忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2011.2.11

2011年02月11日 | 過去記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110210-00000623-san-pol
<休日まで中国を配慮?民主「休暇分散化」構想、今国会中の祝日法改正を目指す>

<民主党は、観光振興や渋滞解消などを目的に地域ごとに時期をずらした連休を導入する「休暇分散化」構想をまとめた。与野党で協議の上今国会中に祝日法改正案を議員立法として提出を目指す。中国の建国記念日「国慶節」(10月1日)に配慮し、10月第1週に連休を設けない方針。日中の観光客がかち合って渋滞・混乱することを懸念したというが、日本の休日が中国の行事に左右されるのは本末転倒だといえる。祝日の「意義」までも骨抜きにされる危険性もある。

 構想は民主党の「成長戦略・経済対策プロジェクトチーム」(直嶋正行座長)がまとめた。

 具体的には、全国を「東日本」(北海道、東北、中部、北陸、北関東)▽「南関東」(東京、神奈川、千葉、埼玉)▽「西日本」(近畿以西)-の3ブロックに分け、10月の第2週は東日本、第3週は南関東、第4週は西日本でそれぞれ土、日曜日を含めた5連休を設定する。 

 プロジェクトチームの資料には、10月の第1週に連休を設けない理由を「中国では10月1日を含む週は国慶節関連の大型連休であり、この時期に国内の連休を設定するとかえって混雑を助長する可能性があるため」と明記された。

 2月3日の党会合では白真勲参院議員が「韓国の秋夕(チュソク、旧暦の8月15日、韓国の旧盆で連休)との重複」についても確認するよう要望している。

 この構想に対し、民主党内でも「中国を宗主国にしているようだ」「祝日の意味がなくなる」などと批判が少なくない。

 休暇分散化構想は、鳩山由紀夫前政権が「新成長戦略」の一環として掲げ、前原誠司国土交通相(当時)が中心にまとめた。

 当初の政府案は全国を5ブロックに分け、春、秋の年2回の大型連休を設ける案を検討したが、ゴールデンウイーク(GW)の分散化は、その前後を集中的な休業期間とする自動車産業など産業界への影響が大きいと指摘され頓挫。民主党案は秋の連休に絞った。

 一方、観光庁が昨年8月に発表した調査結果では、大型連休を地域別に分ける構想のメリットについて68%の人が「特にない」と回答している>




「売国はともかく、なんで、連休をわける必要があるんだろう?」という疑問が晴れた。日本の祝日を壊したくてたまらぬ民主党だと思っていたが、なんと、支那朝鮮に配慮していたとは、私もまだまだ甘いと痛感した。

外交も内政もズタズタながら、憎い日本を粉砕するための「売国省」は元気に活動中ということだ。菅直人が推薦し、立正佼成会が応援した比例区の帰化人の名刺には「母の国・ニッポン、父の国・韓国」と書いてあるらしい。ポスターにもあった。





何故に「母の国」だけカタカナ表記なのか。漢字を国字としている日本をカタカナで、漢字は歴史文字とするハングルの国を漢字で書くのには、いったい、何の意味があるのだろうか。

1984年に全斗煥大統が来日した際、日本のマスコミに「韓国、朝鮮人の名はハングル読みにしろ」という注文があった。西村眞吾氏は現在でも「金正日」を「きん・しょうじつ」と呼ぶが、日本のマスコミは、はい、わかりましたとして「ぜん・とかん」と呼んでいたのを、すべて「チョン・ドファン」と呼ぶことにした。「り・しょうばん」は「イ・スンマン」と呼び「きん・だいちゅう」は「キム・テジュン」となった。このパソコンも「きむ・じょんいる」と打ち込んで変換すれば、将軍様の名がさらっと出る。「きむ・いるそん」も一発変換だ。

朝日新聞などは「胡錦濤」と書いた後、必ず「フー・チンタオ」と付け加える小まめさで宗主国様のご機嫌を損ねないよう気遣っている。いま、韓国や北朝鮮、支那人のサッカー選手などの名も「カタカナ表記」になった。それまでは漢字表記だったが、これは「発音を統一したい」という支那朝鮮のご要望だ。つまり、日本人にハングル読みをさせようとしている。レーガンの俳優時代、日本で紹介されるときは「ローガン」だったが、これを大使館を使って日本マスコミに「レーガン」で統一させたのも、日本人の発音ではアメリカ大統領が気分を害されると懸念したのかもしれない。ハク・シンクンも本当は「イルポン」と書きたいのを堪えているのだろう。








http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110210/crm11021021300033-n1.htm
<漁船衝突事件の中国人船長に損害賠償を請求 海上保安庁>

<沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をめぐり、第11管区海上保安本部(那覇市)が10日、公務執行妨害容疑で逮捕、釈放され不起訴(起訴猶予)処分となった中国人船長(41)に対し、衝突により破損した巡視船2隻の修理代など計1429万円の損害賠償を請求したことが分かった。
 海上保安庁は「支払いがなければ督促や法的な手続きも検討する」としているが、船長はすでに帰国しており、支払われる見込みは低いとみられる。
 海保関係者によると、損害賠償の内訳は右舷後部を破損した巡視船「みずき」の修理費が708万円、左舷後部に衝突された同「よなくに」が531万円、2隻の燃料費などで190万円。巡視船の損傷具合を査定し損害額が確定したのを受けて、10日付で11管区本部長名の書面を船長あてに郵送したという。
 船長は昨年9月7日、尖閣諸島久場島の北西約15キロの日本領海内で漁船をみずきに衝突させたとして公務執行妨害容疑で逮捕。那覇地検は同25日、船長を釈放し、先月21日に起訴猶予処分としていた>




保の対応は当然だが、この記事にもある通り、支払われる見込みはない。日本政府は外国でボコられる日本企業も助けないから、今回の海保の件についても何もしないと思われる。領土を不法占拠されても、国民を拉致されても、具体的な行動ひとつ起こせない「税金分配のお仕事」など、すべて役所に任せればいい。もしくは企業に任せればいい。この国に政治家はいらないかもしれない。









http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110211/stt11021100240000-n1.htm
<首相、決別宣言 薄氷「3分の2」を自ら割る 「3月危機」刻一刻>

<「裁判が終わるまで党を離れてくれないか」-。菅直人首相(民主党代表)が10日、小沢一郎元代表に離党を勧告した。乾坤一擲(けんこんいってき)の決別宣言だったが、小沢氏は完全に黙殺。首相の2度目の直談判は党内の亀裂を決定的に深めただけに終わった。(船津寛)
 
小沢氏は10日夜、東京・大手町の料理店で鳩山由紀夫前首相、輿石東参院議員会長と夕食をともにした。
 
「厳重注意処分ならば分かるが…。相当厳しいことを言ってくるかもしれんな」
 輿石氏が、14日の党役員会で厳しい処分を下される可能性を厳しい顔つきでほのめかすと、小沢氏は気にもとめない様子で久々に会った首相の印象をこう漏らした。
 
「菅さんの表情がいつもと違っていたなあ。ボソボソって感じで話をして。相当まいっているのかな…」
 
確かに首相は「3分の2」問題で頭を悩ませてきた。衆院で法案の再議決を可能とする「3分の2」議席の確保には最低318議席が必要だ。平成23年度予算案は憲法60条で衆院の議決が優越されるため問題ないが、予算執行に不可欠な特例公債法案や子ども手当法案など予算関連法案は参院で否決されれば、衆院で再議決するしかない。
 
現在、衆院の与党系は313議席。3分の2まで残り5議席だ。そこで首相が目をつけたのが、昨年5月に連立離脱した社民党の衆院6議席だった。
 
存在感を増したい社民には「渡りに船」だった。さっそく社民党の重野安正幹事長は10日の記者会見で「向こう側が話を求めてくればテーブルにはつく」と政権との予算修正協議に応じる方針を表明。阿部知子政審会長は、民主党の玄葉光一郎政調会長(国家戦略担当相)と会談し、14日からの協議入りを決めた。
 
政権の足元を見た社民党は“無理筋”の修正要求を突きつけた。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設関連経費の取り下げや法人税減税の撤回はその最たるものだ。ある社民党幹部は政権との駆け引きを離婚訴訟の慰謝料請求に例える。

