忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

キンコン梶原も母が生活保護 昨年3月から140万円>2012.5.29

2012年05月29日 | 過去記事





    




http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120529-00000055-spnannex-ent
<キンコン梶原も母が生活保護 昨年3月から140万円>

<お笑いコンビ「次長課長」の河本準一(37)の母親が生活保護を15年間受給していたことが問題となった中、同じ吉本興業所属のお笑いコンビ「キングコング」の梶原雄太(31)の母親(63)が昨年3月から生活保護を受給していることが28日、分かった。

 梶原は都内でスポニチ本紙の取材に応じ「誤解をされたくないし、隠すこともないので自分から全てお話ししたい」と受給の経緯と事情を説明した。

 母親への受給が始まったのは昨年3月。祖母の介護をしながら弁当店で働いていたが、その会社が倒産して収入がなくなった。その上、足を骨折し、年齢的にも働き口が見つからなくなったのがきっかけ。梶原によると、母親が知人に相談したところ福祉事務所に行くことを勧められた。そこで「祖母ではなく、あなたが生活保護の受給者になった方がいい」とアドバイスをされ、梶原ら親族の経済状況の申告書類を提出後、受給が決まった。

 当初の受給額は毎月11万6000円。祖母が昨年12月に他界後は、見つけたパート先で毎月約4万円の収入を得ており、受給額は5万円に減額されている。

 母親の住居のローンと共益費で毎月40数万円を負担している梶原は「今年8月に完済したら、受給を打ち切ることにしていた」。しかし河本の問題が波紋を広げる中、母親は「このままもらい続けると誤解されかねない」と今月で打ち切ることを決断したという。

 祖母の介護に失業が重なった昨年3月から1年3カ月間の受給額は計約140万円。梶原は「おかんが苦しんでいたので“助かった”というのが率直な気持ち」と感謝している>









おかんが苦しんでいたので

2011.7.11



<キングコング・梶原のおかんが作った“日本一塩辛い”ご飯のお供>




<先日「イチハチ」(TBS系)で、見事なマザコンぶりを披露していたキングコング・梶原だが、そんな梶原も大好物だというおかん(次子さん)特製の“ご飯のお供”が発売されている。レーベンスクラフトの「おかんのじゃこ入り塩こんぶ」(760円〜/4種類)だ。





次子さん特製のこの塩昆布は、次子さんのおかんが作っていた秘伝の味を受け継いで作ったもの。「天然国産ジャコと北海道産の天然昆布(羅臼昆布/真昆布)の凝縮された旨みを無駄にしない、日本一(?)辛い高級塩昆布」だそうで、梶原本人も子どものころから「塩辛い〜っ!」と言いながらよく食べていたという。


「私自身、兄弟が多かったので、この『塩昆布』が家族の食卓には欠かせない存在でした。食欲旺盛な3兄弟の末っ子、雄太も大好物! 昆布2〜3枚とたっぷりのジャコで軽くご飯一杯は食べられるということで、エコ(!?)をテーマに天然素材にこだわり、私自身がていねいに作り上げました」と梶原の“おかん”次子さん。






“ご飯のお供”だけに、そのまま食べると辛さが強調されてしまうが、サラダやだし巻き卵のトッピングにしたり、バターと一緒にパスタに絡めたりと、アレンジ次第でいろんな料理に使える“万能ダシ”になる使い勝手の良さもポイントだとか。





「お好みでさまざまな食べ方が楽しめます。私のおすすめは、昆布数枚にお湯を注ぐだけで簡単に作れる『天然昆布茶(だし湯)』。疲れたときやお酒を飲んだ後などにホッコリできますよ。暑い夏をこの『塩昆布』で乗り切るなんて新しいかも(!?)しれませんね。食べてみてや〜っ!」(次子さん)。



食べてみてや〜っ!




WEBサイトには、ほかにも“おかんのおすすめレシピ”が掲載されているので、キングコング・梶原の“おかんの味”が気になる人はぜひチェックしてみて。【東京ウォーカー】>







――――ええと、



私が実家を出たのは17歳。隣駅のワンルームマンションを借りた。家賃は5万円ほど。給料は手取りで17万円。光熱費、水道代、食費を引いたら数万円が残る。ここから3万円をオカンに渡す。残った金は会社の経理のオバちゃんが貯めてくれる。19歳になったとき40万円貯まった。彼女が妊娠したから使おうとしたけれど、社長も経理のオバちゃんも「これは置いておきなさい」としてくれなかった。代わりに150万円貸してくれた。無利子だ。

それをオカンに報告、実家の仏壇に供えると、次の日30万円ほど足らなかった。オカンを問い質すと「貸しといて」と舌を出した。ったく、どういうつもりかとブツブツ言いながら結婚した。オカンには借金があって、それは女手ひとつ、子供を育てるのになにかと困ったからだというから、仕入れを覚えて給料が増えた私が全部支払った。80万円ほどか。

それからも何度もあった。5万円貸して、10万円貸して。都度、なんとかして用意して渡した。返ってきたのは1円もない。結婚した最初の嫁はんが400万円ほどの借金を2回作った。私が仕事ばかりで家に帰らず「淋しかった」とかで遊び呆けていた。私は嫁はんに泣いて詫びた。本気で「こんなことまでさせてしまった」と悔いた。もちろん、この借金も私が背負った。代わりに離婚した。24歳だった。

