忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「無知の知」と防衛相擁護=野田首相>2012.4.5

2012年04月05日 | 過去記事

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012040500381
<「無知の知」と防衛相擁護=野田首相>

<「『無知の知』という言葉もある」。野田佳彦首相は5日午前の参院予算委員会で、哲学者ソクラテスの言葉を引用しながら、国会答弁で迷走を続ける田中直紀防衛相を擁護した。
 自民党の山本一太氏がこれまでの田中氏の問題発言を列挙して批判したのに対し、首相は「(田中氏は)率直に知らないことは知らないと言うが、(法律一つ一つの)条文までは分からなくても判断力はしっかり持っている。私は適材適所だと考えている」と強調した。
 ただ、山本氏が「予算審議が40回以上も中断しており、異常事態だ」と追及すると、首相は「円滑な審議ができなかったことは残念だ」と田中氏の答弁のまずさを認めた>




ソクラテスは人間、当時のギリシャの賢者らが何を知らぬと言ったのかといえば、それは「真善美」であり、最終的には「徳(アレテー)」であった。難しい学問を説き、日々、汗を流して働かずに本を読む連中の頭の中には、それはそれは膨大な知識が詰まっていることに異論はないが、ソクラテスは、キミらにそれを使う「真善美」があるのかい?そこに「徳」はあるのかい?と問うているのだった。そして、わたしはあるもんね、として毒盃を仰いだ。

野田総理はいろいろと失敗をしている。素人と揶揄される防衛大臣を「無知の知」と擁護するも、その本人が国会で「もちもち?」と笑われていることではなく、およそ国民の過半以上に対して、やはり、国とは官僚が動かしている、と周知させていると気付かない。

つまり、<「(田中氏は)率直に知らないことは知らないと言うが、(法律一つ一つの)条文までは分からなくても判断力はしっかり持っている>は矛盾に満ちながらも心理を突く。普通、我々は仕事であれ生活であれ、ひとつひとつの物事を分かっていなければ判断は下せない、と知っている。判断でも決断でもいいが、それらを行うに要する時間はともかく、それなりに熟考することも前提となる。我々はそれらが揃わない場合を「素人判断」と呼んで気をつけるようにしている。餅は餅屋、そこはプロにお願いしようとなる。

同時に、致し方ない場合、というのもある。専門家に尋ねている時間的余裕がない、あるいは、その環境にない場合だ。判断する材料が少なくとも、熟考するほど理解度がなくとも、看過出来ぬ目の前の問題があれば、我々は普通、その手段と目的を確認し、それを改善、除去しようとするし、且つ、その結果に対して否が応にも責任は免れない。

簡単に言えば、日本の国防とはアレで務まる。メディアはよく「士気が下がる」と懸念してみせるが、例えば、現場で現実と向き合う自衛官は防衛大臣のために命を懸けるわけではないから、アレでもどうにかなっている。士気はともかく、下がるのはアレの「無知加減」にウンザリする防衛省の官僚の謙虚さだ。そして益々、この国は自分らが動かさねばならない、という自覚と責任に基づき増長する。政治家?大臣?ンなもん、誰でもいいし、どーにでもなるよと。

ただ、問題というか、この国の不幸は彼らに「真善美」も「徳」もないことだ。



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