「最初に1千万円と言えば和解では800万円になる。500万円と言えば400万円になってしまう。だから初めから譲歩はしない」
 
衆院6議席の小政党にそこまで配慮を重ねてようやく到達する「3分の2」ラインだが、本当の波乱要因は足元に潜んでいる。
 
「予算関連法案の再議決で突然腹痛に襲われるかもしれないな…」
 
小沢氏に近い若手議員はこううそぶいた。意味するのは「腹痛」を理由にした棄権。小沢氏への離党勧告は“造反リスク”を誘発した。
 
そもそも薄氷の「3分の2」ラインは小沢氏自身の「賛成」も計算に入る。小沢氏の元秘書で民主党を離党した石川知裕衆院議員も与党系無所属にカウントされている。
 
それだけに民主党中堅は10日、「小沢切り」に動く首相を痛烈に批判した。「3分の2をかき集めようと必死になっているのに何でそれを壊すようなことを…。ネジがずれてるんじゃないの?」
 
加えて社民党にすり寄ったことで自民党など他の野党の協力はほぼ絶望的となった。首相が最重要課題に掲げる税と社会保障の一体改革も「絵に描いた餅」となりつつある。
 
3月末にも予定される予算関連法案の衆院再議決。これが政権のXデーになるよう時限爆弾を設置したのは皮肉にも首相自身だった。小沢氏に近い中堅は諦め顔でつぶやいた。
 
「もう予算なんて通らない。内閣総辞職だろう。そうじゃなかったら民主党解散だな…」>




山繁治氏は「菅さんは算数が出来ないのかな?」と皮肉っていたが、それに対して、ンな阿呆な、と返せぬところが恐ろしい。ある意味で鳩山由紀夫と同じようなモノで、こういう人らは本気で最後の最後は何とかなる、と無根拠に信じている節がある。それはそれは、まるで、極楽で温泉につかりながら雪景色を見るような風流で、どこまでも浅く、ひたすらに狭く、途方に暮れるほど呆けているのである。

思えば、社長マンなどの無能者もそうだった。「期限を設ける」のもよく似ている。これも安モンの小学生の発想と同じレベルで「夏休みの宿題は8月31日までにやればいい」というところを根拠としている。その理由は恐るべきことに「それまでは言われない」というだけのメリットしかない場合も多々あった。また、それまでには何とかなっているかもしれない、という強烈なる無責任が成せる業でもあった。

それと思い出されるのは「超人的な客観性の無さ」である。これも共通している。ある種の「悟り」かもしれないと感心するほどだ。また、鳩山や菅もよく「その場その場で思いつきを口にする」などとも叩かれているが、これも実は買いかぶりで、彼らは「その場」ですらなく「その瞬間」だけのことだったりもする。反射的に反応しているだけだ。

それを周囲は「そんなわけない。いくらなんでも、そんな出鱈目な人間がいるはずない」として考えてしまう。私もそうだった。周囲の普通の人は「何かあるのではないか?」と勝手に考えてしまう。しかし、そこには本当に何もないのである。

社長マンは「悩む」とか「考える」とか「迷う」などの差異がわからなかった。理由は「事の本質がわからないから」と明白なのであるが、それでも、何かよろしくないことが起こっているのはわかるらしく、機嫌が悪かったり、部屋に籠って静かにしていたりした。

読者諸賢に問題を出そう。




問い1:次の言葉の意味を答えなさい

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わからないのである。読めないのである。これでは本来、考えたり、悩んだりすることは出来ない。しかしながら、これを「わかりません」と言える人格は消滅している。どうにかして面目を保とうとする。手に入れたカネとチイを手放すなど怖くてできない。「わかりませんから、わかる人に代わります」など口が裂けても言えない。いや、コレが言える人は勉強も努力もしているはずだ。

本社の会議などでも社長マンは無残だった。自業自得とはいえ、本当に心の底から同情する。周囲の幹部連中は、会長に何か問われて社長マンが何か話さねばならないときは、みんな窓の外を見ているか、関連しない資料に目をやっていた。笑わないためだ。


会長:「昨年の入れ替え比率からして、全体の売り上げにはどう影響したと思う?」

社長マン:「―――――――――――み、みんながよくなるように、がんばります」

会長:「え?」

社長マン:「え?」


私は会長に「え?」じゃないだろう、と心の中で批判的だった。あんたの娘婿じゃないかと、あんたが「え?」ならば、我々はどうすればいいんだと、本当に困ったものだ。

結果、社長マンはタダのあだ名になった。この国の総理大臣も「総理マン」に過ぎない。










http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/news/20110211-OYT8T00080.htm
<発砲、正当防衛認める>

