忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2010.12.9

2010年12月09日 | 過去記事
辞任要求に仙谷氏「揣摩憶測のたぐい」

<仙谷由人官房長官は8日午後の記者会見で、民主党幹部から自身の辞任を求める意見が出たことについて、「私に、辞めろと言ってきた人はいない。辞任要求というのなら、『お前、辞めろ』と言わなければならない。(辞任要求に関する報道は)揣摩(しま)憶測の類(たぐ)いとしかいいようがない」と述べた>

日本全国津々浦々からの「お前辞めろ」が聞こえんらしい(笑)。実に都合の良い頭だが、これはコレでまあ結構だ。来年の選挙も楽しみだし、管政権がどこまでボロボロになるのかにも注目したい。どうせ3年近くは民主党政権が続く可能性がある。大連立やら政界再編も言われているが、いずれにせよ、これ以上酷くなることは考えにくい。楽観的だというなかれ、もちろん、最悪の状況はもっと最悪になる、とも言われるが、まさに「進退これ谷まる(しんたい、これ、きわまる)」までニラニラみていたい。ちなみに、この言葉の「極まる」は、この場合「谷まる」と書く。深い谷に落ちて身動きが出来ぬ、どうしようもない状態を言う。「仙石(せんごく)」を「仙谷」と書くのも言い得て妙だ(笑)。




都議会民主:綱紀粛正を 党執行部に申し入れ

<東京都議会民主党と民主党都連区市町村議員団が「一部の国会議員の愚行によって罵声を浴びせられ、つばを吐きかけられる」などと過激な表現で、菅直人首相ら党執行部に綱紀粛正を求める異例の申し入れをすることが分かった。来年4月の都知事選など統一地方選を控え、「このままでは戦えない」との危機感がかつてないほど高まっている。

9日にも党本部に申し入れ文を提出する。申し入れ文は議員名は伏せているものの「閣僚や国会議員の緊張感や責任感に欠ける言動は、地方議員にとって残念であり、落胆している」としている。さらに「時にはつばを吐きかけられるなど屈辱的な状況に置かれていることを想像していただきたい」と最近の地方議員たちが置かれた状況が生々しく盛り込まれた。8日にあった都連常任幹事会でも紹介され、首相補佐官の加藤公一・都連会長にも伝えられた。

 地方選では全国的に、民主党の推薦・支持候補の落選が続いている。首都圏では11月21日の千葉県松戸市議選で公認11人のうち9人が落選し、民主系の地方議員たちに「松戸ショック」が広がった。

 都内のあるベテラン区議は「年末のあいさつ回りをしていても、『もう民主党は駄目だよ』と突き放される」と憤る。都議からも「官房長官の『自衛隊は暴力装置』発言がこたえた。このままでは統一地方選では党への支持票は期待できず、後援組織が弱い若手にはかなり厳しい」「野党から追及された秋篠宮ご夫妻への『早く座れよ』発言で、支持者から責められている」などの嘆きが聞かれる。

 都内では西東京市議選が26日に予定されており、ある都議は「戦々恐々としている」と話す>


おいおい、昨年の夏に煽ったのは誰だ。そんな都合よくスタンスを変えるんじゃぁない。石もて追われるのも結果責任、連帯責任、文句があるなら抜けてからどうぞ。ンで、松戸の市議選も「2人は当選した」には違いないが、一人は最下位、もうひとりもギリギリだった。もうすぐ、そこまで「全滅」が押し寄せていた。来年の統一地方選は想像を絶する大敗が待っている。有権者は手ぐすね引いて待っている。明確に「民主党議員を落選させてやる」という意志を持って無党派層も投票所に向かうことだろう。楽しみ過ぎる。

この国の有権者が流されやすく、ブームに弱いのは知っておろう。いま、日本の世論を確かめてみるまでもなく、民主党なるモノに対して猛烈な逆風が吹いている。それは昨年夏の風より強く、冷たく、執拗に吹いている。自業自得だ。民意を悪用した連中は民意によって滅ぼされるべきだ。ご愁傷さま、としか言いようがない。








SSが新抗議船導入、日本人メンバーも参加


<反捕鯨団体「シー・シェパード」は、今月以降に南極海で始まる調査捕鯨を妨害するための新たな抗議船「ゴジラ」を導入した。妨害活動に参加する日本人メンバーはNNNの取材に対し、「クジラを守るためには暴力もいとわない」と話している。

 日本の怪獣映画やクジラにちなんで名づけられたという「ゴジラ」は、全長35メートルで高速航行が可能。シー・シェパードは今月以降、「ゴジラ」を含め3隻態勢で日本の調査捕鯨の妨害にあたる予定。

 今回の妨害活動には日本人メンバー2人が参加している。親川久仁子さんは「日本が世界の規約に反する行動をしている。日本が違法捕鯨をしている」「(Q暴力でぶつかり合う場面が来てもいとわない?)いとわないです。地球を守る、クジラを守るために命を落としても全然構わない」と話した。

