忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「じっちゃんのはなし」

2008年07月21日 | 過去記事

■2008/07/19 (土) ガチコメ的「じっちゃんのはなし」1

面接希望と思しき電話が鳴る。経理部長が出る。

受話器を押さえながら、私のほうを向いて、

「中国の方みたいですが・・・ほとんど日本語が話せてないですわ・・」

と困った顔で言う。私はゼスチャーで「お断りするよう」告げる。っと・・・

「あのねぇ、言葉がね、通じないと難しいですわ、はい、はい、そうです、あのね、・・」

・・・・!!!

『ああぁ!!!ちょっと!!・・』

私は思わず声を上げた。経理部長はチラリと私を見たが、そのまま電話を切った。

『“そのまま”はやばいですよ。カタコトだったでしょ?大丈夫だとは思いますが、今後は募集してません、とか、採用人数がいっぱいになったとか、他の理由にしてください。』

「ああぁ・・・!!そ、そうですな!!あわわ・・・・」

つまりは「外人だから」断ったとされたら、少々ややこしいことになるかもしれない。しかも支那人というから、その可能性は増すはず。私自身が在日韓国人であり、もっといえば社長からしてそうであるのだが、だからこそ「知っている」という部分もある。

とはいえ、もちろん、国籍で採用基準を調整したりはしない。そこまで愚かなことはしないが、それでも「警戒」はする。朝鮮人も支那人も使った経験があるが、はっきり言って「良い思い出」は皆無である。もちろん、偶然だろうがな(ニヤリ)。

そういえば、スーパーの店長時代に毛唐も使ったなぁ・・・ジョンくん・・・元気かなぁ。

「遅刻してきたアメリカ人」を「在日韓国人店長」が怒鳴りつけて震え上がらせる図。
うむ。実にシュールだ。

「テンチョ、ゴメナサイ!ゴメナサイ!」

って言ってたジョンくん。で、

『じょん!!!だぁれが、てんちょだ?店長だ!!パンチョみたいに言うなごるぁ!!このアングロサクソンが!!全員に謝ってこい!!』

黄色人種にコキ使われる白色人種の図。まさに、小さな大亜細亜ww

「2」へ

■2008/07/19 (土) ガチコメ的「じっちゃんのはなし」2

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で―――

このタイミングでコレかい。

http://www.asahi.com/national/update/0716/TKY200807160244.html
<在日学生差別、入部させず 日大弁論部が活動停止>

弁論部でも「差別」には勝てない。というか、コレ、変だ。

<この女子学生は韓国籍の在日3世で、今春入学。民族差別で入部を断られたとして、先月上旬、同大本部に母親と申し立てをしていた。>

ちなみに私は3世になる。37才だ。この女は21才で3世。ふぅ~ん。

私の母親は昭和20年生まれ。63歳。生まれた地は日本である。つまり、私を産んだのは26歳のとき。昭和46年。

日本に来たのは祖母だ。朝鮮半島から、私の祖父「太郎」に連れられて日本に来て結婚した。

「太郎が一目惚れした」ということだ。祖母から直接、何回も聞かされた。私も母や、その妹なども「太郎」の祖母に対する愛情はもう、ラブラブレトリバーもびっくりだったという。祖母は日本語もペラペラであった。「太郎」が教えたんだそうだ。ちなみに、私の母は朝鮮語も話す。祖母が教えたんだそうだ。

ちょうど、左派が言う「強制連行」されたり、現地で「人狩り」があったとされるときか。周囲の日本人が「奴隷」のように扱ってた朝鮮人に「一目惚れ」して結婚するなど、私の祖父は変人だったのか?また、私は「初孫」ということで、祖母の友人にも可愛がられていたからたくさん知っているが、「一番連れて行かれた場所」は神社やお寺であった。