<宇都宮地裁で10日に行われた付審判で、特別公務員暴行陵虐致死罪に問われた県警巡査長の平田学被告(35)の発砲行為は正当防衛が成立するとして、無罪が言い渡された。一度は不起訴処分になったが、裁判所による起訴とも言える付審判決定を受けた審理を経て、拳銃使用は正当だったと改めて司法の判断が示された。
 
付審判では、拳銃の使用が正当防衛にあたるかが最大の争点だった。昨年10月の初公判以来、計4回にわたる審理では、平田被告の弁護側と検察官役弁護士の主張は真っ向から対立していたが、判決では検察官役弁護士の主張はほぼ退けられた。
 
平田被告の主任弁護人を務めた平野浩視弁護士は、記者会見で「当然の判決。一生懸命職務を行った被告の行為が正当に評価されて良かった」と述べた。また、判決で警察官の拳銃使用の指針が示されるか注目されていたが、谷田容一弁護士は「既存の使用基準に当てはめた判断で、真新しい判断が示された訳ではない」とした。
 
一方、検察官役弁護士を務めた太田うるおう弁護士は「主張がことごとく否定された。極めて残念。全体を目撃した人がいない中、被告の証言を弾劾するしかない困難な事件だった」と振り返った。事件の発生から時間が経過したことに加え、「警察や検察の捜査、民事裁判での県側の調査などの後、最後の段階で捜査せざるを得ず、新たな目撃者を捜すなどの余裕はなかった」と証拠集めの難しさを指摘した。「今後どのような事実証明ができるかを考えて、控訴するかどうかを検討したい」としている。
 
民事裁判でも弁護人を務める被害者側の弁護士は「一方的な認定ばかりで、不合理な説明だった。警察権力におもねった判決だ」と批判した。遺族が県を相手取り、損害賠償を求めている民事裁判の判決は、4月28日に東京高裁で言い渡される予定。
   ◇   ◇
付審判開始理由の説明を
 
不起訴処分から2年半がたち、平田巡査長の発砲行為に違法性がないことが再度確認された。
 
今回の付審判では、被告側に有利な証拠が相次いだ。初公判では目撃者が「警察官は激しく攻撃されていて、やられてしまうと思った」「銃口は下を向いていた」などと証言。第2回公判に出廷した目撃者も「(男性は)石を両手で投げつけるかと思った」と話した。
 
一方、検察官役弁護士側からは目撃証言を覆すほどの証拠は出ず、会見では証拠収集の苦労を明かした。選任時点で事件から約3年が経過している上、地検が不起訴と判断した証拠をもとに、犯罪事実を証明し、主張しなければならないという苦労がにじんでいた。
 
そもそもなぜ地裁が付審判の開始決定をしたのか疑問が生じる。今までに全国の地裁に請求された1万8000件以上の請求のうち、開始決定がされたのはたった21件しかない。どのような観点で、裁判官が裁判を行う必要があると判断したのか。裁判所は明確な理由を示していない。裁判所が「起訴」を行う例外的な「付審判」という制度だからこそ、何らかの方法で明らかにする仕組みが必要なのではないか>



良県警や大和郡山署に激励の電話やメールが殺到していると産経新聞にあった。2003年9月、奈良県大和郡山市で車上荒らしの通報があった。被害額は現金13万円などで、警察はすぐに容疑車両を発見、追跡した。逃走中の車両は国道24号線を信号無視で爆走。一般車両に接触しながら危険運転で逃亡を続けるも、パトカーと駐車中の車両に挟まれてしまう。

警察官がパトカーから降り容疑車両に近づくと、当該車はいきなり急発進を強行した。警察官3名は合計8発の銃弾を発砲。助手席にいた当時28歳の高壮日は首と頭に銃弾が命中して死亡。運転していた犯人も首に被弾した。警察官は「逃走車両が一般市民に被害を与える恐れがあった」と当然の主張をしたが、弁護士団は「至近距離からの発砲は殺人罪に該当する」と争った。正義の弾丸に撃ち抜かれて死んだ馬鹿の母親「金順得さん」は「ウチの馬鹿チョン息子が日本の皆様に迷惑かけてすいません、その8発の銃弾を弁償させてください。ニューナンブの弾丸はいくらですか?」とは言わず、涙ながらに「納得できない。なんで助手席の息子が撃たれないといけないのか。悔しい」と意味不明な供述を繰り返している。