 水産庁は、今シーズンの調査捕鯨船に海上保安官を同乗させるなど警戒を強めている>


日本の葬式といえば黒白の幕を連想するが、あれは「鯨幕」といって「クジラの背と腹」を表したものだ。つまり、この馬鹿女が生まれるずっと前から「クジラは日本の文化」と言ってもよい生物だった。まあ、しかし、浅薄な知識と安モンの博愛精神でウダウダされるのは気分が悪いものだ。私もこのイカレポンチはテレビで見てしまった。「クジラを守るため」には日本の海上保安官とやり合うことになってもいいらしい。この馬鹿女が嬉しそうに語るのを観て、開いた口が塞がらない人も多かったのではなかろうか。

安易な「クジラさん可哀そう」が許されるのは小学生だけだ。書くのも馬鹿らしいが、牛や豚や鶏など、どれほど美味しく我々の胃袋を満たしてくれているのか。また、単に「可愛い」というだけならば、年間数万匹単位で殺処分される犬猫はどうなのか、この馬鹿女は考えたことがあるのだろうか。このスカタンの言い分が正当化されるときとは、こいつが「クジラだったとき」だけだ。この馬鹿がメスのマッコウクジラならば「我が同胞を殺さないで」といえば説得力もある。クジラはコミュニケーションもとれるそうだから、それについても納得しても良い。伊勢の「クジラ島」にでも働きに行けば人気モノだ。

また、この「地球を守る」にも虫唾が走る。私がエコと聞けば脊髄反射で胡散臭いと思うのと同じく、その「動機」を確認せねばならないのである。このまま地球環境を破壊すれば人類はあと30年で滅びる、としよう。それで「エコ」なら、まだ、わかる。少なくとも理由は理解できる。節約すれば50年、このままだと30年と言われれば、それがウソかホントかはともかく、そうか、それでは節約しようじゃないか、となることも仕方がない。しかしながら、このスカタンの「地球を守る」は具体的に何なのかを問わねばならない。

それは「地球を守るため、クジラを守るためには暴力も辞さず」というところだ。すなわち、このスカタンが人間ならば「地球を守るためにはクジラを守るべき、それは人類を守ることになる」ということを説明せねばならない。「海洋における生態系を崩してまで守らねばならぬのがクジラ」だということを証明せねばならない。日本の総理大臣は日本人と日本の国益を考えねばならぬように、人類は人類のことを考えていればよいことになっている。これが身勝手な話ではなく、そのために「環境を守らねばならぬ」というならわかるし、そのために「クジラを獲るな」ならわかるというのだ。ただし、それには理路整然と説明することが肝要となる。派手なパフォーマンスや事故につながるような危険行為はいらない。また、そこには動物愛護の精神やら、クジラが頭の良い動物だから、は無意味だというのだ。

人類は人類のためなら何でもする。それは国でもそうである。例えば、本当に日中友好を言うなら、日本人は消費税を50%にして支那人民に支払えばよい。理由は過去の反省でもなんでもいい。支那人民の反日感情も吹き飛ぶことだろう。同じく、本気で地球のため、だというなら人類は滅亡する他ない。これは鳩山由紀夫でも知っていることだ。

このスカタンは、いわゆる「反日日本人」と同じ卑怯なスタンスをとる。だから、腹の立つツボが同じなのだ。こいつは不細工なオバハンだが、おそらくは人類だろう。それも日本人とされている。なぜに「クジラの味方」をするのか。地球に人類がいなくなって、自分とクジラだけになればいいとでも思っているのか。

人類が忘れてはならんのは「感謝」である。美味しいお肉を牛の何倍も提供してくれるクジラにも感謝だ。このスカタンが馬鹿みたいなことを言っても許されているのは、日本にはそういう自由があるからだ。世界にはノーベル平和賞の授賞式にも出られぬ国もある。この馬鹿女は日本という国に感謝しているのだろうか。クジラから生まれたわけでもあるまいし、ちゃんと親兄弟を大切にしている人生なのだろうか。毛唐のオスと交尾したいだけではあるまいな。

ま、ともかく、だ。

環境を守るのは人類を守ることでなければ本末転倒だ。どこまでいっても薄っぺらいヒューマニズムではなく、打算的で実効的、綿密で狡猾なる計画に基づいて行わねばならない。「他の生き物が可哀そう」という人は、どうぞ、速やかに吊って欲しい。人間は誰でも「生きているだけで誰かの迷惑な存在」だ。だからこそ感謝を忘れず、生かされているのだという謙虚さを抱いて、私は今日も牛の死体を切り裂いたモノを焼いて喰うのだ。

ちゃんと18日には「クジラベーコン」も喰う。




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