時間を見れば23時・・これから何時間
子供といるんだろーー

狂ってるを思う私が世間とずれてるのか、古い男でござんす
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Unknown (久代千代太郎)
2010-12-05 20:52:06
>からす さん


いますねー夜の盛り場に子供連れ。

「ファミリー居酒屋」なんて、その発想からして勘弁してほしいですねww

しかも駐車場完備w
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Unknown (ひるね)
2011-06-26 21:44:50
はじめまして、突然のコメント失礼します。
「ドリンクバー 味気ない」で検索して辿り着きました。

記事を読み、うんうんと深くうなずくばかりです。
実は私もさきほど自分のブログに、回転寿司やドリンクバーの味気なさを書いたところで、同じように感じている人がいるかしら? と思い、「ドリンクバー 味気ない」などという言葉を検索したのです。

回転寿司の店内の様子は養鶏所のようだ、というのもまったく同じ意見が書かれていたので、思わずコメントをしてしまいました。
突然失礼しました。

人々が「こころゆたかに」暮らすことの良さを、もっと大切にしてくれるといいな、と思います。
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Unknown (久代千代太郎)
2011-07-04 07:16:41
>ひるね さま

いらっしゃいませ。はじめまして。

最近は「こころゆたか」が殺されてますね。日本人は「気配」に敏感な民族、なによりも雰囲気を楽しめる素晴らしい文化が売りなのですがね。250円の牛丼をかき込んで働く忙しいサラリーマンは逞しいモノですが、家族団欒とか仲間との空間とか、なにか良いモノまで失われているようで心配ですな。

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