裁判官は、至近距離からの発砲は相手が死亡する可能性を認識していたはず、としながらも「衝突や急発進を繰り返す車を阻止しなければ、警察官や市民の生命に危害を及ぼす可能性があった」として、この馬鹿の母親らの訴えを退けた。つまり、馬鹿か?おまえらは?屁こいて寝ろ、と言われた。

この「石灯籠支那人」も同じことだ。いくら大人しい日本人相手だからとはいえ、職務質問中に竹の棒で襲いかかって拳銃を奪おうとし、あまつさえ、巨大な石灯篭を持ち上げて暴れたら、腹に一発くらい撃たれて当然だ。それで死んでも知ったことか。

将来、悪人に銃口を向ける可能性が高い倅にも「そういうときは迷わず撃て」と教えてある。「お父さんがいないとき、家に暴漢が入って来てお母さんを襲ったらどうする?」の問いに「セコムを押して死ぬ」と答える勇気があるのかないのかわからん倅だが、キチガイ犯罪者は心してマテ。倅の銃口が火を噴くぞ(下ネタではない)。









http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110211-OYT1T00018.htm
<時間オーバーの給食、布に載せ食べさせる>

<島根県出雲市立塩冶小の男性教諭(58)が、給食を時間内に食べられなかった1年生児童たちに対し、おかずなどを食器から布製ランチョンマットに載せ替えさせて食べさせていたことがわかった。
 男性教諭は「給食時間を過ぎて食器を返さなければならなかったが、完食させたかった。子どもの気持ちを考えない安易な指導で、後悔している」とし、校長と一緒に児童らに謝罪した。
 同校などによると、男性教諭は昨年10月頃から10回以上、担任するクラスの児童25人のうち7人に、「食器を返す時間だから」などと言って給食をマットに移させて食べさせた。汁物は先に汁を飲ませて、具をマットに移させたことも数回あったという。
 今月6日、保護者からの苦情で発覚。男性教諭と校長が7日朝、児童たちに謝罪し、8日夜に保護者会を開いて説明、謝罪をした>



は給食の時間は人気者だった。いや、マテ。それ以外の時間でも人気者だったが、とくにこの給食については英雄だった。なぜなら、私は人間ポリバケツとなり、嫌いなモノや不味いモノを「喰ってあげる(女子限定・美人に限る)」からである。もう、その時間になると、これもこれもと、まあ、大人気であった。

妻が幼少の頃は、やはり、給食は苦手だったようで、給食の時間はよく「嫌いなモノを見つめていた」とのことだ。当時は「食べなさい!」という教師のエゴが剥き出しで、子供の人権など蔑ろにされていた悲しい時代である。哀れ妻は「喰えないモノ」を見つめながら昼休みを過ごすことになった。私がいれば・・・・と悔やむばかりである。

しかしながら、この「食器を返さなくては」はわからない。なんとも事務的な理由だ。私は「嫌いなら喰わねばよろし」という考え方であるから、子供が「もういらない」と言えば無理に喰わせる必要などまったくない、と思っているから、余計にわけがわからん。

しかも、マットに乗せて喰わせるなど、犬じゃないんだから、それはダメだ。そんなの、もっと喰わなくなると自明である。それに「ランチョンマット」ってなんだ(笑)?

ま、心配せずとも、子供はウマけりゃ喰う。甘けりゃ喰う。腹が減ったら喰う。我が家では「ニンジン嫌いぃ~」と妻が言えば、私がいる。倅にも娘にも「嫌なら喰うな」でお仕舞いだ。病人じゃないんだから、頑張って食べましょうね?など罰当たりを教えるな。世の中は「頑張ったから喰える」ようになっている。アレ嫌い、コレ嫌い、は勝手にすればよろしい。「食育」なども驕った教育だ。人間、80年生きたとして、毎日3食、ありがたく食事を頂けば、生涯で喰えるメシの回数は8万7千6百回。1回がありがたいのだ。

私は10万回喰うぞ(残り・約5万回)

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