店長になった。給料も増えたが遊ぶ時間どころか寝る時間がなかった。支払いは月額で20万円を超えていた。平野区に借りていたワンルームマンションの家賃を支払うと残らなかった。なんとも「食べれない月」もあった。お金がリアルに無くなった。会社から借りた。

そのころ現在の妻と知り合う。付き合うことになったとき、私は私の経済状況やら国籍のことなども話した。朝鮮人の借金だらけ、それでも良いのか?と。

妻と暮らし始めたとき、娘も倅もまだ小さく、共働きとはいえ妻の稼げる限界はあった。だから私がアルバイトした。私はその頃、小さな飲食店だったが店舗を任されていた。そこが終わってから一度帰宅し、晩飯を食ってから風呂に入り、それから原付バイクでバイト先に向かった。無理を頼んで休みの日には午前中からやらせてもらった。

30歳を過ぎる頃、まだ借金はあった。パチンコ屋の副主任の給料は悪くないが、いかんせん支払いが大き過ぎた。だから、当時の後輩や部下には大したものを奢ってやれなかった。まったく申し訳ないと思う。しかし、その御蔭で3年ほど過ぎたら借金が終わった。京都市内にあるおしゃれな店で妻とお祝いした。借金が終わった御苦労さま祝い、ではなく、私の店長昇格祝いだった。マイナスからプラスに転じる瞬間だった。お互いに労いの言葉をかけ合い、それから入籍した。ケジメだった。

そのとき、来年にはディズニーランドに行こう、と約束した。最初の結婚記念日、それが実現したから我ら夫婦はパレードを見て笑って泣いた。東京から戻ると、当時の部下らが駐車場で待ち伏せ、大きな花束を抱えて出てくるというサプライズをしてくれた。私は照れ隠しに工作員の首を絞めたが、とても嬉しかった。妻も喜んでいた。

子供らの進学費用や何やら、ようやく貯金らしきことも出来始める。税金は「正社員ひとり分の総支給額」ほど持って行かれたが、妻とも「払える喜び」と受け止めて痩せ我慢した。困った時はお互い様、情けは人のためならず、ということで、もっと稼いでたくさん払えば良いことあるだろ、と笑って暮らした。ンなことは、どーでもよろしいと。

さて、倅の進学費用やら、予想外の娘の嫁入り、と出費が嵩んだころ、パチンコ屋も廃業する。気晴らしに対馬で遊んで戻ると、血迷ってまた、貯金を使って店を出した。我が家の家賃は10万円ほど。駐車場も2台分ということで、さあ、商売に身を入れて頑張ろうとしたのだが、どうにも妻と相談した結果、やっぱり「昼間に働いてほしい。毎日、家に帰って来てほしい」とか言われて心が折れる。そうとなれば「コンコルドの誤り」よろしく、引き際が肝心だから、目先の損など目もくれず、さっさと撤収したから知人は驚いていた。店舗近隣の知り合いも総じて「嘘だと思ってた」と仰天していた。いまは、借金する前に止めてよかった、ということにしている。ンなもん、やりたければ、また、いつでもできる。

私は「スキーに行くからお金借りちゃった」とかいう人を見ると、ちゃんと阿呆だと断ずることができた。急な飲み会、でもお小遣いが・・・・ならばATMに行くのではなく、最寄駅から電車に乗って帰るべき、と知っていた。休みの日、金がなくてすることがなければ、職探し中にあみだした荒技「図書館に行って本を借りて公園に行く」があった。私は住民税を支払っているから堂々と利用させてもらった。トイレも借りたし冷水も飲んだ。

ともかく、泣こうが笑おうが「ずるいこと」だけはやってはならん。これも口にタコができるほど繰り返してきたことだが、結局、そのほうが損をするからだ。なにが「ずるいことなのか」は親が教えてくれたはずだ。先祖から教えられたはずだ。周囲の大人が教えてくれたはずだ。そして、それこそが「財産」なのである。テクニックやらマニュアルではなく、本当の意味での「賢く生きる知恵」なのだ。

毎月40万円のローンといえば、それなりのマンションだと思われる。そこにオカンを住まわせながら「もらえるものはもらう」という乞食根性よろしく、小賢しい真似をしたところで、いずれはバレて多くを失うことになる。要領よく立ち回っているつもりか知らんが、天網恢恢疎にして漏らさず、必ず、お天道様は見ていらっしゃる。左巻きの「弱者の味方」も結構、支那朝鮮擁護の市民団体も御馳走様、人権やら平等やらも勝手にどうぞ、反貧困に格差是正も行ってらっしゃい、私には関係ございません。私は今日も明日も、太い体で細々と頑張っているところでございます。久代千代太郎でございます。よろしく。

堂々と貧乏もやれん小さな人間は、所詮が大した金も持てない。小賢しい真似する恥知らずは、所詮が小手先器用なコソ泥の域で終わる。それよりボロは着てても心は錦、前を向いて上を向いて、どこでも堂々と歩けるように生きていくほうが「お得」なのだ。ということで、コレは真似してよろしい。特別だぞ。




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