そして、偶然?幸いにも?「差別」などには遭わずに現在に至る。もちろん、家を借りるときなんぞに「国籍を理由」に断られたことはある。だが、それは「造られた差別」、もしくは「不可抗力」であると認識している。つまり、「そういう人がいても仕方がない(差別のない国はない)」というレベルであり、外国籍で生きるからには許容範囲である。

「3」へ

■2008/07/19 (土) ガチコメ的「じっちゃんのはなし」3

で、更に付け加えると、だ。

同胞(笑)ですら嫌悪するような、目に余る言動がみられる

なんでもかんでも「差別」だと騒ぎ立て、迷惑な行為、犯罪、キチガイのようなデモ、嘘、なんでも使って優位に立とうとする民度は嫌われて叱るべきである。私も大嫌いだ(笑)。

この阿呆臭い理由を見よ。

<大学が委嘱した弁護士らによる調査などによると、同部幹部の3、4年生3人が女子学生の受け入れを検討する際、「外国人だから付き合い方が分からない。不安だ」「過激な宗教にかかわっていたら怖い」などと議論していた。>

あり得ない。今は何時代だ?

言わされたのか、造られたのかしらんが、あまりにも陳腐すぎる。

しかし、この真相を、朝日はさりげなく、どうぞ、読み飛ばしてね?と願いながら、ちょこっと書いてる。嫌だったと思うがww

<しかし一方で、3人は関係者の話し合いの場でも「在日であることを理由に断ったわけではない。差別のつもりはなかった」と主張しており、女子学生側は謝罪を受け入れていない。>

他の理由だ。つまり、女に振られた男が「ハゲだから」とか「デブだから」という理由にして、相手の人格を否定するような泣き言と同レベル。実にMITTOMONAI。

そして、これは「意図的」であり、「作為的」な臭いがプンプンするのだ。

その理由はもちろん、コレだ。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/080718/edc0807182236005-n1.htm
<【竹島問題】韓国、自治体レベルの交流事業拒否>

今後しばらくは、もっと出てくるはずだ。そしてそれを「変態新聞」とか「死に紙」が煽る。いつものパターンである。もう、とっくにバレバレの阿呆臭い工作だ。

「4」へ

■2008/07/19 (土) ガチコメ的「じっちゃんのはなし」4

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私の祖父である「太郎」は190?p近くの大男だったという。残念ながら、自宅兼店舗(駄菓子屋と焼肉屋ww)が火災にあったらしく写真はない。母親や叔母から聞く「太郎像」しか私にはない。大東亜戦争を生き残り、祖母の眼前で起った落石事故で死んだ「太郎」。戦後の復興事業だったのだろう。祖母も一緒に現場に出ていたらしい。そんな時代だった。

祖母曰く、

太郎:「・・・・・痛ったぁ~~~~死ぬかと思ったwww」

と巨大な瓦礫や石をどけて出てくると思ったらしい。で、すぐに、

「アレは、死んでるちゅうねん!!www」

と自分で突っ込む(笑)。事故現場を覚えているという母も、

「wwwwあれで生きてたらバケモンやがな!!www」

と笑っていた。でかい石だったんだろうww

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私は覚えている。

祖母が逝く少し前、もう、寝ていることが多かった祖母の部屋。

20才をとっくに過ぎた私だったが、祖母の布団に潜り込んだ。

祖母は、

「ゴツゴツしたんが入ってくるなww」

と言いながらも嬉しそうだった。

そして、祖母は寝言のように、ブツブツと・・・

「太郎」がどれほど強かったのか。
「太郎」がどれほど優しかったか。
「太郎」がどれほど面白かったか。

を惚気だす。

「もうすぐ、じいちゃんに会えるンやwww」

その言葉にも、なぜだか、私は悲しくなかった。

-

巨大な石に潰されて死んだ「太郎」。

それをどけて、笑いながら祖母に歩み寄る「太郎」。

私がその「映像」を思い浮かべるとき、「太郎」は私の姿になっている。

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