忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「山田養蜂場」

2008年04月07日 | 過去記事
■2008/04/06 (日) ガチコメ的「山田養蜂場」1

「蜂の大群がランナーを襲った」というから、てっきり「フリー・チベット」と尻に書いた『ミツバチはっち』が、虐殺五輪の聖火ランナーをボコボコにしたのかと思ったが、どうやら関係ないらしい(笑)。

「蜂」といえば、ロッキード事件の年、1974年の流行語が「蜂の一刺し」であったらしい。首相秘書官・榎本敏夫夫人の決定的な証言がそう呼ばれたわけだ。読者諸賢も嫁ハンには気をつけようではないか。くわばらくわばら。

「おとうしゃん!この○▲×△ってお店はなにか!!??・・よ、4万円・・・!!」

・・・・・。

ちくり。

カードを使って飲むと、こういう「蜂の一刺し」に来月くらいに遭うのである。気をつけよう。正直、次の月にもくると思う。ちくり。でも決してエッチな店ではない。ちくり。

嗚呼・・・公務員になりたい。もう、工務店でもいい・・・。

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で、こっちはホンマモンで危ないことになってきた。蜂どころではない。

http://www.asahi.com/international/update/0406/TKY200804060131.html
<聖火リレー、妨害次々 ロンドン騒然>

全知全能の神・ゼウスから「火」を盗んで人類に与えたというプロメテウスも心中複雑ではないだろうか。まさかその「聖なる火」を人類の敵である独裁軍事国家が灯しつつ走り回り、それを同じ人類が潰しにかかるということは予想していなかったのではないか。

もう、五輪の意味合いは変わってしまっている。この「聖火リレー」とやらも、あの悪名高い「ナチスドイツ」のベルリンオリンピックから始まったという事も偶然ではないのだろう。このまま知らぬ顔で、欺瞞だらけの五輪を開催するならば「平和の祭典」など、既に絵に描いた餅以下の戯言である。

軍事大国のエゴの象徴。独裁政権の偽善の権化。人権蹂躙のアリバイ工作。人殺しの屁理屈。それが近代オリンピックの意義ということだ。

「2」へ

■2008/04/06 (日) ガチコメ的「山田養蜂場」2

<大英博物館前やトラファルガー広場を聖火が通過すると、待ちかまえていた抗議デモ隊から「フリー・チベット!」「中国よ、恥を知れ」などという怒号やブーイングがわき起こる一方、別の場所では、中国人学生らの聖火歓迎デモもあり、騒然としたイベントに。>

世界中を巻き込んだ支那バッシングは止まらない。支那大陸の各地で頻発する蜂起も収まらない。胡錦濤は1989年に続いて戒厳令を敷くことになるかもしれない。

「遠い異国の仏教徒が弾圧されているらしい」としか考えなかった人々も、今回はそうでもないようだ。とくに日本も含めた近隣諸国は他人事ではないのである。平和的なデモを戦車でひき潰す支那人民解放軍である。しかも、支那共産党のコントロールも危ういとなれば、少し前に買ってもらった地球儀を眺めながらちょっと凹んでしまうことも否めない。

そして、もう、安全に(平和的に)支那五輪が開催されると思っている人は少ないだろう。なにより、警察と軍隊に囲まれて、ピリピリした雰囲気の中で開催される五輪に、いったい何の意義があるというのか。自治などかけらもない「自治区」とやらが、やはり支那の一部であると、世界に向けて宣言する場を提供することに協力する国や企業は、その汚名を歴史の中に永遠と輝かせることになるだろう。『国を返せ!』と叫びながら、石ころと棒切れで立ち向かう民衆に、情け容赦もなく機関砲を撃ちまくる人民解放軍の『栄光の歴史』と共に、子々孫々に至るまで語り継いでもらいたいところである。

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ともかく、支那共産党の思うままには運ばないことを願う。世界の平和のために、強烈な「蜂の一刺し」の餌食になってもらいたい。そう考えるに、やはり、先の大戦による日本人が放った「蜂の一刺し」は痛かっただろうと思う。「祖国」や「家族」という女王蜂を護るために、自分の命と引き換えに毒針を突き刺す兵隊蜂は凄まじく強かった。

そして、日本人全部が毒針を去勢されたわけではないのだ。

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